今頃、朝から備中高松城の附城を巡っているはずだったのに(泣)
今年度も岡山の仕事があったのですがコロナ禍の影響でリモート対応に。緊急事態制限が解除されたので最後ぐらいは対面にならないかなと思ってましたが、結局、リモートでした(泣)。
そのまま一泊して岡山のB級グルメであるデミカツ丼やそばめしを食べて城巡りをする魅惑的なプランがなくなってしまいました。コロナのバカヤロー!!
今頃、朝から備中高松城の附城を巡っているはずだったのに(泣)
今年度も岡山の仕事があったのですがコロナ禍の影響でリモート対応に。緊急事態制限が解除されたので最後ぐらいは対面にならないかなと思ってましたが、結局、リモートでした(泣)。
そのまま一泊して岡山のB級グルメであるデミカツ丼やそばめしを食べて城巡りをする魅惑的なプランがなくなってしまいました。コロナのバカヤロー!!
お酒を飲みながら原稿を書くと、とっても生産性が上がります。
と思っていたら
題名に惹かれて読んだ「小説家になって億を稼ごう」(松岡圭祐、新潮新書)に、アルコールが入っているからこそ傑作が書けるというのは大いなる間違い。細部の情報を省略しているため楽に作業が行えるように錯覚しているだけと一刀両断でした(笑)
この本で面白かったのが読書家はごく一部で、日本人が40人いても39人はお客ではないそうです。読書は生来の素質に大きく左右され、能動的に文章を読んで、受動的に内容を解釈し楽しみや喜びにつながる層とは一握りになるそうです。そのため日本最大のベストセラー文芸は600万部程度になりますへ~え、そんなもんなんですか。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
ステイホームの正月です。いい機会なんでツンドクを解消しなければ!
なんでツンドクが解消しないのか長年の疑問でしたが、ようやく理由が分かりました。最近は読むスピードが落ちて年間100冊ほどなのに、買うスピードが130冊ほどになっているからです。
なるほど昔の読書量で買えばツンドクが増えるはずです。先日、新井素子の「素子の碁-サルスベリがとまらない」を読んでいたら年間400冊読んでいるという記述があって、上には上があるもんですね。
よおく考えたら100冊×1000円×40年で計算すると400万円の出費ですなあ。もっとも、この期間に使った酒代に比べたら安いものです(笑)。
40年以上も前の受験生時代、朝型だったので朝4時には起きて勉強してました。
...あの頃のバイタリティーは一体、どこへいったんだ~あ、と自分につっこむ。
ラジオから流れていたのが『走れ!歌謡曲』。日野自動車が深夜を走るドライバーを応援するために提供している番組でした。放送は3~5時で、番組が終わる頃にちょうど朝日が昇っていました。
5時からは浪曲でしたねえ(笑)。6時になるとブラームス作曲の『大学祝典序曲』が流れ、『大学受験ラジオ講座』が始まります。提供していたのは旺文社でテキストは書店で買ったのかなあ。数学担当の講師が朝から『数学の歌』というのを歌っていたのを今でも覚えています。
勉強しているのかラジオを楽しんでいるのか、よく分からない受験生時代ですが、この懐かしい『走れ!歌謡曲』はまだ放送されていたんですね。いよいよ2021年3月で終了するそうです。
「地球の歩き方」が学研プラスに事業譲渡されたと報じられました。
「地球の歩き方」、懐かしいなあ。創刊されたのは1979年で当時、フレーム付きのバックパックを担ぎ個人旅行するのが流行っていました。大学最後の卒業旅行で出かけた人も多いでしょう。旅費はバイト代で貯めるので貧乏旅行しかできません。そこで重宝するのが「地球の歩き方」。現地の安宿情報が満載でした。インターネットどころかパソコン通信もない時代です。
私もバックパックを担いでヨーロッパを1ケ月半ほど旅してきましたが、皆、「地球の歩き方」を参考にして周遊するので、安宿で出会うのは日本人学生ばかり。しかも物価がめちゃくちゃ高いスイスを避けますのでドイツルートかスペインルートで回ります。パリで別れたのにローマの安宿で再会することがありました。マドリッドで福岡から旅していた若い画家と出会ってトレドへグレコの絵を見に行きましたが元気にしているかなあ。
パックツアー向けの航空券をばらしてバックパッカー向け格安航空券を売るところから創業したのがHISとなります。
それにしても暑いですなあ。
goo天気で40年前の1980年8月大阪の最高気温を見ると31~32度で一番高い日が34.2度でした。35度以上になると今は猛暑日といいますが、この気象用語が登場するのは2007年からです。それまでも猛暑日はありましたが、たまに起きる程度で常態化することから用語が生まれました。大学時代、下宿や役所には冷房がなく、それでも乗り切っていましたからねえ。
