いしきりんの日

isikiri201111.jpg家の近くに石切さんがあります。

正式名称は石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)で、剣の文字が入っていることからデンボ(オデキ)の神様として有名です。平日でも境内でお百度を踏んでいる人が多く、今日は日曜ということもあり50人ほどがグルグルお百度を踏んでいました。

石切神社の祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)。神武天皇よりも先にヤマトに降臨し、神武天皇を迎え入れた神様で日本書紀や古事記に登場しまISIKIRI2011111.jpgす。物部氏の先祖にあたります。東大阪、八尾の河内は古くから物部氏の拠点になっていて八尾には物部守屋の墓もあります。

石切さんから近鉄石切駅に向かって細い上り道の参道になっていて商店街になっています。たこ焼き屋やら八百屋などいろいろあるのですが、多いのが占いの館。陰陽道占いからタロット占いまで何でもあります。中には1ケ所に10ほどの占いコーナーが集まった一角もあります。

参道を歩いていると修験道の行者が法螺貝を吹いていました。なかなかディープなパワスポットです。この商店街のゆるキャラが「いしきりん」。金~日は「いしきりんの日」だということで参道を歩いていないかなと出かけてきました。

他のゆるキャラが応援に来ていて参道を歩いていたのが「えべっちゃん」〔兵庫県三田市)、「たいしくん」(大阪府太子町)、「キララちゃん」(京
都府京田辺市)、「やちにゃん」(滋賀県・彦根市)でお目当ての「いしきりん」はいませんでした。しょうがないので焼き鳥とビールを飲んで帰ってきまし
た。

織田信長が切り取った蘭奢待

syousou2011112.jpg正倉院展へ行ってきました。

土曜日の昼中はとんでもなく混雑していますので、閉館1時間半前から入れるオータムレイトチケット(割引チケット)を買って入館しました。

すっかり日が暮れた興福寺と春日神社の参道を通って奈良国立博物館前へ。少し切符売り場で並んでオータムレイトチケットを買い博物館入口へ。列は100メートルほどで、すんなり入れました。中はまだ混雑していましたが終了30分前になるとガラガラです。

入口近くにあった蘭奢待をじっくり見ておりました。蘭奢待とは香木で正倉院に伝わっています。蘭奢待の文字の中に”東・大・寺”が入っています。
この香木、天下を取った権力者が切り取ることで有名です。蘭奢待には3つの白い紙が貼られていて、足利義政、織田信長、明治天皇が切り取ったあとと書かれ
ていました。明治天皇まで切り取っていたんですね。しかも織田信長よりも大きく切り取っています。

以前、新聞に東大寺の大仏足元から明治時代に見つかった刀が1250年間行方不明だった宝剣「陽宝剣」「陰宝剣」とエックス線調査で分かったと報
道されましたが、光明皇后が献納したもので刀の名前が印された国家珍宝帳も出展されていました。いつもに比べると古文書の出展が少なかったですね、天平時
代の欠勤願いなど楽しみにしていたんですが。

写真は猿沢の池から見た夕焼けです。

四日市陣屋・伊勢暴動

四日市陣屋
今日の午後は四日市商工会議所で窓口相談
昼休みに近くにある四日市陣屋を見てきました。といっても小学校跡になっていて説明板があるだけで何も残っていません。四日市は徳川藩の天領で、天領を管理するために作られたのが陣屋です。
陣屋は東海道のすぐ近くにあります。初代代官は水谷光勝で、1600年に任じられていますので関ヶ原の合戦の年ですね。陣屋ができたのは3年後です。周囲には堀が掘られ土塁が築かれていました。
明治維新後は一時期、三重県庁がおかれていましたが明治9年の伊勢暴動で焼きうちにあい焼失してしまいました。伊勢暴動とは財政の安定を図るために明治政府が行った地租改正事業で、土地に対して3%増税になる施策です。
米価が下がって大変だった農民が何とかしてほしいと嘆願書を県の役人に出しましたが、無視。善後策をねろうと農民が集まり、結局これが暴動へ発展して三重県中にひろがり、軍隊が出動する事態になりました。この騒ぎの影響もあり税率は3%から2.5%へ下げられました。
四日市は楠町と合併して30万人都市になりましたので事業所税があらたに各事業所に発生します。三重県では初めての事態です。合併特例で5年間の猶予がありますが、これがいよいよ切れますので増税になります。
「なんで四日市は合併なんかしたんや!」という四日市の事業者の声をよく聞くようになりましたが、また伊勢暴動が起きなければよいのですが

