G20 大阪は厳戒態勢に

いよいよG20が始まるということで全国からお巡りさんが大阪に集まって厳戒態勢になっています。でも大阪の町を神奈川県警と書いたパトカーが走っていると、とっても違和感がありますね。伊勢志摩サミットの時は津駅に熊本県警と書いたお巡りさんが警戒にあたっていて乗客に道を聞かれて困っていました(笑)。 

地下鉄のゴミ箱が撤去され、ロッカーも使えなくなったためインバウンドで民泊に泊まっている外国人などに影響が出ています。交通規制となり物流に影響を与えますので大阪経由の宅配便などは遅れるとアナウンスされています。 

そこらへんで検問がはじまり、お巡りさんを、めたらやったら見かけるようになったので犯罪が減るのはいいのですが、G20の会場となる南港で商売しているお店にとってはマイナスだけ、会期中の4日間は閉店するように言われ補償は一切なしだそうです。先週あたりから南港に近づかない人も増え商売あがったりで、全国から応援にきた、お巡りさんへは弁当支給でしょうから、飲食店は軒並みダメ、仕事終わりにお巡りさんが寄ってくれるアイスクリーム屋だけは少し繁盛しているそうです。

二十歳の原点

二十歳の原点
二十歳の原点

先日、丸善をのぞいていた時、面陳列されていたのが「二十歳の原点 コミック版」。

また懐かしい本がコミックになったんですねえ!ラベルには「今のままじゃダメだと感じている全ての人に」とあります。50年ほど前、立命館大学は衣笠ではなく河原町広小路にありました。跡地の一部は以前に勤務していた関西文理学園が買って、今は長浜バイオ大学の学舎などになっています。京都府立医大のあたりも立命館大学でした。

学生運動が盛んな頃、立命館で学生生活をしていた高野悦子が書いていた日記が「二十歳の原点」です。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という言葉からタイトルになりましたが、本を読むと朝日ジャーナルやら哲学書など、よく読んでいますねえ。最後は「旅に出よう テントとシュラフの入ったザックをしょい ポケットには1箱の煙草と笛をもち 旅に出よう...」で終わります。当時は二十歳になったら読む本で影響を受けた若者が私も含め多かったですね。

おおさか東線

おおさか東線
おおさか東線

東大阪からJRで京都や東京へ行く時に便利なのが「おおさか東線」。従来は大和路線の久宝寺駅から片町線の放出(はなてん)駅までですが、放出駅から延伸されて新大阪駅に接続されました。ダイヤは15分に1本と大阪にしては少ないのですが混み合う本町などを経由せずにすみます。

■赤川鉄橋
放出から新大阪までは城東貨物線が通っていたのですが「おおさか東線」にするために複線化されました。途中、淀川には赤川鉄橋がかかっていて、昔、上新庄に住んでいた頃、通勤はラッシュで混み合う阪急電車でした。

晴れた日は、この赤川鉄橋を自転車で渡り毛馬から中之島を通って堂島の会社まで自転車通勤していました。貨物線のすぐ横に歩道があり、貨物列車が通ると風圧で淀川に飛ばされるようになる鉄橋でした。この歩道をつぶして複線化されたので、今は通れません。

この懐かしい赤川鉄橋を通って列車は新大阪へ向かいます。おおさか東線には時たま貨物も通っています。

重量3kgの戦国全史がある神保町、恐るべし

神保町
神保町

石神井城をめぐった後、RedBall(AllAbout)に参加する前に時間があったので迷わず神保町へ。東京で時間があったら、やっぱり神保町でしょう(笑)。 

いつも地方出版を扱っていた書肆アクセスをのぞいていたのですが、閉店したのは本当に残念です。かわりにアットワンダーなどの新しい古本屋が誕生していました。道路の壁一面が古本といえば矢口書店が有名ですが、このアットワンダーでも脇に入った道路の壁一面に古本を並べていて、外国人が思わず写真を撮っていました。 

神田古書センターに出向くと地下ホールで古書市をやっていました。もっとも来店しているのはオッサンばっかりです。恵比寿へ出てRedBallに参加するので、荷物になるような本は買わないでおこうと誓っていたんですが、「クロニック戦国全史」を発見。定価が14,369円で800ページにわたって戦国時代を網羅した一冊です。でかいし重量が3kgと猫なみです。”いくらかな”と見返しを見ると800円!! 

結局、買ってしまい重い本を持ったまま恵比寿へ出てRed Ballに参加。大阪まで持ち帰りました。重かった! 

