西大寺へ

昨日、雨の中を西大寺へ行ってきました。
しょっちゅう近鉄・西大寺で乗り換えていますが、西大寺そのものに行ったのは、これで2回目です。以前に行ったのは確か学生時代ですね。場所は西大寺駅のすぐ近くなんですが、観光客もあまりいませんね。
西大寺は765年、称徳天皇が四天王の造立したのが最初です。ちょうど「恵美押勝の乱」が起きた時で、聖徳太子の四天王寺建立の故事にあやかったのかもしれません。 西大寺と言うぐらいなので東大寺にはりあって造られました。大伽藍でしたが兵火に焼かれたりで、現在はだいぶ小さくなり江戸時代の伽藍になっています。
本堂がいいですね。本堂を取り巻く金属製の灯籠に明かりが入っていて、光の宮殿みたいになっています。以前に来た時はなかったですね。 寺の真ん中には創建時の七重塔の礎石が残っています。

坂上田村麻呂の墓

京都橘大学へ
今日は学生ではなく現役看護士さん向けの講義です。認定看護師教育課程という6ケ月コースで講義の内容はもちろん情報処理です。これしか教えられませんので(笑)
昼過ぎに講義が終わりましたので、大学の最寄り駅の椥辻駅近くにある坂上田村麻呂のお墓に寄ってきました。そう日本史で勉強したあの蝦夷と戦った征夷大将軍です。ただし、このお墓はニセモノで、今日の朝刊によると、ここから2kmほど離れた西野山古墓に確定したそうです。
坂上田村麻呂の墓ですが円墳のような形状で、ニセモノだとしたら、わざわざこんなものを作ったんですかねえ。

誘惑が多い梅田の魔界

今日は大阪の梅田で仕事
お昼は梅田地下街のドトールコーヒーでコーヒーとジャーマンドッグを資料を見ながら食べることに
梅田地下街というのは不思議な空間で、おしゃれな店の隣に立ち飲み屋があったりします。それもけっこうな立ち飲み屋があり、串かつや生ビールの魅惑的な文字がそこら辺にあふれています!本当に目の毒です。
誘惑に負けず一路、仕事先へ出かけるのでした。もちろん帰りもまっすぐ帰ってきましたよ!

伊勢のお木曳

今日は伊勢商工会議所でIT窓口相談
昼休み伊勢神宮の外宮へ出かけてみました。ちょうど遷宮に向けてお木曳が行われています。 境内には白い装束の神領民の皆さんがたくさん参拝されていて、お木曳自体は終わった後でした。外宮入口には各町の旗がはためいています。
遷宮は平成25年ですが、平成17年の山口祭からいろいろなお祭りが行われています。

名古屋 伏見の大甚へ

知り合いが東京から名古屋へ長期出張しており津から「快速みえ」に乗って名古屋へ
待ち合わせ場所は伏見駅7番出口をあがったところにある大甚本店です。新橋駅のガード下の雰囲気で、酒は店員に頼めますが、酒のアテは自分でセルフサービスで取るという変わったお店。
アテはいわゆるオバンザイで油物はなし。メタボリックには最適ですなあ!!と言いながら賀茂泉をけっこう飲んでいました。
ネットで調べると大甚って明治40年創業の超老舗の大衆酒場なんですね。

壬申の乱

今日は奈良の八木駅経由で三重の桔梗が丘にある企業さんへIT相談に行ってきました。
八木駅からのんびり近鉄の各駅停車に乗って行きましたが、この近鉄のコースってちょうど大海人皇子が吉野を脱出して東へ向かったコースに重なります。
大海人皇子が吉野を出たのが672年6月24日。
大宇陀を抜けて榛原駅(菟田郡家)に着き、ここから現在の近鉄線に重なります。
榛原駅の次の室生口大野駅(大野)へ着いた頃には日が暮れてしまいました。先を急いでいる大海人皇子一行はそのまま三本松、赤目口を抜けて名張駅(隠郡)へ、着いたのは真夜中でした。ここから近鉄を離れて伊賀へ向かいます。着いたのは25日の夜明けでした。
今でしたら八木駅から名張駅って各駅停車でも30分ほどで着きますが、当時は大変だったでしょうねえ。

伊勢神宮(外宮)に神の通る道を発見!

今日は伊勢商工会議所でIT相談。
お昼、少し時間があったので外宮へお参りに。いつもは伊勢市駅から外宮へ行くのですが、先に月読宮をお参りにしてから行くことにしました。
月読宮をお参りして出ると、目の前の道に外宮への案内が、こんなことろから行けるんだとまっすぐな道を歩いていくと、これが「神路道」でした。
途中に案内があり、案内を読むと神路道とは豊受神社(外宮)から月読宮への神さんの通り道だそうです。道路の真ん中が石畳で、ここは歩いたらいけないという決まりになっています。
ずっと端っこを歩いたので大丈夫です。(笑) 神路道をまっすぐ歩くと外宮の鳥居に着きました。つまり月読宮の鳥居と外宮の鳥居が神路道をはさんで向かい合っているんですね。長らく三重におりますが、初めて知りました。(笑) 皆さんも伊勢へお参りするのなら、ぜひ月読宮から神路道を通ってみてください。

大阪で桜が開花

昨日(3/27)桜が開花したと発表されました。大阪では平年より三日早い開花でした。
開花したかどうかは標本木で判断されるそうですが、東京の標本木は上野公園にあり、大阪は大阪城西の丸庭園だそうです。
津(三重)では津駅裏にある偕楽公園内にある標本木が使われています。この偕楽公園は藩主であった藤堂家の別荘と偕楽園と言う庭園があった場所です。
実は藤堂高虎の屋敷があったのが現在の東京・上野公園あたりで、藤堂家の所領が忍者の里、伊賀上野にあり地形が似ていたため「上野」と名付けられることになりました。
「企業のIT活用」版トリビアの泉にはなりませんが(笑)