津の古地図

津
冊子「古地図に見る津城下の変遷」を手に入れました。
書店には置いておらず津城横にあり藤堂高虎を祀った高山神社(こうざんじんじゃ)でのみ売っています。
古くからの津の古地図が収録されていて津の城下がどう変遷したかが分かる冊子です。一番古い地図は寛永中期(1630年)頃のものです。1600年の関ヶ原の戦い、1615年の大阪夏の陣が終わって、島原の乱が起きる前です。こないだ「こんなに変わった歴史教科書」を読んだら、今では島原の乱と教えておらず平成の教科書では「天草・島原の一揆」と言っているそうです。
古地図の津城を見ると本丸から西の丸(左側)と東の丸(右側)が出ているのですが、当時は東の丸から橋が出ていなかったんですね。藤堂高虎が築城していましたが大阪の陣が終わってしまったので東の丸は簡素なままになりました。
実家近くに伊予町と呼ばれる町があるのですが国替えとなった藤堂高虎に従って伊予から移ってきた人が住んだところです。ここには寺がいくつかあるのですが、この寺も伊予から移ってきたんですねえ。知らなかった!

長岡京ってめちゃくちゃ大きかったんですね

nagaoka201111.jpg午前中は京都の企業さんの経営相談へ、昼から時間があいたので長岡京へ行ってきました。

長岡京は陰陽師・安倍晴明でよく舞台になるところです。安倍晴明の相手役である早良親王が怨霊になった都で早良親王は謀反の疑いをかけられ配流さ
れる途中で自殺。その後、いろいろな変事が起きるようになり早良親王の祟りと大騒ぎになりました。上御霊神社などに祭られています。

長岡京は短命な都だったと歴史で勉強しましたが実に広大だったんですね。ずっと阪急長岡天神駅の周辺にあるものだと思っていたら大極殿は阪急西向日駅近くにありました。長岡って名前がついていませんがなあ!

大極殿跡の公園に都の様子が書かれた想像図がありましたが、羅生門の向こうはは石清水八幡宮。阪急で言えば、東向日駅、西向日駅、長岡天神駅、大
山崎駅と4駅にまたがる広大な都でした。大極殿跡には元日、7本ののぼり旗を建てた跡が残っていて復元されていました。少し離れたところには築地跡や朝堂
院跡、楼閣跡などもありました。なぜ10年という短い期間で平安京に遷都となったのか、いまだに分からないそうです。

長浜へ

201110nagahama.jpg長浜で行われている「びわ湖環境ビジネスメッセ」を見てきました。場所は米原から北陸本線に入って2駅目の田村駅。大阪から新快速で行きましたが遠かった!野洲までは本数が多いのですが、その先は本数が減り1時間に2本になります。

田村駅は何もないひなびた駅なんですが、今日は見本市が行われているのでビジネスマンが大量に降り、一つしかない改札は大混雑。田村駅からはヤマ
トタケルが毒にあてられた伊吹山がすぐそばに見えます。駅のすぐ近くにあるのが長浜ドームで、「びわ湖環境ビジネスメッセ」の会場です。ドーム内はけっこ
うな人出でした。

帰りに長浜ドームのすぐ近くにある長浜バイオ大学へ寄ってきました。日本でただ一つのバイオ系単科大学で「びわ湖環境ビジネスメッセ」のセミナー
会場にもなっています。この大学は以前に勤務していた関西文理学園が宝バイオさんと一緒に作った大学です。大学事務室に寄ると懐かしい面々がまだまだ残っ
ておりました。

桑名駅(JRと近鉄の共同使用駅)

kuwana201110.jpg昼から桑名駅前にある桑名商工会議所へ行って企業さんの相談にのっておりました。

帰りは桑名駅から近鉄で帰ってきたのですが、この桑名駅はJR東海と近鉄の共同使用駅になっています。大阪の難波駅は近鉄と阪神電車の共同使用駅になっていますが、これは相互接続しているからで、同じような駅は全国にあります。

違う路線が交わる場合、東京の品川駅はJRと京急がくっついていますが間に改札があります。三重県の場合、なぜか間に改札がないJRと近鉄の共同使用駅がたくさんあり、桑名駅、津駅、松坂駅、伊勢市駅、鳥羽駅の5つあります。大きな表玄関側の改札をJRが管理し、裏側を近鉄が管理していることが多いのですが、どちらの改札からも乗ることができます。相互接続駅以外でこんなシステムになっているのは珍しいですね。

