西宮砲台

西宮砲台
西宮の浜にあるのが西宮砲台。
作られたのは江戸時代末期です。大河ドラマ「花燃ゆ」をやっていますが、まさにあの時代。徳川家茂の時代に大坂湾の海防のために建造されました。高さが12mもある砲台です。
プチャーチンが率いたロシア艦隊が大坂湾に停泊し、艦隊は鳴尾沖にも姿を見せ大坂や京都が大騒ぎになりました。そこで和田岬砲台、舞子砲台などと共に西宮砲台が作られました。今は浜の向こう側に埋め立て地ができたので海ははるか先になっています。砲台は実戦には一度も使われませんでした。
工事中には勝海舟の案内により徳川家茂、一橋慶喜らが視察。また、神戸海軍塾頭だった坂本龍馬も訪れたといわれています。
幕末、全国的に砲台が作られ、有名なのが品川沖の台場。お台場の第三台場が台場公園となって当時の土塁跡などを見ることができます。津では岩田川の贄崎(にえざき)砲台と塔世川に塔世橋南詰台場が作られました。

額田戎 本えびす

額田戎
本日は本えびす。
毎年、家から歩いて5分ほどの所にある額田戎に行っております。小さな神社なんですが、この3日間だけは賑わいます。神社前にいつもベビーカステラの屋台が出ているんですが、今年は甘栗の屋台が出ていました。西宮のエビス神を勧請した神社で、枚岡神社へ合祀されていましたが、明治時代に後に復社しました。
額田は額田氏が住んでいた土地で、額田氏で有名な人と言えば額田王。神武天皇が東征で攻め入った日下がすぐ近くにあり、額田には行基が開いたお墓が今も残る古い土地ですので、霊験あらたかだろうと、毎年、額田戎に行っております。
縁起物の熊手も買いましたので、えべっさん、あんじょう、たのんまっせ!

西宮戎 宵えびす

西宮戎
午後から尼崎で仕事だったので、その前にちょっと足を伸ばして西宮へ。えべっさんの総本山である西宮戎へ行って商売繁盛をお願いしてきました。
今日は宵えびすの午前中でしたので、境内は身動きができないほどではなく本殿にもすんなり入れました。ただ招福大まぐろには既に行列ができていました。招福大まぐろというのは神前に奉納された、でかいマグロで、このマグロに硬貨をペタペタ貼ると「お金が身につく」といわれています。
西宮戎
明日が本戎で、西宮戎では午前6時に表大門が開かれ、230m離れた本殿へダッシュ。一番福を目指す「開門神事」が行われます。曲がり角でころげたりして、よくテレビで流れる映像です。
西宮戎からちょっと行ったところに辰馬本家酒造(白鹿)があるんですが、覗くと戎限定の「にごり酒」を売っていましたので新酒と共に買ってきました。試飲もあったんですが、さすがに、この後、仕事なので、断りましたが、飲みたかったなあ(笑)

新年会(三重県産業支援センター)

昨晩は津駅近くの「バンブー」という居酒屋さんで新年会。
参加者は三重県産業支援センター内の北端にいるメンバーです。経営支援課の 経営向上班(小規模事業者向け経営革新支援)と新事業支援班(ファンド、創業補助金、設備資金貸付)。
私の机は経営向上班の一角にあります。そうか経営支援課という名前だったんだあ(笑)三重県産業支援センターには週に1回も行っていない状態で、久しぶりに支援センター・メンバーとの飲み会。
飲み放題で、なかなか、おいしい料理でした!

今も残る御土居

ブラタモリ
「笑っていいとも」が終わって復活したのがブラタモリ。レギュラー放送は4月からですが、さっき京都編の特別番組をやっていました。
インクライン、新京極などがテーマでしたが、よかったのが秀吉が作った御土居。京都を外敵から守るのと洪水対策もあって土塁で囲んだのが御土居です。番組では特別に御土居の上をタモリが歩いていましたが、いいなあ(笑)。
洛中・洛外と呼ぶのは、この御土居の中か外かをあらわします。洛は平安京が作られた時に左京を洛陽城、右京を長安城と称していましたが右京は湿地帯で衰退し、左京が栄えたため京都のことを洛というようになります。御土居には出入口がいくつか設けられ、これが丹波口や荒神口などの地名で今も残っています。
都市化によって御土居は一部をのぞいて消えてしまいましたが、昔、勤めていた専門学校の本部が河原町通りの廬山寺近くにあり、裏の窓を開けるとだいぶ低くなっていましたが、この御土居が残っていました。見ても単なる土の山ですが、初めて見た時は「御土居が残っている!!」と興奮したものです。
→ 御土居マップ 今も京都の街に残っています

身代り申(奈良町)

