大坂国はあった

hyoutan201105.jpg大学の講義が午前中に終わったので、「プリンセス・トヨトミ」を見てきました。さすがに平日の午後の映画館はすいています。

映画は大阪の名所巡りもなっていて、楽しめました。それにしても道頓堀、黒門市場、谷町筋、空堀商店街、南海なんば駅、梅田に誰ひとりいないシーンはよく撮りましたね、

映画は2時間という枠があるので、なかなか難しいのですが大阪城が赤くなり、「ひょうたん」の印が現れた時、親父に言われたことを思い出し、大阪国人が集結するシーンはぜひ描いてほしかったですね。

映画ではそこらへんが割とはしょって淡々と描かれていましたが、半信半疑で大阪城に集まった男達が「本当に大阪国はあったんだ、親父が言っていたことは本当だったんだ」とつぶやくシーンは映画の大きなテーマですので、ぜひほしかったなあ。

でも大坂夏の陣のシーンなどを見ていると、なんちゅうことを徳川はさらすんじゃという気分になるのは、どっぷり大阪人になっているせいでしょうなあ(笑)

チャスカ茶屋町 日本最大の書店

chaska201105.jpg土曜の晩は梅田でお仕事。中小企業診断士の1次試験が8月にあり、直前対策としてLECで答案練習講座を担当しておりました。科目の間でちょっと時間があったのでチャスカ茶屋町をのぞいてきました。

去年、12月にオープンした日本最大の売り場面積を持つ書店です。MARUZEN&ジュンク堂書店で蔵書数は200万冊。おしゃれなビル、チャス
カ茶町の地下1階から7階までが全て本屋さんです。確かに広いのですが各階ともコンパクトにまとまっていて棚が探しやすいですね。

さすがに品揃えはよく、見かけない本もたくさん並んでいました。阪急梅田駅が一番近く、地下鉄東梅田駅からちょっと遠いのが難点。やっぱり旭屋書店に行きそう。レジは各階になく1階のみですので買い物かごに本を入れて各階をウロウロすることになります。

答案練習講座が終わっのが21:30。ホワイティ梅田を歩いていたら立ち飲み屋ヨネヤがまだ空いていましたので串かつとビールを飲んで帰ってきました。

西大寺で日本最古の金庫が見つかった!

saidaiji201005.jpg大学からの帰り、西大寺駅で下車し駅近くの西大寺へ。

東大寺は全国的に有名ですが、平城京の反対側にあったのが西大寺。創建当時は金堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍でした。今はほとんどが住宅街と近鉄電車の線路になっています。

西大寺の愛染堂で、係の人に聞いたのが西塔跡近くでのお宝騒ぎ。昭和初期、住宅建設中に開基勝宝という日本最古の金貨が見つかったそうです。開基
勝宝は恵美押勝(藤原仲麻呂)の命により鋳造された金貨。他にもあるのではないかとお宝騒ぎとなり、実際いくつか見つかったそうです。東塔は本格的な発掘
調査をしていないので、たぶんお宝が眠っているのではという話でした。

愛染堂は少し暗く観光客が少ないと、係員が懐中電灯で照らしながら説明してくれるのですが百万塔陀羅尼があり、西大寺にはわずか2つしか残っていないと説明してもらいました。

百万塔陀羅尼とは恵美押勝の乱を平定した称徳天皇が鎮護国家を祈念するため陀羅尼経をいれた百万塔を文字通り百万作ったものです。10万づつ10の寺に奉納され、その一つが西大寺。10万が、今は2つだけです。

この陀羅尼経は世界最古の印刷物でもあります。実はこの百万塔陀羅尼、古書目録で売りだされたことがあります。(反町茂雄の弘文荘待賈古書目)係の人に古書目録の話をすると、そんな話は初めて聞いたと、お返しに金貨の話をしてもらいました。

蕎麦屋さん、儲かっているの?

