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今日の午後は明日の結婚式の打ち合わせや結婚相手のご両親のお宅訪問やお祝いの席などいろいろイベントが続きました。そうそう大阪ではココスコと言っていますが、カナダではココスと発音し、買い物に行ってきました。
朝は時間があったので地下鉄に乗って奥さんとカサロマ城へ出かけてきました。城と言ってもできたのは最近で、財産家であるヘンリー・ぺラットが1911年から3年近くかけて造った邸宅。
中世の城を思わせる造りになっています。カサロマという名前はスペイン語で「丘の上の邸宅」という意味。名前通り、小高い丘の上にありますが、当然ながら戦国時代の城のように郭などはありません。(笑)
その代わり、地下に長い地下トンネルがあり、トロントのダークサイドと書いてあるので入ってみましたがトロントで起きた大火の写真などが飾られていました。かなり歩いた奥に温室があり、カサロマ城で飾る植物を育てていました。さすがにこんな地下トンネルまで行く観光客はほとんどおりませんでした。(笑)
カテゴリー: 城・山城
北田原城(生駒市)
白金長者屋敷
志村城跡 板橋に残る城跡
赤塚城(高島平に残る城跡)
田原城跡(四条畷)
芥川山城 天下人・三好長慶の城
雪の上津部田城(津市)
桐ケ谷城 三重県・青山町
青山町駅の北側に城氏城がありますが南側にあるのが桐ケ谷城。
桐ケ谷城も青山町駅のホームから見えていて、鉄塔が建っている山です。坂を登り、山に着いたら道なきヤブの中を登っていきますが城氏城ほど急ではありません。ですがスーツ姿で登るのはあまり、おすすめしません、(笑)
頂上に方形郭で四方が土塁と堀に囲まれた城があらわれます。かなり崩れていますが土塁の高いところは5メートルぐらいありました。郭の中はけっこう広いのですが、ヤブ状態。木に青いパネルがつけられており、伊賀の山城ではこの青いパネルに城の名前が書かれていて本丸跡の目印になります。もっともパネルに桐ケ谷城の字は見えないぐらいになっていました。
城の記録は残っていないようですが、すぐ近くに初瀬街道(奈良と伊勢を結ぶ街道)があり、街道のすぐ山側に阿保城(あおじょう)があります。聖武天皇の阿保頓宮があったとことも言われています。
桐ケ谷城は阿保城のすぐ裏手の山なので阿保城の詰城か支城だったのでしょう。城氏城が初瀬街道の向こう側に見え、青山町の街道宿は城氏城、桐ケ谷、阿保城の3つの城が連携して守っていたのでしょう。
城氏城 天正伊賀の乱の舞台
専門家派遣の帰りに近鉄・青山町駅で下車。
青山町駅のホームからすぐ北に小山が見えていて日生学園の看板がかかっていますが、ここが城跡。低い山なのでスーツで大丈夫だろうと、登りはじめましたが、これが大きな間違い(笑)。途中からヤブだらけの崖をエッチラオッチラ登ることになってしまいました。
城を探索して帰りに分かったのですが、登るのなら山沿いの西に舗装されていない道の途中に山から水が流れているところがあり、ここからだと比較的、簡単に山に登れます。たぶん大手道だったんでしょう。本丸近くまで水の流れが続いていて、籠城するなら水の確保はとても重要です。現在まで水の流が続いているとなると、かなり考えて縄張したのでしょう。
この城は城氏の城ということで城氏城という名前になっています。城八太夫という人物がいて、信長と戦った天正伊賀の乱について書かれた伊乱記に名前がでてきます。城氏城も天正伊賀の乱の舞台だったようです。青山町は青山高原を超えたところにあり、伊勢から北畠(織田)信雄が攻めると、ちょうど伊賀への入口にあたりますので、いの一番で攻められたんでしょう。
いくつかの郭と本丸を取り巻く堀と土塁がなかなか見事でしたが本丸は狭かったです。歩いて15歩ほどしかありませんでした。