現象は世界中で起きていて、北海道よりも緯度が高いイギリスでは一般家庭にはまずエアコンはありません。そこに襲い掛かるのが熱帯夜です。BBCがいろいろな対策を呈示しています。
●家の中の室温を下げる工夫をすること カーテンやブラインドの活用
●就寝前に飲むソフトドリンクの成分に注意 カフェイン入り、アルコールは控えめに
●眠れない時は心を穏やかにすること スマホを触ったらダメ
などなどです。
早く雪が降って山城シーズンにならないかなあ
大阪の緊急事態宣言がようやく解除。まだまだ休業しているお店が多いのですが人出は増えてきました。朝の地下鉄・中央線は、まだすいていて座席も空いています。昔、地下鉄が生駒駅どまりだった時代は、けっこうすいていたのですが、そんな感覚ですね。今は学研奈良登美ヶ丘駅まで延長されています。
■謹慎
大阪はようやく謹慎が解けました。謹慎というのは、もともと刑罰の言葉で一定期間外出を禁止されることをいいます。それが転じて活動を休止することも言うようになりました。徳川慶喜が大坂で敵前逃亡して江戸に戻ってきた時、上野の寛永寺に入りましたが、これも謹慎です。緊急事態宣言はお願いでしたので江戸時代の謹慎みたいなものですね。
■遠慮
他には遠慮があります。関西では「遠慮の塊」という言葉がありますが、本当の遠慮は自宅に籠ることですが、夜中に出歩くぐらいは目をつむってもらったようです。また他人が訪れるのはOKでした。もう一つ厳しくなると逼塞(ひっそく)になると他人が訪れるのもダメになります。吉田松陰は脱藩によって命じられたのが逼塞です。
閉門は門扉や窓を閉めて、昼夜ともに出入りを許さない状態ですので、こうなるとロックアウトですねえ。
疫病バトン 第七回(最終回)は「ベニスに死す」です。
【疫病バトン・ルール】
●疫病をテーマに7日間投稿する
●友達にバトンをお願いしたらダメ。友達をきっとなくします(笑)
トーマス・マンの「ベニスに死す」をルキノ・ヴィスコンティが1971年に映画化しました。テーマ曲にグスタフ・マーラーの交響曲第5番・第4楽章アダージェットが使われ、とっても印象的。舞台は疫病が流行しているベニス。主人公も最後は疫病で命を落とします。
■リド海岸へ
大昔の学生は小田実の「何でも見てやろう」や五木寛之の「青年は荒野をめざす」に感化され、バックパックに荷物を詰め込んだ放浪旅行が流行っていました。持参するのは「地球の歩き方」。ヨーロッパを目指すなら赤い表紙が印象的なトーマスクックの時刻表です。ということで航空券だけ予約してバックパックを持ってヨーロッパへ出かけました。
目的の一つがベニスのリド海岸、そう「ベニスに死す」の舞台です。夜行列車でベニスに入り現地で知り合った日本人学生と水中バスでリド海岸へ向かいました。リド海岸といっても単なる海水浴場、他のメンバーは映画を見ておらず感激しているのは私一人だけ(笑)。皆、大学四回生だったのでアドリア海を見ながら「日本へ帰ったら就職だなあ」としゃべっていたのを思い出しました。
ツンドクを整理中。来年の大河ドラマ「青天を衝け」主人公である渋沢栄一の講演録をまとめたものです。
資本主義は算盤(ソロバン)が大切ですが、利益を増やしたい、金持ちになりたいという欲望だけですとバブル経済をみても分かるように暴走し、大きな惨事を引き起こしがちです。そこで暴走を歯止めする手段として論語を取り入れ、自分を律する大切さを説いています。
現在では算盤はITですが効率化などで暴走しないように、無駄なことにも配慮する姿勢が大切ですねえ。やはり何の生産性もない山城登りが大切ですなあ(笑)。
資本主義の父という側面だけでなく、東京市養育院を設立するなど人格者だった渋沢栄一ですが、女性に関してはだらしなく子供は30人以上もいたようです。渋沢自身も「婦人関係以外は一生を顧みて天地に恥じない」と自覚していました。
ツンドクの整理中。今回は「わたくしが旅から学んだこと」 (小学館文庫) です。
日曜日の朝、よく見ていたのが「兼高かおる世界の旅」。芥川隆行との掛け合いが面白かったですね。まだまだ海外旅行が高根の花だった時代、当時の若者は小田実の「何でも見てやろう」、五木寛之の「青年は荒野をめざす」に影響されていました。トーマスクックが破綻する時代がくるとは思ってなかったですね。
映画「80日間世界一周」のむこうをはって行ったのが「80時間世界一周」。東京-マニラーバンコク-カラチ-ローマ-チューリヒ-デュセルドルフ-コペンハーゲン-アンカレッジ-東京と巡るコースで1958年に兼高かおるさんが73時間9分35秒で世界最速記録を作ります。この記録は今も破られていません。なぜならプラペラ機の記録だからなんだそうで(笑)。