黄昏の正倉院展

大学での講義が終わってからスクールバスに乗って山科駅へ、JRで京都駅へ出て、近鉄で奈良駅へ向かいます。近鉄奈良駅で正倉院展のチケットを買って、興福寺の横を通って国立博物館へ。

10分ほど歩くと国立博物館です。博物館前には観光客が多いので、鹿せんべいを狙って鹿が寝そべっています。

荷物を無料ロッカーにほうりこんで、入口に向かうと、さすがに夕方なので待ち時間なしで入場です。もっとも館内はけっこう混んでいましたね。

きれいだったのが「カットグラス」です。すごい複雑なカッティングをしており、これがペルシャから、はるばるシルクロードをたどって奈良の都まで伝わったんですね。

一番、楽しみにしていたのが写経生の休暇願と欠勤届。出口近くにありました。中には病状が悪化して、「「このままでは、命がもちませんので休ませてください」というものもありました。

写経は過酷な仕事でして、こりゃ過労死の一歩手前です。この人はこの後、どうなったんでしょうね。それにしても1300年前の文章がきちんと伝わっているのがすごいですね。時たま出品される光明皇后の堂々とした筆跡の書を楽しみにしているのですが今年はなかったですね。

八部衆が勢揃い

興福寺に出かけてきました。昼間は西ノ京にある奥さんの実家に出かけていたので興福寺に着いたのは夕方でした。

お目当ては国宝館です。ここで一番有名なのが阿修羅像ですが、これは八部衆と呼ばれる仏を守る8神の一体です。他に7つあるのですが、外へ貸し出されたりして8つ全てが揃うのは本当に珍しい。

さて国宝館にはいろいろあるのですが、とりあえず山田寺の仏頭を見て、あとは素通り、一番奥へ進みます。阿修羅像を中心に8体がずらっと並んでいました。なかなか壮観ですね。

八部衆だけ見て次は正倉院展です。16時を回っていたので列はだいぶ減っており10分ほど並ぶと中に入れました。

毎回、面白いのが古文書です。なぜか分かりませんが役所近くで藁を焼いたとかで罪を命じた文章や今で言う生活保護支給のような文章がありました。

あと経文で使う紙の払い出し帳がありました。上に何か書いてあるなと思ったら、これが「了」という字、昔の決裁印なんですなあ。

凍れる音楽 薬師寺

法事で西ノ京へ
西ノ京からずっと東へ行くと大池というところがあります。 よく池の向こうに薬師寺の塔が見え、さらに若草山の山焼きがバックになっている写真がありますが、これはこの大池から撮られた写真です。確かに薬師寺の向こうに若草山が見えます。
さて法事が終わり、時間があったので薬師寺へ。 西ノ京は奥さんの実家がある関係からよく来ておりますが、薬師寺へ入るのはほんまに久しぶりですね。 八幡さんの方から中門を通って入ると、まずフェノロサが「凍れる音楽」と表現した東塔が見えます。
昔はこの東塔がポツンと建っていた寺でしたが、白鳳時代の伽藍復興ということで中門、金堂、西塔、講堂、回廊と次々に出来上がり、昔の面影はどこにもありませんね。

西大寺へ

昨日、雨の中を西大寺へ行ってきました。
しょっちゅう近鉄・西大寺で乗り換えていますが、西大寺そのものに行ったのは、これで2回目です。以前に行ったのは確か学生時代ですね。場所は西大寺駅のすぐ近くなんですが、観光客もあまりいませんね。
西大寺は765年、称徳天皇が四天王の造立したのが最初です。ちょうど「恵美押勝の乱」が起きた時で、聖徳太子の四天王寺建立の故事にあやかったのかもしれません。 西大寺と言うぐらいなので東大寺にはりあって造られました。大伽藍でしたが兵火に焼かれたりで、現在はだいぶ小さくなり江戸時代の伽藍になっています。
本堂がいいですね。本堂を取り巻く金属製の灯籠に明かりが入っていて、光の宮殿みたいになっています。以前に来た時はなかったですね。 寺の真ん中には創建時の七重塔の礎石が残っています。