お茶の花

matu2010112.jpg夜、中小企業団体中央会主催の桑名セミナーを終わってから中央会の車に乗せてもらって津へ戻る途中に携帯に電話。

「水谷さん、ホームページが消えてしまった!」
「消えたって、どういうこと?」

なんか操作しているうちにおかしくなって、ホームページそのものがサーバーから消えてしまった模様。しばらく電話で、これ調べてとかやっていましたが、ラチがあかないので
「明日、行きます!」
matu2010113.jpg大阪に帰らず、津に泊って正解でした。

朝、阿漕駅からJRに乗って出発。阿漕駅は無人駅なので社内で切符を買おうと車掌さんを呼び止めると後ろに車掌さんが5名ほどいて発券の手続きを見ています。新人研修なんですねえ。帰りに近鉄に乗ったら運転手の横で指導の腕章をつけた指導員が同乗していました。

さて松阪駅から飯南町へ。
とりあえずバックアップがあったのでFTPを使って復活。エラーによって検索順位が下がるはずなのでGoogleウェブマスターツールでサイトマップなどを送信。これでちょっとはましでしょう。飯南町は深蒸し茶の産地なんですが、茶畑を見ると白い花が咲いています。

お茶屋さんに聞いたら、この時期になると直径3cmくらいの白い花が咲くそうです。お茶の木も花が咲くんですねえ。

三重県電話発祥の地(桑名)

kuwana2010111.jpg午後、桑名へ

桑名の街を歩いていると三重県電話発祥の地という碑を発見。桑名が一番最初だったんですね。

七里の渡し(昔の東海道は愛知県の熱田神社あたりから船で桑名へ向かいました)の上陸地一帯はずっと工事していたのですが、きれいな遊歩道にすっかり様変わり。なかなかおしゃれになっています。

七里の渡しの鳥居は伊勢神宮の遷宮時に古い社殿の木で
kuwana2010112.jpg建て直されます。ここから伊勢の神様の土地になるということを示す一の鳥居です。

さて桑名の企業をまわってから、夜に事業協同組合でホームページのセミナーをして津へ戻ってきました。

伊賀・佐那具へ

sanagu20102.jpg津から紀勢本線に乗り亀山駅で関西線に乗り換え。

亀山から伊賀へ向かう路線はなかなか見どころがあります。草津へ分岐する柘植駅の手前にはスイッチバック跡が残っていますが、さすがに今は使っていません。

大学時代は京都行きの急行があったのでよく乗っていましたが、スイッチバックに入ると運転手が運転席から一番後ろの運転席へ移って車両をバックさせ、また戻って進むなど面白かったですね。

sanagu201013.jpg佐那具駅で下車。昔は大和海道が走っており本陣もおかれていました。大海人皇子が壬申の乱で関東へ向かう時に使った道でもあります。さて佐那具に事業再生の相談にのっている企業があるのですが経緯を確認して、いくつかアドバイスをしてから大阪へ戻ってきました。

伊賀は周りが山で囲まれた盆地で、冬は寒いのですが今ぐらいの季節から紅葉シーズンが一番いいですねえ。佐那具駅近くを流れている川がずっと大阪まで流れて大和川になります。

お江のノボリ

go201010.jpg津城近くの丸の内商店街や四天王寺にずらっとお江のノボリが並んでいました。来年の大河ドラマが「お江」なので、津市では「ゴーちゃん」というキャラクターを作って地域起こしに取り組んでいます。

お江は浅井長政とお知の方の子供で近江の小谷城で生まれましたが、生まれた年に織田信長によって小谷城は落城。助けられたお市の方、姉の淀君と供に信長の弟(信包)のいた津に落ち着きました。織田信包は信長のお母さんの土田御前をその前から引き取っています。土田御前はそのまま津でなくなり、お墓は四天王寺にあります。

お江が落ち着いたのは津の北部にある伊勢上野城という高台にある城で、目の前には伊勢湾がひろがっています。ここに7歳までいて、その後、織田信包が現在の津城に移ったので、津城に9歳までいました。そしてお市の方が柴田勝家と再婚したので福井の北庄城に移ります。

お江は幼少期、ずっと津にいて伊勢湾を眺めていたはずなんですが、NHKの脚本家はたぶん琵琶湖を眺めるようなシーンにしてしまうんでしょうね。

粥見へ

kayumi201001.jpg松阪駅で降り、飯南町行きの三重交通バスに。

朝の時間帯ですが乗っているのはわずか3人。しかも他の2人はすぐ降りてしまい、ずっと乗っていたのは私一人だけ。こんなんで路線維持できるんですかねえ。

バスは松阪市街を走り、やがて田園地帯へ、20分ほど走ると大河内に着きます。北畠氏の大河内城があったところで織田信長の伊勢侵攻の舞台になったところです。大河内を過ぎ、大石というところを過ぎると、ずっと櫛田川沿いをバスは走ります。

kayumi201002.jpg櫛田川は峡谷になっていて、なかなかの眺め。やがて川沿いに茶畑が拡がり始めます。三重県は静岡、京都に続く全国3番目の茶どころですが、飯南はこのお茶で有名です。さて粥見神社前でバスを下車。けっこう古い神社で、北畠親房も参拝したとか。なかなか雰囲気のある神社でした。