太田道灌と戦った石神井城

石神井城
石神井城

石神井といえば有名なのが石神井城で、石神井公園に今も残っています。

石神井城は鎌倉時代に豊島氏が造ったようで、豊島氏の本貫は武蔵国豊嶋郡になり、東京都豊島区の名前はこの豊島に由来しています。豊島氏は他に練馬城(今の豊島園にあったようです)を造り、扇谷上杉氏の家宰だった太田道灌(江戸城を造ったことで有名)と戦っていました。

当時の関東は公方や関東管領が争い、関東管領に上杉氏も扇谷上杉氏や山内上杉家い分裂、そこに北条早雲まで加わって混沌とした状態になっていました。太田道灌が築いた江戸城と河越城の防衛ラインを豊島氏の練馬城と石神井城が遮断してしまったため、太田道灌との戦いになります。太田道灌は練馬城を攻めた後、石神井城近くの愛宕山に陣を張って石神井城を攻め豊島氏は敗走。これで没落することになります。

石神井城は石神井公園の三宝寺池横の丘上に残り、保存のため立ち入り禁止となっていますが、土塁と空堀を廻らせた内郭が残り、外から眺められます。

見て納得 集客できるホームページの魅力づくりセミナー(大阪商工会議所)

7月に開催するセミナーのお知らせです。

大阪商工会議所主催「見て納得 集客できるホームページの魅力づくりセミナー」で5支部6日程で開催します。大阪商工会議所会員の方は無料です。

内容は初心者向けのホームページ活用講座で人材採用が大変なのでその話が1/3ほど入っています。
→  見て納得 集客できるホームページの魅力づくりセミナー の日程です

招き猫の豪徳寺

豪徳寺
豪徳寺

秀吉の小田原征伐時、北条氏の傘下だった奥州吉良氏の世田谷城は廃城となり、世田谷に逼塞することなります。世田谷城内にあった奥州吉良氏の屋敷跡が豪徳寺となり、世田谷領は井伊家に与えられることになります。 

井伊家が豪徳寺の菩提寺としたこともあり、歴代藩主のお墓が並んでいます。あの「花の生涯」の主人公、井伊直弼のお墓もあります。豪徳寺は、招き猫発祥の地としても有名で商売繁盛を祈願するなら最適です。 

奥州吉良氏は徳川家康に臣従することとなり高家として取り立てられ蒔田氏を名乗ります。元禄時代に忠臣蔵(赤穂事件)が起きて三河吉良氏が断絶したことから吉良に復姓し明治にいたります。

ホワイティ梅田に新しい立ち飲み屋

本日は中小企業診断士の1次試験が近いこともありLEC梅田で追い込み講座。受験生の皆さん、がんばってください。
講座が終わったので東梅田駅へ向かうために地下街・ホワイティ梅田を通っていきます。ホワイティ梅田には立ち飲み屋が3軒ありますが、夕方はどこも一杯。
それが赤垣屋をはじめ3軒とも空きがあります。珍しい!というわけで、とりあえずヨネヤへ(笑)。
帰り大御所酒坊の横に新しい立ち飲み屋ができていることを発見。これでお客さんが分散したので、すいたんですかねえ。
アイスクリーム屋やパブロなどが並ぶお洒落なホワイティ梅田をじわじわと立ち飲み屋が浸蝕しております。

東急・世田谷線

世田谷線
世田谷線

世田谷城を目指すには、京王線の下高井戸駅で東急・世田谷線に乗り換えないといけません。世田谷線のホームへ行ったら2両編成の電車がとまっていました。

路線内は均一料金になっていて電車の入口で料金を支払い、出口で降りるスタイルでチンチン電車の高級版といったイメージです。見た目は普通のローカル線のようでもあり、始めてだと、ちょっと乗り方に戸惑います。2両編成なんですが、けっこう乗客は多いですね。世田谷線は昔、渋谷から出ていた玉電の支線でしたが、三軒茶屋ー下高井戸の間の支線だけ残って現在の形になったそうです。

住宅街に残る世田谷城

世田谷城
世田谷城

深大寺城の後は世田谷城を目指します。バスでつつじが丘駅へ出て京王、東急を乗り継いで宮の坂駅へ。ここに奥州吉良氏の世田谷城があります。

吉良氏といえば忠臣蔵で有名ですが、「足利将軍家が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われたほどの足利氏の名門で本貫は三河国幡豆郡吉良荘でした。一族はいろいろと別れており、このなかから奥州管領になったのが奥州吉良氏です。

奥州吉良氏は一時期、滅亡の危機に瀕したこともありましたが、武蔵国に城を構えることになり、これが世田谷城です。1336年、吉良治家の時代と言われていますが、よく分かっていません。場所は世田谷の豪徳寺付近で、高台になっている豪徳寺には吉良の屋敷がありました。近くに世田谷城址公園があり、土塁や郭跡がコンクリートなどでだいぶ改変されていますが残っています。豪徳寺のすぐ横の団地近くには土塁がそのまま残っていました。

奥州吉良氏は北条氏の傘下だったため秀吉の小田原征伐の時に世田谷城は廃城となりました。