談山神社・西口 食違虎口

談山神社・西口
談山神社・西口

談山神社の西入口(飛鳥側)にある喰違虎口です。

虎口というのは入口のことで、喰違はまっすぐに侵入できず折れて侵入させる仕掛けです。これで攻撃力が落ちます。身近な例ではトイレ入口ですね。あれが喰違虎口です。神社で使われているのは珍しいですねえ。

大河ドラマ「麒麟がくる」を見ていますが、出陣シーンなどに櫓門が使われており、まっすぐに進む形式です。もう少し工夫がほしいですね。そうそう麒麟というのは織田信長のことで信長の花押(サイン)が麒麟の「麟」をモチーフにしています。

この花押を使いだしたのが13代将軍である足利義輝が三好三人衆らに殺害され、室町幕府が崩壊した時点です。”俺が平和な世の中を作る”と考え天下布武とあわせてスローガンとしたようです。

男はつらいよの舞台 石切参道商店街

石切神社
石切神社

「男はつらいよ」と言っても贋作の方です。

コテコテの大阪弁の寅さんが登場し、舞台は石切神社の石切参道商店街にある老舗の甘味処「くるまや」。お団子を出していますが、実際の商店街では一軒だけしか出していません。しかも「みたらし団子」です。

ドラマでは石切駅から参道のいろんな場所が映るので、なかなか楽しめます。石切参道商店街では本当の寅さんでもロケ地になっています。

散歩コースなんで今日も石切参道商店街を通ってきましたが、テレビの告知も何もなくあっさりとしたものでした。贋作「「男はつらいよ」は今日が最終回です。

談山神社

談山神社
談山神社

中大兄皇子&中臣鎌足が起こした蘇我入鹿暗殺事件。昔は大化の改新と習いましたが、今は乙巳の変と呼ばれています。乙巳とは丙午(ひのえうま)と同様に干支の組み合わせのことで645年を指します。

法興寺(現在の飛鳥寺)で蹴鞠があった時、中大兄皇子の靴が脱げ、それを拾って差し出したのが中臣鎌足。これが縁となって2人はクーデタに邁進していきます。密談を行ったのが飛鳥の東側にある多武峰という山々です。

中臣鎌足が亡くなってから、長男の定慧和尚が留学中の唐より帰国し父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。これが談山神社(たんざんじんじゃ)となります。入山料は一人600円で社殿には多武峯縁起絵巻が表示されています。教科書で有名な蘇我入鹿の首が飛ぶシーンを久しぶりに見ました。

高鴨神社

高鴨神社
高鴨神社

佐味城の麓にあるのが高鴨神社という、とっても古い神社で全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社です。鴨氏一族の発祥の地になっています。

高鴨神社の祭神は大国主命の子供の味鋤高彦根命(あじすきたかひこねのかみ)で迦毛大神(かものおおかみ)ともいいます。大物主神(大国主命)の子孫である大田田根子の孫である賀茂積命が奉じて、代々賀茂(鴨)氏が祭祀にあたりました。

この大田田根子という人物がなかなか不思議で、崇神天皇の時代に疫病や災害がつづいた時,天皇の夢にあらわれたのが三輪山の大物主神。疫病は自分の仕業であること、自分の血を引く大田田根子に祭られれば収まると告げます。そこで大田田根子を祭主にすると疫病がやみました。この大田田根子が鴨氏、三輪氏の祖となります。

神武東征によって天津神が大和を支配したはずが、大国主命は出雲神社の祭神でもあり国津神の代表です。それが大和のど真ん中にある三輪神社の祭神でもあり出雲の影響が色濃く残っています。この出雲なんですが桜井から東へ少し行った所に出雲があり、相撲の創始者である野見宿禰はこの出雲の出身と言われています。

佐味城

佐味城
佐味城

御所の鴨神にあるのが佐味城。

1567年(永禄10)には筒井方の城だったようです。この年、三好三人衆・筒井順慶連合軍と松永久秀が戦っていましたが松永久秀は押され気味で三好三人衆と筒井連合軍が陣取っていた東大寺を攻め大仏殿が燃えてしまいます。大仏が燃えたのは松永久秀のせいじゃなかったんですが信長が家康に松永久秀を紹介する時、三悪事の1つとして大仏を焼いたことにされてしまい世間に喧伝されてしまいました。「麒麟がくる」でもこのシーンが出てくるでしょうね。

劣勢の松永久秀に味方するため、河内守護・畠山高政と根来衆が大和へ侵攻し、筒井方であった佐味城を攻めましたが、反撃に遭って撤退したようです。

【とっても変わった山城・佐味城】
佐味城は金剛山山麓に張り出した台地状の尾根を利用して築かれた城ですが、城への道が分からない。山道があったので進んでみましたが途中で藪だらけに、とりあえず地理院地図アプリを見ながら、尾根の頂上を目指します。早い話が直登です(笑)。息も絶え絶えで、ようやく土塁にたどりつき高さ10メートルほどの土塁を登ると城の中に入れました。

