大雪

tsu201102.jpg津は朝、晴れていたのですが、だんだん曇ってきて14時くらいから雪に。見る見るうちに積もり始め積雪が5cmほどに。

東大阪へ戻るため津駅から近鉄電車に乗ると、大雪の影響で電車は遅延。名古屋線、大阪線、京都線とも特急などが連絡しているので遅れが全路線に伝播。

それにしても青山高原から榛原あたりは、雪国のような様相でした。伊賀神戸駅には伊賀鉄道の電車が止まっていましたが、中は真っ暗で学生が20名ほど乗っていました。駅のアナウンスで「伊賀鉄道は大雪で止まっています」と流れていたので再開を待っているのでしょう。

大和八木あたりまで戻ってくると雪も少なくなり、大阪も降ったのですが積雪はなくなっていました。結局、30分ほど遅れて到着。

忍者の里 伊賀へ

kayamati201101.jpg朝から近鉄で伊賀へ

伊賀神戸で2両編成の伊賀鉄道に乗り換えて上野へ向かいます。上野市駅の一つ手前の広小路駅で降りると昔の大和街道がそのまま商店街になっています。。伊賀は盆地なので京都と同じで底冷えしますね。さすがに雪はありませんでした。

大和街道は奈良から伊賀を経由して伊勢に通じる道で途中で分岐して江戸へ向かう道でもありました。この街道筋にあった鍵屋の辻で江戸へ向かう河合又五郎を仇討したのが渡辺数馬と荒木又右衛門。曾我兄弟、赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つです。今は資料館や碑が残っています。

用事をすませて、茅町から伊賀鉄道で帰ってきました。伊賀神戸、上野市は終着駅なので駅員がいますが、他に唯一駅員がいるのが茅町駅。伊賀鉄道はワンマンカーなので、無人駅は先頭のドアだけ、ここだけは全ての車両のドアがあきます。

大河ドラマ 江姫ふるさと周遊バス

gou201101.jpg津の四天王寺前を通ったら三重交通の「江姫ふるさと周遊バス」が止まっていました。大河ドラマ「江 姫たちの戦国」ゆかりの土地を回るコースです。コースは伊勢上野城跡、 高田本山専修寺、 津城跡、四天王寺を巡ります。

先週の放送で、早々と小谷城が堕ちましたが、あの後、お市と三姉妹が移り住んだのが三重の津にある伊勢上野城。(伊賀上野城ではありません)織田信長の弟である織田信包が城主でした。

四天王寺には織田信長の母親である土田御前の墓がありますので、母親も一緒だったようです。土田御前は信長の弟である信行を溺愛し、これが元で信長は信行と戦って殺してしまいますので、信長とは当然そりがあわなかったでしょう。織田信包はどうも信長やお市と同母で、信長が預けるには最適な人物でした。

やがて織田信包と三姉妹らは伊勢上野城から津城へ移ります。津城には5層の天守閣が作られました。鈴鹿にあった伊勢神戸城の神戸信孝(信長の三男)も5層の天守閣を作り、田丸城(玉城町)に入った織田信雄(信長の二男)も天守閣を作りましたので三重にあった要の城はなかなか壮大な眺めだったようです。

朝日屋渋滞

sukiyaki201012.jpg津市の国道23号線沿いに朝日屋という松阪肉などを販売するお店があります。秘密のケンミンショーで紹介されていましたが、津では正月におせちと一緒にすき焼きを食べるのが常識。世帯当たりの年間牛肉購入額も全国有数です。

津で松阪肉を購入するお店として、よく名前があがるのが朝日屋か伊勢屋。特に朝日屋の正月前の混雑は有名で、国道23号線沿いには駐車場に入れない車の列で渋滞ができます。

今日も朝8時前だというのに20人ほどの列が出来ていました。9時開店なんですがに、開店前にどれぐらい並ぶんでしょうか。遊園地の人気アトラクションより長くなるのは確実で、正月前に朝日屋で松阪肉を買うのに2、3時間待つのは当たり前。世間では不況って言っていますが、あの行列を見ていると「ほんまかいなあ」と印象ですね。

お茶の花

matu2010112.jpg夜、中小企業団体中央会主催の桑名セミナーを終わってから中央会の車に乗せてもらって津へ戻る途中に携帯に電話。

「水谷さん、ホームページが消えてしまった!」
「消えたって、どういうこと?」

なんか操作しているうちにおかしくなって、ホームページそのものがサーバーから消えてしまった模様。しばらく電話で、これ調べてとかやっていましたが、ラチがあかないので
「明日、行きます!」
matu2010113.jpg大阪に帰らず、津に泊って正解でした。

朝、阿漕駅からJRに乗って出発。阿漕駅は無人駅なので社内で切符を買おうと車掌さんを呼び止めると後ろに車掌さんが5名ほどいて発券の手続きを見ています。新人研修なんですねえ。帰りに近鉄に乗ったら運転手の横で指導の腕章をつけた指導員が同乗していました。

さて松阪駅から飯南町へ。
とりあえずバックアップがあったのでFTPを使って復活。エラーによって検索順位が下がるはずなのでGoogleウェブマスターツールでサイトマップなどを送信。これでちょっとはましでしょう。飯南町は深蒸し茶の産地なんですが、茶畑を見ると白い花が咲いています。

