大阪府よろず支援拠点が入っているマイドーム大阪。
マイドーム大阪の場所には江戸時代、西町奉行所がありました。江戸の町奉行所と同じく東町奉行所と1ヶ月ごとに交代する月番制システム。出来たのは1619年ですので、大坂夏の陣(1615年)が終わって、4年後に大坂が復興した頃にできたんですね。
もっとも最初は東町奉行所、西町奉行所ともに京橋口にあったそうです。1724年に享保の大火で焼けた後、東町奉行所は同じ京橋口に再建されましたが、リスク分散のために西町奉行所はマイドーム大阪の場所に再建されます。享保といえば享保の改革があった頃ですね。
「大塩平八郎の乱」で有名な大塩平八郎は東町奉行の元与力で陽明学者でもありました。大阪には今も与力町や同心町という名前が残っていますので、与力の社宅があったんでしょうね。
宝暦9年(1759年)の古地図が家にあるので本町橋あたりを見てみたら、きっちり西町奉行所が掲載されていました。しかも本町橋を過ぎたところで東横堀川が少し曲がっていますが、この川の曲線は今も残っていますねえ。秀吉の時代からのもので、総構で横矢がかかるようにした工夫なのでしょう。
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マイドーム大阪は秀吉の砦跡だった
マイドーム大阪7階にある大阪府よろず支援拠点で窓口相談していますが玄関に西町奉行所跡という碑が建っています。
マイドーム大阪を建築する時、調査が行われ、地下4mのところから溝で囲まれた建物が見つかりました。マイドーム大阪は総構の砦跡だったようです。総構というのは城だけでなく城下町を含めた外側を取り囲んだ土塁と堀。大坂城では8kmにも及びました。
後北条氏が秀吉の小田原攻めに備えて小田原城の周りを総構で囲みましたが、今も早川口など遺構が残っています。秀吉が京都に造った御土居も総構。現在のところ、最古の総構は荒木村重の有岡城(伊丹城)といわれています。織田信長が荒木村重を攻めるのに、総構があったせいで相当な時間がかかりました。
マイドーム大阪のすぐ脇を横堀川が流れています。川の上を高速道路が通って暗いのですが、この川が名前の通り、秀吉が造らせた総構の堀跡。本町橋があり、水上バスが停留できる施設を建設中です。
■本町橋
400年前に行われた大坂の陣で総構を包囲した徳川軍に向かい、ここから塙団右衛門(ばん だんえもん)が夜討ちをかけました。塙団右衛門は本町橋の上に床几を置いて夜討ちを指令し、「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒かせたそうです。うまいプロモーションですなあ。(笑)塙団右衛門は翌年の大坂・夏の陣の紀州攻めで討ち死にしています。
マイドーム大阪跡は江戸時代に西町奉行所となり、明治になってからは奉行所の建物をそのまま使って、初代大阪府庁となりました。それで今も大阪産業振興機構や大阪府中小企業団体中央会などが入居しているんですね。
マイドーム大阪
マイドーム大阪・7階にある大阪府よろず支援拠点へ。サブ・コーディネータ勤務の2日目で、朝から相談に入っておりました。
マイドーム大阪は堺筋本町駅と谷町四丁目駅の真ん中ほどの松屋町筋(大阪では「まっちゃまち」と発音します)にあるので、駅からは少し歩きます。雨の日はちょっとつらいですね。
地下を通って濡れずにいけるサンパルの「ひょうご産業活性化センター」は雨の日は最適なんですが朝は地下街が空いていないので、結局は雨が降っている地上を歩かないといけません。
さて、まずはマイドーム大阪近辺のお店をいろいろと開拓しないと。