佐味城は全国的に見ても一風変わった縄張りになっています。中心になっている郭が一番西側にあり、あとは碁盤の目になっていて整然と区画された土塁囲みの土壇が並び、家臣の屋敷跡だったようです。四日市に保々西城があるのですが、少し似ています。この屋敷跡のような郭がたくさんあり、しかも一番外側は高い土塁や堀で防御されています。ただ中央の大手通りみたいなところはまっすぐで城の外にもそのまま続いていて、ひょっとすると寺院跡を城に造り替えたものかも分かりません。

風の森

風の森
風の森

御所に1719年(享保4)創業の油長酒造株式会社という造り酒屋があります。「風の森」というお酒を造っており、通常の日本酒は、しぼった火入れして加熱殺菌しますが、風の森は生酒をそのまま販売しています。

実現するにはタンクや微生物管理など大変ですが、味わいがよくファンが多いお酒です。油長酒造さん、昔は一升瓶も出していましたが、今は720mlだけの販売になっています。720mlだと、すぐに空けてしまうので、あまり買っていません(笑)。

さてお酒の名前になっている「風の森」は同じ葛城・鴨神にある地名です。名前の通りに森を風が吹き抜け、揺らします。峠にあるのが風の森神社で、祭神は「志那都比古神」という風の神様。風の森は大和と和歌山を結ぶ途中にあり、古代の道路跡も見つかっています。

降幡神社

降幡神社
降幡神社

令和の元となったのが大宰府長官である大伴旅人の梅花の宴。大伴氏とは古代の名族で大王の親衛隊的存在でした。摂津や河内の沿岸が本拠地ですが、富田林に大伴町という地名があり、大伴の支族が住んでいたのではないかと言われています。

■降幡神社
Googleマップで石川河原城のすぐ近くで見つけたのが降幡神社跡という小さな祠。案内に「大伴氏の祖神・天忍日命を祀る由緒ある神社であったが、明治の末、一須賀神社に合祀された。古代この地方に住んでいた大伴氏の支族が、その祖神を祀ったのであろう」と書かれています。

天忍日命(あまのおしひのみこと)とは天孫降臨の時に武装して天孫の先払いをした神様で大伴氏の祖です。天忍日命を祀っている神社は全国的に少ないので、降幡神社は大伴氏関係でしょう。

降幡神社は合祀されたため、跡地となっており朽ち果てた小さな祠が残っています。ただ石川といえば蘇我氏の土地で有名なのが乙巳の変に登場する蘇我倉山田石川麻呂です。中大兄皇子と中臣鎌足に協力しますが、最後は陰謀で山田寺で自害させられます。山田寺の東回廊が発掘調査でそのまま出てきて飛鳥資料館に展示されています。

石川は蘇我でもあり、大伴でもあり不思議な土地です。

十日戎

額田戎神社
額田戎神社

この時期、関西の電車に乗ると笹を持った人をよく見かけます。十日戎がスタートしました。

西宮戎、今宮戎はめちゃくちゃ混みますので、いつも家から歩いて5分のところにある額田戎神社へ行っております。額田戎は西宮のえべっさんを勧請していますので霊験は同じです(笑)。住宅街にあるんですが3日間、大音量で「商売繁盛、笹もってこい~」と流れています。

ビジネスマンを辞め独立してから18年間、額田戎神社へ行っていますねえ。お参りをして今宮戎は参拝後社殿の裏へ回ってドラを打ちますが、額田戎は木板を打ちます。最後に縁起物を買うと福引券をくれるので、神社入口で福引抽選器を回しますが、また末等のゴミ袋でした。

諏訪商店街

四日市商工会議所で三重県よろず支援拠点の出張相談。
諏訪商店街を歩いていると2軒ほどが閉店になっていてテナント募集の張り紙がしてありました。角の洋品店はベトナム料理店かな、なにかエスニックなお店に変貌していました。
松阪の商店街も同様ですが物販店が減って飲食店の比重がどんどん増えています。

葛城高丘宮(綏靖天皇)

葛城高丘宮(綏靖天皇)
葛城高丘宮(綏靖天皇)

綏靖天皇は神武天皇の次となる2代目で、この綏靖天皇から第9代開化天皇までが欠史八代といわれ実在が疑われています。もっとも実在したという説もあります。綏靖天皇の都があったのが葛城高丘宮で、一言主神社のすぐ近くにあります。名前通り高い丘となっていて畝傍山や香具山などの大和三山がよく見えます。

第9代開花天皇まで都があったのが畝傍の軽から葛城一帯となります。当時、奈良盆地の中心部には奈良湖がありましたので奈良湖の南西部が大王の本拠地でした。三輪山の麓には纏向遺跡時代から大きな連合国家みたいなのがありましたので、そことの関係はどうだったんでしょうね。第10代、崇神天皇の時に三輪に進出し宮が造られ全国に四道将軍が派遣されますので国家としてある程度、まとまったようです。ちなみに四道将軍で東に派遣された二人の将軍が出会った場所から会津という地名となりました。

奈良湖といえばハイキングでにぎわう「山辺の道」が日本最古の道といわれていますが、もともとは奈良湖の東側をまわる道でしたので、ですので直線ではなく、くねくねとした道になっています。