お茶屋さんに聞いたら、この時期になると直径3cmくらいの白い花が咲くそうです。お茶の木も花が咲くんですねえ。

三重県電話発祥の地(桑名)

kuwana2010111.jpg午後、桑名へ

桑名の街を歩いていると三重県電話発祥の地という碑を発見。桑名が一番最初だったんですね。

七里の渡し(昔の東海道は愛知県の熱田神社あたりから船で桑名へ向かいました)の上陸地一帯はずっと工事していたのですが、きれいな遊歩道にすっかり様変わり。なかなかおしゃれになっています。

七里の渡しの鳥居は伊勢神宮の遷宮時に古い社殿の木で
kuwana2010112.jpg建て直されます。ここから伊勢の神様の土地になるということを示す一の鳥居です。

さて桑名の企業をまわってから、夜に事業協同組合でホームページのセミナーをして津へ戻ってきました。

伊賀・佐那具へ

sanagu20102.jpg津から紀勢本線に乗り亀山駅で関西線に乗り換え。

亀山から伊賀へ向かう路線はなかなか見どころがあります。草津へ分岐する柘植駅の手前にはスイッチバック跡が残っていますが、さすがに今は使っていません。

大学時代は京都行きの急行があったのでよく乗っていましたが、スイッチバックに入ると運転手が運転席から一番後ろの運転席へ移って車両をバックさせ、また戻って進むなど面白かったですね。

sanagu201013.jpg佐那具駅で下車。昔は大和海道が走っており本陣もおかれていました。大海人皇子が壬申の乱で関東へ向かう時に使った道でもあります。さて佐那具に事業再生の相談にのっている企業があるのですが経緯を確認して、いくつかアドバイスをしてから大阪へ戻ってきました。

伊賀は周りが山で囲まれた盆地で、冬は寒いのですが今ぐらいの季節から紅葉シーズンが一番いいですねえ。佐那具駅近くを流れている川がずっと大阪まで流れて大和川になります。

お江のノボリ

go201010.jpg津城近くの丸の内商店街や四天王寺にずらっとお江のノボリが並んでいました。来年の大河ドラマが「お江」なので、津市では「ゴーちゃん」というキャラクターを作って地域起こしに取り組んでいます。

お江は浅井長政とお知の方の子供で近江の小谷城で生まれましたが、生まれた年に織田信長によって小谷城は落城。助けられたお市の方、姉の淀君と供に信長の弟(信包)のいた津に落ち着きました。織田信包は信長のお母さんの土田御前をその前から引き取っています。土田御前はそのまま津でなくなり、お墓は四天王寺にあります。

お江が落ち着いたのは津の北部にある伊勢上野城という高台にある城で、目の前には伊勢湾がひろがっています。ここに7歳までいて、その後、織田信包が現在の津城に移ったので、津城に9歳までいました。そしてお市の方が柴田勝家と再婚したので福井の北庄城に移ります。

お江は幼少期、ずっと津にいて伊勢湾を眺めていたはずなんですが、NHKの脚本家はたぶん琵琶湖を眺めるようなシーンにしてしまうんでしょうね。

粥見へ

kayumi201001.jpg松阪駅で降り、飯南町行きの三重交通バスに。

朝の時間帯ですが乗っているのはわずか3人。しかも他の2人はすぐ降りてしまい、ずっと乗っていたのは私一人だけ。こんなんで路線維持できるんですかねえ。

バスは松阪市街を走り、やがて田園地帯へ、20分ほど走ると大河内に着きます。北畠氏の大河内城があったところで織田信長の伊勢侵攻の舞台になったところです。大河内を過ぎ、大石というところを過ぎると、ずっと櫛田川沿いをバスは走ります。

kayumi201002.jpg櫛田川は峡谷になっていて、なかなかの眺め。やがて川沿いに茶畑が拡がり始めます。三重県は静岡、京都に続く全国3番目の茶どころですが、飯南はこのお茶で有名です。さて粥見神社前でバスを下車。けっこう古い神社で、北畠親房も参拝したとか。なかなか雰囲気のある神社でした。

さて楽天市場へ出たばかりのショップさんへ。朝から夕方までIT相談でした。

津も暑い!

iwata.jpg津へ移動する時は上六(上本町六丁目)から6:33発のアーバンライナーに乗っていますが、こんな朝早い車両には誰も乗っていません。次の鶴橋で2、3人乗りこんで、そのまま大和八木へ。

大和八木で今日は珍しく10名ほどが乗り込んできました。次の名張でもまあまあ乗りこんで、珍しく乗客が多い日でした。といっても20名ほどですので、ゆったりしたものです。

アーバンライナーの中は冷房がきいているので快適ですが、津で降りると朝からムッとしています。湿気が多いのがなんとも。明日は中秋の名月だというのに、この陽気では盛夏の名月になりそうです。

帰りに岩田川沿いを歩きましたが、全然、涼しくなかったです。写真の塔は中部電力三重支社。このあたりで南北朝の戦い「岩田川の戦い」が行われました。南北朝の和解で、双方から順番に天皇になるという約束がありましたが、これが反故になり南朝方の北畠満雅が多気から出陣し、幕府軍と岩田川で戦い戦死します。