阪神百貨店スナックパーク

ひょご産業活性化センターの窓口相談が終わってから梅田へ。 

夜は梅田でお仕事ですので、その前に阪神百貨店地下1階にあるスナックパークに寄って晩御飯を食べてきました。スナックパークって関西の人しか知らないと思いますが、B級グルメばかりを集めた立ち食い専用のコーナーです。 

駅そばや讃岐うどん、お好み焼き、たこ焼きは当たり前ですが、寿司、チャーハンなどもあります。店で受け取って、全店共通の立ち食いコーナーの空いている所を見つけて食べます。おじさんばかりではなく、妙齢の女性も多いですね。昔から当たり前なので、女性も気兼ねなく入っています。 

今日の晩御飯はオムライス(380円)とイカ焼き・デラバン(200円)。オムライス専門店というとすごそうですが、フライパンで玉子をオムレツにしてジャーに入っているチキンライスを入れるだけです。一畳ほどのお店でやっていて、このオムライスを立ち食いで食べるわけです。 

「俺のイタリアン」とかが東京で流行っていますが、阪神百貨店では大昔からオムライスなどの洋食を立ち食いで食べるのが当たり前でした(笑) 

そして1日、1万枚販売するというイカ焼き!玉子が入った高級なのがデラバンです。まさに大阪のB級グルメですね。ディープな大阪を体験しようと思えば、阪神百貨店の一角にあるスナックパークがおすすめです。他の地域で同様のスタイルを見たことないですねえ。 

さすが大阪 ビールモーニング

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    中百舌鳥で研究会が終わるとJomonという居酒屋さんへよく行っているのですが、お店の横に看板がありました。 

    日替定食、朝定食というのは定番なんですが気になったのは「ビールモーニング」という文字。モーニングといえば喫茶店でコーヒーと一緒に出てくるパン、ゆで玉子じゃないのと思ったらビール、付きだしと書いてあります。しかも朝7時~10時。本当に朝からビールと付きだしなんだあ(笑) 

    よく見ると朝定食(ごはん、汁、のり、生玉子、一品)と同じ時間帯。出勤前に朝定食を食べている横でビールを飲まれたら、たまらんでしょうね。 

    店の名前はJomonと違う店名なんで、以前の店舗のようです。こんなビールモーニングを出しているのでつぶれたのかなあ。でも朝からビールモーニングというのはいいですね。しかも早朝7時から飲める店はそうそうないですね。

幼稚園児でラッシュ

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専門家派遣のお仕事で地下鉄で天王寺駅へ。朝9時過ぎの地下鉄に乗ったので、すいているはずなんですが秋の遠足シーズンのため途中から幼稚園の一団が乗ってきて、ラッシュ並みになってしまいましたあ。
まあ、みんな小さいので圧迫感はないんですが、駅に降りるのに子供を掻き分けていかないといけなくって、けっこう大変です。天王寺駅からは阪堺電車に乗って東天下茶屋駅へ。チンチン電車もすいているはずなんですが、また幼稚園の一団がいて、ラッシュでした(笑)
専門家派遣が終わってから駅近くの安倍晴明神社へ。安倍晴明の母親は信田森の狐「葛乃葉」と言われていますので境内には狐の像があります。

枚岡神社 秋郷祭2013

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枚岡神社の秋郷祭
初日がスタートし、街中をふとん太鼓が巡っています。毎年14日、15日の日程固定のお祭り。今年はラッキーなことに14日が祝日になりました。
平日開催になると近辺の会社などはお休みが当たり前。なんせ社員が担ぎ手になっていて、社員がいませんから休みにせざるをえません(笑)さすがに学校はやっていますが、「ふとん太鼓をたたくので早引けする」が続出します。
一の鳥居から太鼓台を担ぎ上げて枚岡神社に宮入。けっこうな急坂で、一番のハイライトが近鉄・枚岡駅の狭い踏切超えです。近鉄電車は特急、急行も全て徐行運転。近鉄・職員が踏切にはりついてダイヤ表とにらめっこしながら間隔が長いところを狙って一気に太鼓台を通しますが、踏切を超えたところが急坂でなかなかの難所になります。
徐行する電車に乗っている人は駅周辺の山のような人だかりに何事が起きているのなどという顔をしています。
→ 動画 枚岡祭(You Tube)

枚岡薪能

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    午前中は桑名で経営革新塾2回目。今日のテーマはプレスリリースで「自社の商売にキャッチフレーズをつけよう(販売促進を考える)」。 

    講師は「元新聞記者が教える マスコミが取材したくなる! プレスリリースの法則」(中央経済社)を上梓されたADACHI経営企画事務所の足立早恵子さんにお願いし、私はコーディネートだけでしたので楽でした。 

    桑名から東大阪へ戻って、夜、近くの枚岡神社へ行ってきました。 

    枚岡薪能が毎年、9月に枚岡神社境内で行われています。台風シーズンの季節なので、一昨年は狂言が終わったところで雨が本降りになり、屋外での能は延期になるなど、いろいろと波乱万丈の能です。 

    今日は風が少し強かったですが無事に開幕。枚岡神社は生駒山の麓で、すぐ裏は枚岡公園ですので、境内といっても木々の中にあり、虫の声が響く中、笛と鼓の音がこだまし、なかなか幽玄です。時たま近鉄電車のガタンガタンという音がするのはご愛嬌。 

    薪の火入れが終わったところで狂言がスタート。狂言は「神鳴」という都で目が出ずに地方へ営業に行く藪医者と空から誤って落ちてきた雷さんとの掛け合い漫才。 

    能は「百万」という題で、我が子と生き別れになった狂女・百万が、子を慕って狂い舞う能。能というと暗い話やおどろおどろしい話が多いのですが、珍しく最後は子供と再会してハッピーエンド。