三重県人にとっては当たり前ですが、他ではあまり事例がないので津駅のJR側改札で、近鉄の切符を出しながら、「これで改札通るんでしょうか」とよく駅員に聞いている旅行者を見かけます。

三重県には富田駅(近鉄と三岐鉄道)も改札なしの共同使用駅になっています。

朱雀門(平城京)

suzakumon201110.jpgJR奈良駅から関西線で伊賀の企業さんへ

帰りに平城京跡をのぞいてきました。近鉄の車窓からいつも見ているのですが、歩くのは久しぶりです。夕方で施設などは全て閉まっていますので、とりあえず朱雀門へ。朱雀門の前には朱雀大路が復元されており、幅は70mで、大宮通りまで220m続いています。実際に立ってみると実に幅広いです。

朱雀門から大極殿一帯では去年、平城遷都1300年祭を行いましたが会場跡はすっかり片付いていました。復元された遣唐使船はそのままで、平城京歴史館はまだ営業しているようです。平城京の中心地が大きな公園として残っているのはいいですね。

枚岡神社 秋郷祭 チョウサジャー

hiraoka2011.jpg枚岡神社 秋郷祭
♪チョウサジャー、アッヨッサ、チョウサジャー♪
毎年、10月14日(宵宮)と15日(本宮)に枚岡神社で行われるお祭です。曜日固定ですので平日になることが多く、付近の会社は基本的に休み。学校は一応やありますが、担ぎ手の子供は「先生、祭りやから早退するよ」と先生に言って、先生も黙認です(笑)

旧枚岡市の各町から20台以上の布団太鼓が繰り出します。枚岡に引っ越してくるまでこんな勇壮な祭りがあるとは知りませんでした。私の家の近くは宝箱(ほうそう)地域で大太鼓と小太鼓があり、ウチの息子共も小さい時は太鼓台に乗り込んで太鼓をたたいていました。今年はウチの奥さんが自治会の役をやっているので炊き出しやら大変でした。

祭りは布団太鼓ですが、江戸時代までは岸和田と同じ「だんじり(地車)」。一の宮に集結して神社まで坂を登りますが、けっこう急峻なため明治のはじめに安全のため布団太鼓になったそうです。枚岡から八尾にかけて古代は物部一族の土地で、物部系の神社が多く点在しています。枚岡神社もめちゃくちゃ歴史が古く、ここの神様を勧請して平城京の春日大社ができましたので元春日とも呼ばれています。

東高野街道にある一の宮に集結した太鼓台が坂を登り、難関の枚岡駅超えをします。近鉄・奈良線の枚岡駅から急な坂になっており踏切を越えてこの坂を上がり切るのが大変。しかも電車の合間を抜けて通らないといけないので大変です。祭りのある2日間、近鉄電車はこの一帯だけ全て徐行になります。今年は本宮が土曜日にあたってラッキーで、枚岡駅周辺でずっと見ておりました。

→ 枚岡駅横の踏切を通過する出雲井・鳥居 太鼓台

→ 枚岡駅踏切超えて急坂へ 宝箱 太鼓台

→ 枚岡神社 宮入り 客坊 太鼓台

江戸川乱歩

ranpo201109.jpg名張シリーズです。(笑)

怪人二十面相・明智小五郎・少年探偵団と言えば推理作家の江戸川乱歩です。

江戸川乱歩は三重県・名張市生まれで、住んでいた家は公園になっています。もっとも住んでいたのは2歳までで、このあと父親の転勤で亀山、名古屋
へ移ります。苦学して早稲田大学に通い、卒業後は貿易商、造船所事務員、古本屋営業、ラーメン屋など色々な職につき、この体験が小説の貴重な糧になりまし
た。フリータの元祖みたいな職歴です。

鳥羽の造船所に就職していた時があり、この時に奥さんを見つけています。「パノラマ島奇談」は鳥羽の離島がモデルになっています。鳥羽のあと上京し、団子坂上(本郷)で兄弟三人と三人書房と名付けた古本屋を始めます。「D坂の殺人事件」のD坂は団子坂です。

江戸川乱歩は知り合いの選挙応援演説のため名張へ出かけています。60年振りでした。応援演説は名張駅近くの宇流富志禰神社で行われ、すごい聴衆が集まりました。「我が夢と真実」という自伝に出てきます。

木屋正酒造から「幻影酒」という大吟醸が出ています。