高野山 朝の勤行

kouya20130209.jpg宿坊では6時30分から朝の勤行があります。 

自由参加ですが、せっかくですので参加してきました。もっとも宿泊は1名だけですので、かぶりつきです(笑)。夜明け前の暗い本堂に、燈籠がボヮーと浮かび上がり、なかなか幻想的なのはよいのですが、870メートルの山の上ですので、寒いですなあ。 

住職は去年、高野山大学を卒業し、今年初めて宿坊で冬を越す若い方で、本当に寒さがきついですなあ。と言っておりました。(笑)毎朝、5時半には起床、同級生の中には冬がつらいので坊主を辞めた人もいるそうです。成福院の住職は世襲ではなく、スカウト制になっているそうです。 

成福院では朝食でビデオ鑑賞できます。(笑)なんでも先々代の住職がビデオ好きで16ミリでいろいろ撮影。昭和初期の難波駅や南海線、今はなくなったロープウェイなどが映っていました。鉄道好きにはたまりませんなあ。絶対に南海が買いにくるような貴重な内容。成福院で泊まった人向けのサービスなんだそうです。 

この先々代の住職、ビルマで僧の勉強をしていましたが、インパール作戦に参加する兵士なども見ており、悲惨な戦争を体験したことからビルマ戦没者を祭るビルマ塔を高野山に建立しています。それで成福院の隣に立派な塔が建っているんですね。中にはビルマの竪琴もありました。地下は八角の地下道を巡る場所で真暗。罪とけがれが浄められるということで巡ってきました。 

六根清浄できたので、さあ飲もうっと!

高野山へ

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俗世間でまみれた体を清めようと高野山に入山。
というわけではなく、高野町商工会でセミナーをするので高野山に登ってきました。関西に住んでいながら高野山に行くのは初めてで、900メートルもの山の上にあんなすごい宗教都市があるんですね。生駒山が標高642m、葛城山が858mですので、葛城山の山頂に町があるようなものです。高野町の人口は4000名弱で、その内、お坊さんが1000名。町にもたくさんお坊さんさんが歩いていました。
南海・極楽橋駅でケーブルに乗り換え、1000メートルの高さにある高野山駅へ着いたら一面の銀世界。昨日までは大丈夫だったのですが朝から一気に積もったそうです。道路は凍結していますが平気で路線バスが走っています。すごいなあ!
やっとこさ奥ノ院入口近くにある商工会に到着しましたが道路は完全に凍結状態。
「こんな雪の日にセミナーして集まるんですかねえ。私なら、絶対に行きませんけど。」
「いやあ、皆さん慣れているから大丈夫ですよ。」と商工会・経営指導員のお言葉。
5名ぐらいしか来ないんじゃないのと思ったら、経営指導員の言った通り集まりだし、用意した席で足りず奥から椅子を出して、最終的には40名近くの満席状態。聞けば車は四駆で4輪ともスタッドレスタイヤが地元では当たり前で、凍結した道路は普通なんだそうです。(笑)すごいなあ!
セミナーが終わったのが夜の21時でしたので、さすがに東大阪へは帰りつけません。高野町にホテルはなく泊まるのは宿坊です。成福院にお世話になっています。摩尼寶塔というビルマの戦没者を供養する大きな塔があります。宿坊といっても中は旅館のような個室になっていて快適です。もちろん本堂もあり中はお寺。
世話をしていただけるお坊さんに聞いたら、泊まっているのは私だけ。(笑)春から秋にかけてはすごい観光客ですが、さすがに冬の高野山を訪れる人は少ないそうです。まして雪の積もった高野山へ来るような酔狂な観光客はいないそうです。そら、そうでしょう。
宿坊に大浴場があるんですが、一人で入っておりました。あ~あ、極楽、極楽!

企業診断研究会

komada201302.jpg夜は津駅前にあるアスト津で三重県中小企業診断協会の「企業診断研究会」。 

朝から伊勢の企業へ行っており、帰りに参加してきました。本日の参加者は13名。 

講師はコマダ商事の駒田さんで、テーマは「印刷業の外部環境変化と今後の展望」です。印刷業の業界構造などについて興味深いデータをまじえてお話しいただきました。 

統計のよると用紙使用量は変わっていませんが、印刷物の出荷額は落ちています。高性能なプリンターの登場などで内製化の動きがすすみ、従来は印刷屋さんに出していた仕事が家や企業内でやっています。そういえば三重県産業支援センターも名刺印刷専用機を購入し、内製化しています。毎年、異動が多く、組織名もよく変わるので自ら印刷機を持った方が安いからでしょう。 

三重県内の市別出荷額を見ると松阪市が半分近くを占めています。凸版印刷の松阪工場と新日本工業という大手企業があるからのようです。昔は津市の出荷額も多かったのですが官公庁の印刷需要が減少したこともありシェアがだいぶ減っています。意外に名張市も多いですね。 