身代り申
奈良町を歩くと家々の軒先に赤いぬいぐるみが列になってぶら下がっています。身代り申です。
奈良町はかつて元興寺の敷地内で、火災で焼けてしまった本堂跡に建っているのが庚申堂。庚申とは人のお腹のなかには「三尸の虫」という虫がいて、庚申の日の夜に人々が寝静まってから体からぬけだし、その人がしてきた悪事を天帝に告げにいくといわれています。
天帝が天の邪鬼に命じてその人に罰を与えるので、人々は三尸の虫がぬけださないように寝ずに過ごす習わしがありました。上方落語の「宿屋仇」などのテーマにもなっています。
さらに心配な人は天の邪鬼が嫌いな「身代り申」を吊るし、三尸の虫の嫌いなコンニャクを食べて悪魔を退散させます。庚申の日に徹夜する風習はなくなりましたが身代り申をつるし信仰は奈良町に残っています。
元興寺は蘇我入鹿が建立した日本最古の法興寺を平城京へ移転したものですが、不思議なことに元の法興寺はそのまま残っています。また元興寺は童子による鬼退治で有名ですが、この童子がやがて法師となり、故郷へ帰って建てたのが尾張元興寺。金山駅のすぐそばにあります。

奈良の正月

せんとくん
大晦日から正月にかけて津へ帰省していましたが、仕事でしょっちゅう津へ行っているので新鮮味はほとんどなし(笑)。
2日、3日は奥さんの実家の奈良へ。
最近は猿沢池近くの飛鳥苑に親類中が集まって一泊しています。飛鳥苑には露天風呂があり朝6時からやっていますので毎年、入っています。露天風呂の目の前に興福寺の五重塔があり、朝6時には興福寺の鐘がなり、なかなか風情があります。黎明の中で見る五重塔もオツですねえ。
朝から飛鳥苑のすぐ近くの奈良町を散策しましたが、観光客が多いですねえ。円安の影響か海外からの観光客も多かったです。

名張生まれの江戸川乱歩

江戸川乱歩
「ハッハッハッハッ、明智君」といえば怪人二十面相です。今なら名探偵コナンですね。
明智小五郎、怪盗二十面相、少年探偵団とくれば江戸川乱歩。江戸川乱歩は名張市生まれで、生家跡は商店街から細い路地を奥に入った一角で今は公園になっています。もともとは武士の家系で祖父の代まで藤堂家の藩士でした。
小さい時に父の転勤で転居したので名張にはあまり足跡がありませんが、鳥羽造船所に勤めるなど三重県とは縁はけっこう深い作家です。鳥羽の離島から発想を得て「パノラマ島奇談」。鳥羽の後、上京し、団子坂上で兄弟三人と三人書房と名づけた古本屋を始めます。これが「D坂の殺人事件」となります。探偵文壇の大御所になってから生まれ故郷の名張を訪れています。
これが随筆「ふるさと発見記」になっています。
“私の生家の跡は、新町という大通りの裏手にあった。四間くらいの小さな借家だったという。家主は名張の城代の侍医で、その医院の裏に幾軒かの貸家が建っていた、その一つを父が借りたのである。”
名張にある造り酒屋・木屋正酒造から「幻影城」というお酒が出ています。

ポラーノの広場

藤城清治世界展
チケットを買ってあるということで奥さんと「光と影の芸術人 藤城清治世界展」へ日曜の午前中に行ってきました。最終日で午後からは本人のサイン会もあるということでかなりの混雑。
場所は大阪港にある大阪文化館・天保山。昔のサントリーミュージアム「天保山」です。知的生産の技術研究会・関西で毎年、講演していただいた作家・野村正樹さんがサントリー時代の最後に手掛けたのがこのサントリーミュージアム「天保山」の設立。てっきり大阪在住と思ってセミナー講師を依頼したら、東京在住でした。それ以来、関西の別の用事にかこつけて前後にセミナーをしてもらいました。
「光と影の芸術人 藤城清治世界展」会場内には藤城清治作品が山のように展示されていました。なかでも多かったのが宮沢賢治の童話の挿絵。数ある作品の中で一番、印象的だったのが「ポラーノの広場」。昔、角川書店で宮沢賢治の「ポラーノの広場」を買ったのですが表紙の挿絵がまさにこれ。藤城清治には珍しく、淡い印象の絵で、懐かしかったですねえ。。
「つめくさの花の かおる夜は ポランの広場の夏まつり...」

伊勢へ

伊勢商工会議所
IT窓口相談で伊勢商工会議所へ。
写真は伊勢商工会議所1階の様子です。たまには近鉄ではなくJRの「快速みえ」に乗って伊勢へ行こうとしたのが失敗。
津駅は定刻通りに出ましたが、高茶屋駅ー松阪駅間が強風のため減速運転となり、結局25分遅れで伊勢市へ到着。商工会議所横に新しくできた店でランチをと思っていたら時間ギリギリで、お昼はなしでした。(泣)
1食、抜いても全然やせませんが(笑)