ise201105.jpg伊勢へ。
その後、さらに奥の南伊勢町へ。

南伊勢町へは伊勢の事業者に連れていってもらったのですが、途中の蕎麦屋さんで昼食。広い敷地に庭があり、日本家屋風で内装にもけっこうお金がかかっています、蕎麦は少し高めで定食になると1500円ほど。蕎麦はおいしかったのですが、付け合せの天ぷらがいけません。量は多いのですが、ぼてっとしていて、せっかくの蕎麦の味がだいなし。

店には広い机が6つで、1つの机に6人ぐらいは座れますが、昼なので大体2~3人が基本。12:30頃に入りましたが、1回転ぐらいしかしていないようです。伊勢の人に聞くと、土日は多いが平日は大体こんなものという話。昼は多くて20人ぐらいですね。

客単価1300円とすると売上は26,000円。従業員が厨房に2人、フロントに2人いました。土地は自前にしても建築費は償却しないといけないだろうし、儲かっているんですかね。10年ほどは続いているようですが、なんで続けていられるのか、なかなか不思議な蕎麦屋さんでした。まさか趣味でやっている店ではないでしょうね。

伊勢商工会議所近くにおいしい蕎麦屋さんがあったのですが、こっちは1年ほどでなくなってしまいました。飲食店経営は本当に難しいですね。

大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を歩く

osaka2011053.jpg朝から堺で仕事だったので、仕事が終わってから少し足を伸ばして大仙陵古墳へ。クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓です。

歴史の時間には仁徳天皇陵と習いましたが、被葬者が特定できないの大仙陵古墳とも呼ばれています。

陵のまわりは遊歩道になっていて三国ヶ丘駅近くから歩きはじめましたが、まあ遠いですね。途中に案内板があるのですが正面まで行くのに1km以上とありました。1周約2,750メートルで、陵と言ってもあまりに巨大なんで近くから見たら単なる山です。

陵に並行してJR阪和線が通っていますが、前方後円墳の方墳が中百舌鳥駅で円墳が三国ヶ丘駅にあり、ちょうどJR一駅分あります。帰りは中百舌鳥駅から帰ってきました。

陵の横は大仙公園になっていますが、この公園の中にも5つの小さな古墳があります。一帯は百舌鳥古墳群ですが、住宅街のそこかしこに小山のような古墳があり、ふつうの町とはだいぶ違いますね。

五道の辻

tsu201105.jpg古い街道沿いにはわりと五道の辻があります。

住んでいる東大阪の箱殿にも五道の辻があり、暗越奈良街道(大阪から暗峠を越えて奈良へ行く道)と東高野街道(男山から生駒、葛城山沿いに高野山
へ行く道)が交差しています。ここにもう一本、小さな道があり五道の辻になっています。辻には道標と地蔵堂が立っていて、その古さを伝えています。

実家近くにも五道の辻があり、津の幹線道路である国道23号線と海岸へ向かう広い道の交差から斜めに小さな道が出ています。私が子供の時からあっ
て、なんで広い道があるのに、こんな斜めの道があるんだろうと不思議に思っていたのですが、江戸時代の津の古地図を見て疑問は氷解。

この小さな道は当時の伊勢街道だったんですね。戦国時代以前は海岸近くを伊勢街道が通っていましたが、藤堂高虎が津城を整備して城下町を作り、伊
勢街道が城下町を通るように変更しました。これが現在の国道23号線で、城下町を過ぎ五道の辻になっているところから海岸沿いの伊勢街道へ斜めになってつ
ながっていたんですね。古地図には広い道はなく、この小さな道が当時のメインストリートでした。

正面の家の右側に小さな斜めの道があり、これが伊勢街道

桜井の駅の別れ

simamoto2011051.jpgJR東海道線・島本駅前に公園があり、ここが桜井の駅跡。

駅といっても電車の駅ではなく律令制度で街道に設けられた駅で、旅人の宿泊、荷物運搬の人馬を中継ぎする設備がありました。もっと時代が下ると宿場になります。公園の横にある細い道路が西国街道で京都と西国(山陽地域)を結ぶ街道でした。