北条氏の城 小田原城

odawara2013.jpg石垣山一夜城から麓まで降りて、早川という名前の川を渡ると小田原城の総構えがあった場所。 

秀吉は最前線のすぐ近くに城を作ったんですね。一夜城から歩いて30分ほどで麓、そこから10分ほで総構えです。麓の最前線には山崎の合戦、北ノ庄攻めにも参戦した堀秀政が布陣していましたが病死してしまいます。陣をひいていた麓の海蔵寺にお墓があります。 

小田原城の総構えは2里半(約 9 km)と長く、空堀と土塁で城下町全体を囲む長大なものでした。今はほとんど痕跡がなくなりましたが、早川口には二重土塁が残り、当時の総構えがどんなものだったか実感できます。土塁はけっこう高く、町中を取り囲んでいました。西洋や中国の城と変わりませんね。この総構えで攻めてきた上杉謙信や武田信玄を撃退。 

小田原城では城の復元が進んでいて常盤木門や馬出門が出来ていました。江戸時代の雰囲気が楽しめます。天守閣はコンクリート製ですが、一番上に上がると目の前にあるのが雄大な太平洋と箱根の山々、そして一夜城のあった石垣山。一夜城跡を見ると車ぐらいの大きさなら動いているのも充分に見えます。北条氏にとってはめちゃくちゃプレッシャーだったでしょうね。 

鉄壁の総構えと一夜城のプレッシャー、こりゃ小田原評定になるはずです。

石垣山一夜城

isigaki201303.jpg東京駅から東海道本線のホームへ。熱海行きの普通電車に乗るんですが、やってきた電車が15両もありました。新幹線並みですね。さすがに東京はすごいなあ。 

JR早川駅で下車。ここから農道なんですが国道よりきれいな道沿いに30分ほど登ります。途中には参陣した武将の紹介があり、楽しめるようになっています。小田原攻めが行われた石垣城へ通じる道がそのまま農道になったようです。 

車で上まであがっていく横をテコテコ歩きます。なかにはスポーツ自転車で上がる猛者もいました。 

頂上近くにあるのが石垣山一夜城。以前は笠懸山という名前でしたが秀吉が総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。秀吉が工事中に白壁にみたてた白紙を貼った城を造り、周りの木を切ったので一夜で城ができたと北条氏が驚いたところから名づけられましたが、たぶん、そんなことはなく工事をしている所を見せながら心理戦に持ちこんだのでしょうね。 

目の前に小田原城が見えますが、当時は総構えになっていたので攻めるのはかなり大変。そこで支城を各戸撃破し、小田原城からいつでも見える石垣山にその頃、関東にはなかった総石垣の城を築き、威圧したのでしょう。 

本丸跡や曲輪跡などがきれいに残っていました。おすすめは一番奥にある井戸曲輪で、見事な石垣が残っていました。奥までくる観光客はほとんどいませんでしたね。 

ああ、いい運動だった!

Red Ball ガイドの祭典

redball2013.jpgRed Ball2013です。 

Red BallというのはAll Aboutのガイドが1年に1回集まるイベント、All Aboutは赤い玉がシンボルですので、そこから名付けられています。今年で12回目で、All Aboutがスタートし12年が経過し、13年目に入っています。私がやっている「企業のIT活用」は1年遅れの2002年3月にスタートしましたのでもうじき丸11年経過です。 

All Aboutの株主の筆頭がリクルートから大日本印刷に変わったこともあり、今年は会場がリクルートから変わり五反田の大日本印刷のビルで開催。他にヤフーが株主に入っています。 

イベントの最初は江幡CEOと西村編集長からAll Aboutの近況と今後の方向性の話。その後に大日本印刷の常務さんのなぜAll Aboutと資本提携したかという話があったんですが、これが漫才みたいで面白かったですね。直近の数字ではAll Aboutへアクセスするユニークユーザは月間3000万人。月間1億6千PVになっています。日本人の1/4がアクセスしているんですね。スマホからのアクセスがかなり増えているという報告もありました。 

固い話が終わると立食パーティ。今年のイベントでは専門家クイズがあり、私も1問出題いたしました。いろんなガイドが10名ほど出題していますが、めちゃくちゃマニアックな問題ばかり。ルールは検索したらダメだけど、出題したガイドを見つけて聞くのはアリ。と言うことで飲んでいるところに入れ代わり立ち代わり、いろんなガイドが質問に。オチオチ、飲んでおられませんでした(笑) 

写真は立食パーティのお寿司コーナーです。

四日市商工会議所でIT窓口相談

yokkaiti201301.jpg午後は四日市商工会議所でIT窓口相談。相談は2件で、相談の後、2月に行うセミナーの打ち合わせをして帰ってきました。IT窓口相談は月に1回、伊勢商工会議所と四日市商工会議所で開催しています。 