さて楽天市場へ出たばかりのショップさんへ。朝から夕方までIT相談でした。

津も暑い!

iwata.jpg津へ移動する時は上六(上本町六丁目)から6:33発のアーバンライナーに乗っていますが、こんな朝早い車両には誰も乗っていません。次の鶴橋で2、3人乗りこんで、そのまま大和八木へ。

大和八木で今日は珍しく10名ほどが乗り込んできました。次の名張でもまあまあ乗りこんで、珍しく乗客が多い日でした。といっても20名ほどですので、ゆったりしたものです。

アーバンライナーの中は冷房がきいているので快適ですが、津で降りると朝からムッとしています。湿気が多いのがなんとも。明日は中秋の名月だというのに、この陽気では盛夏の名月になりそうです。

帰りに岩田川沿いを歩きましたが、全然、涼しくなかったです。写真の塔は中部電力三重支社。このあたりで南北朝の戦い「岩田川の戦い」が行われました。南北朝の和解で、双方から順番に天皇になるという約束がありましたが、これが反故になり南朝方の北畠満雅が多気から出陣し、幕府軍と岩田川で戦い戦死します。

おかげベンチ(伊勢)

okage201009.jpg朝から伊勢へ。

近鉄・宇治山田駅のバス停で待っていると、あちこちに茶色のベンチが置いてありました。以前はベンチなど少ししかなくバス待ちのお年寄りは立っているしかなかったので、なかなか便利です。

ベンチは茶色で背に企業広告が入っています。間伐材を使ったベンチで、企業からのスポンサー協賛金で作られていて設置側が費用がいらないビジネスモデルになっています。名前は「おかげベンチ」で作っているのは貫じん堂。このビジネスモデルで先日行われたソーシャルビジネストライアル東海・北陸リーグビジネスプランコンペで優秀賞を受賞されていました。

さて、バス停でしばらく待って「おかげバス」に乗車。伊勢市のコミュニティバスで、交通弱者を支援する仕組みなんですが、乗車は2人だけ(笑)

「おかげバス」は伊勢と郊外の住宅地を結ぶ路線なんですが、住民は少しでも乗って残さないと車に乗れなくなった時にアウトになるんですがね。やっぱり目先の便利な車を使うようです。私も伊勢に行った時しか乗っていませんので、ほとんど貢献していません。

近鉄が沿線の少子を考え来年大幅なダイヤ見直しを計画していますので、せっせと近鉄にも乗らないといけませんね。

琵琶湖は三重の伊賀にあった!

kikyou2010081.jpg近鉄電車で桔梗が丘駅へ。名張、桔梗が丘は奈良から三重に入ったすぐの地域ですが大阪から電車で1時間ほどのところでベッドタウンとして開けました。ただ一戸建てを買った世代は団塊の世代でちょうど定年を迎え、近鉄の定期利用ががたっと減っているそうです。

今日は桔梗が丘の住宅街にある企業さんへ、広い家やゆったりした道路がいいですね。途中にけっこう大きな公園があり、散策にいいなと池の周りを巡っていると、ここらへんの地層は古琵琶湖になるという立て札がありました。

kikyou2010083.jpg古琵琶湖?琵琶湖って滋賀県の琵琶湖と関係があるのと思って調べてみました。そしたらびっくり仰天、琵琶湖って三重にあったんですね。最初の琵琶湖は三重県の大山田村でした。ただし400万年前の話です。これがずっと北へ移動し約40万年前に現在の滋賀県に到達したんだそうです。

ですので伊賀ではゾウの化石が見つかっていてミエゾウと名付けられています。琵琶湖ですが将来は日本海に抜けてしまうのではと言われています。

桑名へ 暑いですなあ

kuwana201008.jpg8月も終わりだというのに酷暑が続いています。

今日は桑名の企業をまわっていましたが、あいかわらず暑かったですね。近鉄電車の急行に乗っていったのですが特急の待ち合わせ駅では「冷房をいれていますので、いったんドアを閉めます」とアナウンス。

冬はよくあるんですが、夏では珍しいですね。その分、車内が冷えるので大歓迎!でも電車を降りて、歩いていると暑いですねえ!秋はどこいったんだあ!

伊賀は関西?

 
iga20100801.jpg伊賀へ

JR関西線に乗って佐那具駅へ。暑かったのですが田園地帯が広がっていて歩くと気持ちいいですね。今日は3社ほど巡ってきました。さて三重県は近畿なのか中部なのか昔から問題になっていますが、伊賀は完璧に近畿です。というか大阪文化圏です。

今週の日経新聞に市外局番の話題が載っていましたが、大阪の市外局番は「06」で大阪の周辺は「07」です。三重は「05」なんですが、市外局番を決める時に伊賀は大阪の
 
iga20100802.jpg周辺地域なので「07」にしてほしいと07運動が起こったそうです。

帰りは関西線で加茂へ出て奈良経由で帰ってきました。