ヱヴァンゲリヲンと日本刀展

eva201908.jpg今日は朝から原稿書き。 

ようやく一段落したんですが、もうちょっとやっといた方がよいのでお酒は我慢してコーヒー飲んでます。 

昨日、中之島図書館の帰りによってきたのが大阪歴史博物館。ここの常設展は見応えがあって、最初のオープニングが何回見てもいいですね。難波京で橘諸兄が諸官の前で宣言するシーンがあるのですが、次に難波京を俯瞰するシーンになって、時代の流れとともにだんだんと現代の姿になります。そしたら窓が開いて、現在の難波京が同じように見えます。なかなか考えています。 

常設展はそうでもなかったのですが、混んでいたのが「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」。ヱヴァンゲリヲンで使われている刃物などを日本刀の刀匠が再現したものです。ロンギヌスの槍は圧巻でした。作品はほとんど撮影OKなんだものですからカメラやスマホ片手の若者で混雑していました。 

日本刀という異色のものとコラボレーションしたところがマーケティング的にうまいですね。海外で展示したら話題になるでしょう。

21歳でなくなった北畠家の貴公子

kitabatake201309.jpg東天下茶屋の安倍晴明神社から少し行ったところにあるのが北畠公園という小さな公園。 

北畠公園の中に北畠顕家(きたばたけあきいえ)のお墓があります。北畠顕家は「神皇正統記」で有名な北畠親房の長男。16歳で陸奥守に任ぜられ、鎮守府将軍として奥州にいたのですが足利尊氏が後醍醐天皇と敵対すると上洛して新田義貞・楠木正成とともに九州へ追い落としました。この後、また奥州に赴任しています。 

ところが勢いをも盛り返した足利尊氏が九州から攻め上ってきました。そこで奥州より再度上洛。各地で転戦し、岐阜の大垣では足利方を大いに破りましたが、高師直軍との阿倍野での合戦後、堺の石津で戦死し東天下茶屋に葬られたそうです。 

北畠親房の三男である北畠顕能が伊勢国司となったことから、伊勢の北畠氏が始まります。長い間、南北朝に分かれて争っていましたが和解し、双方から順番に天皇になるという約束ができました。 

ところが足利幕府が約束を反故にしてしまいます。そこで伊勢国司北畠家の第3代当主だった北畠 満雅(きたばたけ みつまさ)が挙兵し、幕府軍とぶつかります。北畠満雅は津市の南にある雲出川において幕府軍を大敗させますが、その後、津の中心街にある「岩田川での戦い」で敗れ、北畠満雅は戦死してしまいます。こちらは津の阿漕駅の近くに碑だけ建っていてお墓はありません。 

あべのにある安倍晴明神社

abeno201309.jpg午前中は専門家派遣で大阪の企業さんへ。天王寺駅から阪堺電車(チンチン電車) に乗って3駅目の東天下茶屋駅へ。 企業さんへ寄った後に神社へ行ってきました。

駅のすぐ近くを熊野街道が通っています。熊野街道というのは大阪から熊野本宮へお参りする参道道で途中にマイルストーンとなる王子社があります。この熊野街道から近鉄百貨店あべのハルカスが見えますが、このあたりも「あべの」と呼ばれています。 

「あべの」の知名の由来は諸説あるんですが、有名なのが古代にこの地を領有していた豪族・阿倍氏の姓からとする説です。 

安倍晴明神社と言うと京都が有名なのですが、大阪は生まれた所に神社があります。安倍晴明は葛の葉という狐の子として有名。安倍晴明のお父さんが狩人に追われていた白狐を助けますが、この白狐が葛の葉で、やがて恋仲となり生まれたのが安倍晴明。ただ正体がばれると「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という一首を残して信太の森へと帰っていきます。 

やがて成長した清明は陰陽師となります。神社には狐の像もありますし、やっぱりシンボルマークは五芒星ですね。

昔は海のすぐそばだった住吉大社

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    大阪では「すみよっさん」と呼ばれている住吉大社。大阪市内を南北に走る上町台地の南端部分にあたり。住吉大社付近で6メートルぐらいの高さになっています。 

    今では海岸線は、はるか遠くになりましたが古代はすぐ近くまで海。仁徳天皇が難波高津宮に都を定めた頃には住吉津が登場しています。当時は白砂青松という白い砂と松並木が続く海岸だったようで、その頃には神社ができていたようですね。社伝では神宮皇后が住吉大神を住吉の地にお祭りしたとなっていますが、祭られているのは海の神様です。 

    日本書紀によると継体天皇時代に百済からの任那4県割譲要求があって、これを了承。ところが欽明天皇の時代になると、これが問題化し物部尾輿と共に責任を問われました。大伴金村は引退して住吉の館に入ったとあるので、この住吉は大友氏の拠点だったんですね。

夏越の祓

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    本日は1年のちょうど半分。枚岡神社の夏越の祓(なごしのはらえ)に行ってきました。 

    朝にお参りに行って、紙の人形(ヒトガタ)「に家族の名前と生年月日を書いて、先に奉納しておきました。夏越の祓は15時から。日曜なので人が多かったですね。 

    「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」と歌いながら茅の輪を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通ってケガレを祓ってきました。 

    最後に皆で大祓詞をあげながら人形を火で焼いて終わり。人形に名前を書いて祓うということは平城京時代と変わりませんね。もともとは701年の大宝律令から始まった行事ですので、1300年以上続いています。