桜井の駅で有名なのが楠木正成、正行の親子の別れ。九州から攻め上ってくる足利尊氏に対し、湊川の戦い(現在の神戸)に向かう楠木正成が父と一緒に戦うと懇願する息子の正行を河内国へ帰します。私が討死したら、お前は帝のために戦えと諭す太平記の名場面です。

なんで桜井の駅で別れたのかなと思ったら、淀川のすぐ向こうに男山(石清水八幡軍)が見えました。男山からは東高野街道が通っていて、後年、南北朝がぶつかる四條畷や瓢箪山、富田林、河内長野を通って千早赤阪へ続いています。交通の要衝だったんですね。

島本駅で電車を待っていると、電車が近づいてきますの後に、ボンボンボボーンと懐かしいメロディーが。サントリーオールドのコマーシャルで流れていた「人間みな兄弟」です。サントリー山崎蒸溜所が近くなんで、こんなメロディーにしたのかなあ。なかなか粋です。

伊賀上野は田植えの真っ最中

taue201005.jpg朝から関西本線に乗って伊賀へ

平日は笠置や月ヶ瀬へ向かう高齢のハイキング集団で電車が一杯になるのですが、さすがにゴールデンウィーク中のせいか見かけません。そのかわり伊賀上野や関宿に向かう観光客が乗っていました。いいな~あ。

奈良の田んぼは土のままですが、三重に入ったとたん水が張られた田んぼばかりで田植えの真っ最中。ゴールデンウィーク中に田植えはほとんど終わってしまいます。

伊賀上野は忍者フェスタの真っ最中で、街中を忍者衣装の人がウロウロしています。観光客も忍者衣装に着替えすることができます。さすがに伊賀の田舎にまでは忍者はいませんね。

伊勢では田植え

lunch201104.jpg朝から伊勢へ。近鉄電車で宇治山田へ向かうと、多くの田んぼに水がはられトラクターが動いています。田植えです。

伊勢は昔から早場米の産地で、ゴールデンウィーク中に大体、田植えが終わっています。和歌山県との県境にある紀和町が県内では一番早く、3月の終
わりには田植えが終了。志摩地域も既に田植えが終わっているそうで、だんだん北上して伊勢から松阪にかけてが、これから田植えシーズン。そのあとが伊賀で
すね。

今日のお昼は伊勢市役所地下にある食堂(職員だけでなく一般の人も利用できます)で日替わり定食(550円)。メインは伊勢七保鳥のチキン南蛮特製タルタルソースがけでし
た。大きいのが3つも入っていて、なかなかボリュームがあります。一番、おいしかったのがミソ汁。食堂を運営しているのはキャリオンという女性だらけの会
社。ここ以外に伊勢市民病院、伊勢郵便局、皇學館大学、あのつぴあ(津市)の食堂運営とレストランい~菜を運営しています。4月からはサンアリーナの食堂
も開始。

サンアリーナというのは伊勢にある大きなイベント。スポーツ施設で、こないだ福山雅治のコンサートがサンアリーナで開催されましたが、食堂もすさ
まじいお客さんだったそうです。サンアリーナには広い駐車場があるので、ゴールデンウィーク中は伊勢神宮へのパーク&バスライドが実施されます。

大市神社(津市)

ooiti_jinjya201104.jpg津の実家のすぐ近くにあるのが大市神社。

子供の時はよく神社の境内で遊んでいました。子供の時は本殿の裏がうっそうな森になっていた印象があるのですが、大きくなってから見ると単なる林です。

けっこう古い神社で、もともとは岩田川のずっと上流にあった大市村と呼ばれる土地にありました。延喜式内大市神社とあり、由緒正しい神社だったん
ですね。延喜式とは927年にまとめられた延喜式と呼ばれる書物で神社一覧が載っていて、ここに載っている神社を式内社と呼んでいます。全国で2861社
あります。

ところがこの大市神社が洪水で流され河辺の古松に引っかかり、村人が祭ったのが川松明神。いつの頃からか現在の地に移って元の大市神社になりまし
た。藤堂藩が作った絵図には現在の場所に「川松社」と載っています。洪水で流された神様で大丈夫かいなと思いながら前を通るたびに参拝しています。