もともとは3類型と言って、中小企業・ベンチャー総合支援センター、都道府県等中小企業支援センター、地域中小企業支援センターが、平成11年中小企業基本法の改正でできました。 

三重県の場合、中小企業・ベンチャー総合支援センターは名古屋にある中小企業基盤整備機構・中部支部で、都道府県等中小企業支援センターが三重県産業支援センター、地域中小企業支援センターが伊勢商工会議所、四日市商工会議所でした。地域中小企業支援センターはローカルセンターとも言っていました。 

当時、三重県産業支援センターからローカルセンターへ出向いてIT相談をしており、3類型がなくなっても何とか続けてほしいと依頼があり、10年近く続いています。予約制なので予約が入らないと行かないので2ケ月ぶりぐらいに四日市商工会議所へ行ったのですが、すぐ近くの国道1号線沿いにセブンイレブンが出来ていました。あっという間に作ったんですね。 

次回の四日市商工会議所のIT窓口相談は2月13日(水)ですので、お近くの方はぜひどうぞ!会員以外でも大丈夫です。 

別所書店・本店

honya201301.jpg津市(三重県)を中心に6店舗ほどを展開する新刊書店が別所書店。地域密着の本屋さんです。 

本店が中心市街地にあり、中学校・高校時代によく利用していました。店の間口は大きくないのですが、奥が深く、3階建てになっていて1階は文庫や文学関係、2階は何だったかなあ、3階には参考書などが並んでいました。ここで初めて買った本が星新一の「ノックの音が」で、しばらく星新一にはまっていました。 

津市内に他に大きな本屋はなく、参考書などを買いにいくなら別所書店でした。当時、三重県で一番大きかったのが四日市の諏訪商店街にあった白楊書店。 

モータリゼーション時代となり、ロードサイトの大型書店が登場し始めます。中心市街地への集客が落ちたため別所書店も修成店のような大きな駐車場付きの大型店を展開しだします。いつしか本店も閉店。小売はやめたのですが倉庫代わりには使われていましたが、とうとうビルごとなくなってしまいました。 

津が発祥の岡三証券が創業90周年で、ここに新しい津支店を建てるそうで、現在工事中です。昔、よく行っていた本屋や映画館がなくなると寂しいものがありますね。

桜町中将城

sakuramati201301.jpg滝川氏城のすぐ隣にあるのが桜町中将城

天正伊賀の乱で伊賀勢・最後の拠点となった名張の柏原城がなかなか落ちず、長期戦になりそうなため織田信雄が家臣の滝川雄利に命じて造らせた城。伊賀攻めの際に、織田信長は信忠を伴って織田信雄の陣所を訪れた記録が信長公記に残っており、この桜町中将城だったようです。

伊賀平定後は伊賀をおさめる拠点となりましたが本能寺の変後に使われなくなりました。織田信雄は、京都の屋敷が桜町にあったことから桜町中将と呼ばれ、これが城の名前になりました。

入口が分かりにくい城で、城の中は雑木林状態。土塁や堀跡ははっきり分かり、主郭は滝川氏城に比べると小さく、殿様の館として用いられたのでしょう。最寄駅は近鉄・美旗駅です。

真因は何?

kintetu201301.jpg朝から津へ行っていたのですが夜、津から大阪へ近鉄急行に乗って戻ってきました。

伊賀上野へ行く伊賀鉄道と連絡している伊賀神戸駅(三重県)に到着すると伊賀鉄道が遅れていたため停車時間が伸び、4分遅れて出発。結局、八木駅(奈良県)まで遅れは解消しませんでした。「伊賀鉄道が遅れたため4分遅れて到着します」と車内アナウンス。 

八木駅で降りると、連絡している京都行き急行が発車時間を遅らせて待っていました。西大寺駅に着くまで遅れは解消せず、「大阪線の列車が遅れたため、4分遅れて到着します」と車内アナウンス。 

西大寺駅(奈良県)では奈良線と連絡しているので、こちらの電車も連鎖して遅れます。「京都線の列車が遅れたため、各駅の到着が遅れます」と車内アナウンス。 

近鉄は関西一円に電車を走らせていますので、伊賀での遅れが遠く京都や大阪にまで影響が波及します。さて西大寺駅から乗った乗客にとって遅延の原因は京都線の遅れです。ですが、その前は大阪線の遅延であり、大元は伊賀鉄道の遅延でした。 

直近の現象(京都線の遅延)だけ見ていては真因(伊賀鉄道の遅延)には至らないわけです。真因もひょっとすると伊賀鉄道の遅延ではなく伊賀上野駅で連絡しているJR関西本線が遅延していたのが原因かもしれません。 

トヨタでは「なぜなぜ5回」ということで「なぜ」を5回続け真因を探ることを行っています。私たちの日々の生活でも、本当に隠れた原因は何なのか探る心構えが必要ですね。

結局、10分ほど遅れて新石切駅にたどりつきました。