
名古屋の笠寺観音のすぐ近くにあるのが見晴台遺跡。
笠寺台地の東端にあり、周囲に比べ標高が15メートルほどある丘の上で、名前の通り見晴らしがよいところです。周りは住宅街になっていますが古代は海でした。縄文時代から人が住み始めましたが、弥生時代には集落が誕生します。東西約120メートル、南北約200メートルの周りを幅・深さとも約4メートルの堀(環濠)で丸く囲んでいました。魏志倭人伝に書かれた倭国大乱の頃でしょう。
堀跡が一部復元されていましたが、底がV字形の尖った形で、戦国時代の薬研堀にそっくり。堀の深さが4メートルもあって、しかも土塁までありました。かなり防御力が高い環濠集落です。発掘によれば集落は200年ほど続いたあと環濠が埋められており、名古屋市周辺の複数の環濠集落でも同様の動きがあるので、統一政権みたいなものが誕生したのかもしれません。
古代の名古屋といえば尾張氏が勢力を持ち、一族の一つが大海氏で大海氏が養育したのが大海人皇子。壬申の乱で勝利できたのは尾張氏のおかげでした。弥生時代に誕生した統一政権が尾張氏や尾張物部氏になったのかもしれません。
ただ不思議なのは桶狭間の合戦の舞台となった鳴海城に近く、見晴台も城をつくるには好立地だったはずですが、なぜか戦国時代の城は作られませんでした。太平洋戦争時代は立地に目をつけて高射砲陣地が作られ、今も土台が残っています。見晴台遺跡には見晴台考古資料館もあり、おすすめです!
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名古屋のパワースポット高牟神社(たかむじんじゃ)

朝、津新町駅からいつもより早い電車に乗って、30分ほど早く名古屋に着きましたので途中下車してパワースポット巡りをしてきました。名古屋も古い土地で、邪馬台国説もある奈良の纏向遺跡には東海地域の土器が入り、尾張が古代から国造りに関わっていたことが分かっています。
地下鉄桜通線・車道駅のすぐ近くにあるのが物部神社。式内社ですから、そうとう古くからあります。祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)。境内に大きな石があり石神神社とも呼ばれています。
物部神社から400mほど行ったところにあるのが高牟神社。ここも式内社で、高牟とは鉾のこと。物部氏の武器庫があったようです。境内には延命長寿に霊験があるという名泉「古井の清水」があります。手水場がそうなんですが、朝からペットボトルに水をつめている人がいました。
最近では、この水を飲むと「恋が生まれる」とも言われているそうで、ほんまですかねえ。一帯は物部郷古井村と呼ばれ物部氏の拠点があったようです。湧水が豊富な土地だったようで、近くの吹上にはサッポロビール工場(今の浩養園)がありました。
高牟神社から吹上に向かって郡道を歩くと左右が坂になっていることがよく分かります。郡道は台地の尾根道になっていて伊勢神宮外宮から内宮へ向かう参宮街道ほどきつくはないですが建物がなければ遠くまで見渡せる一等地です。最後に吹上八幡社にお参りして名古屋市新事業支援センターに到着。
中古車のベストマイカー

名古屋市新事業支援センターのある吹上ホールの隣が吹上公園。小さな公園ですが、緑が多く都会のオアシスになっていて、朝夕によく通っています。
朝、吹上公園を歩くと鳥の声が聞こえますが、時たまカッコウの声まで聞こえ、癒されます。すごいなあ、こんな小さな公園にまでカッコウがいるんだと思っていたら、実は隣にある中古車のベストマイカーが流しているBGMの音。
夕方には洋楽がかかっていますが、最近、流れているのは高校野球のラジオ放送。どっちが勝っているのかよく分かります。
ベストマイカーですが、展示されている中古車には値札はついておらず、フロントガラスにペンキで金額やエアコンの有無、走行距離などが直接書かれています。「今から48年前の車」というのもありますが、10年前に見た時も同じ文句じゃなかったけ?
平日の朝、夕しか店の前を通らないので、日中は知らないのですが中古車を売買する人は来ているんですかねえ。買ったらあのペンキは店で落とすのかなあ。
物部神社(名古屋)
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今日は名古屋市中小企業振興公社で長年、常務を勤められた方の送別会があったので参加してきました。
開始まで時間があったので、まずは千種にある高牟神社へ。ここは尾張物部氏の拠点があったところ。またすぐ近くぬ物部神社があります。そのまま名古屋駅前に移動して送別会に参加。今から大阪へ戻ります。木曜の近鉄特急はさすがにすいています。
ナナちゃん人形
不思議な西枇杷島駅

今池 地名の由来(名古屋)
尾頭塚(金山)
金山・尾張元興寺跡のすぐ近くにあるのが尾頭塚。
鎮西八郎と呼ばれた源為朝の墓なんだそうです。源為朝は保元の乱では崇徳上皇方に属して戦いましたが敗れ、伊豆大島へ流されます。ところが伊豆大島で暴れて、島を事実上支配したので、追討を受け自害しました。
為朝には義経と一緒で英雄生存説があり、伊豆大島を脱出して琉球に渡り、琉球王になったという小説が滝沢馬琴の「椿説弓張月」。小説のもとになったのが琉球王国の正史「中山世鑑」でここに書かれていたのをネタにしたようです。この小説に熱田大宮司の藤原季範(為朝の親族)に船で会い、熱田の地に来ることを勧められます。誘いは断りましたが、子供を季範に託す話が出ています。
どうも金山駅近くの古渡の地は源氏との関わりが昔から深かったようです。実際、大島、大矢、磯部という姓の住人が多く、これらの名前は為朝の一番信頼の置ける従者の名前でした。
そういえば熱田神宮の前で源頼朝が生まれましたが、これはお母さんが季範の娘だったことからです。源氏との深い結びつきから為朝塚が作られたのでしょう。尾張元興寺も為朝の子である尾頭義次によって再興されました。尾頭橋などの名前はこの義次が由来になっています。
尾張元興寺
午後は名古屋ソフトウェアセンターで会議。日本一分かりにくい名鉄名古屋駅ホームから金山駅へ出かけてきました。東に向かう名鉄電車は全て金山駅に停車するので、とりあえず来た電車に乗ればよく、これなら迷うことはありません。
金山駅のすぐ近くに尾張元興寺があります。元興寺というと奈良町にある寺が有名です。蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最初の仏教寺院・法興寺が前身で、平城京遷都に伴い、法興寺を移転したのが元興寺と言われていましたが、どうも飛鳥の法興寺は移転せず、そのまま残って今の飛鳥寺になったようです。
元興寺と言えば、有名なのが鬼。敏達天皇の頃。尾張国の農家に落雷と共に子供の姿の雷神が落ちてきました。やがて農夫の妻が、雷神の申し子とでも言うべき子供を産み、この子供が奈良の元興寺の童子となりました。元興寺の鬼退治をして、その後、出家し法師になったという伝説があります。
日本霊異記などに書かれている話ですが、この法師が故郷の尾張・古渡に帰って建てたのが尾張元興寺。発掘調査では飛鳥地方と深い関係のある瓦が出土していて名古屋に初めてできた寺の一つです。金山駅周辺は高台になっていますので、ここに伽藍が建っていたらランドマークとなり、目立ったでしょう。、


