真弓鑵子塚古墳

真弓鑵子塚古墳
真弓鑵子塚古墳

牽牛子塚古墳から少し行ったところにあるのが真弓鑵子(かんす)塚古墳。畑の中にこんもりとした山があり、ここが古墳です。鑵子(かんす)とは湯釜のことで玄室の形が湯釜に似ていることから名づけられています。真弓は地名です。 

真弓鑵子塚古墳は墳丘が二段になった円墳ですが、最大の特徴は玄室の広さで床面積は奈良県内では見瀬丸山古墳(34㎡)に次ぐ28㎡の広さ(畳18畳分)があります。石舞台古墳は27㎡で、それよりも広いですね。横穴式石室になっています。 

被葬者はわかっておらず、このあたり古墳ではミニチュア炊飯具など渡来系要素をもつ遺物が多いことから東漢氏首長一族の川原民直宮(かわはらのたみのあたひみや)ではないかという説があります。 

東漢氏は阿知使主を氏祖とする帰化系氏族集団で、軍事力があったため蘇我邸の警備などもしています。真弓鑵子塚古墳を東に行った檜隈が東漢氏の本拠地でした。東漢氏の子孫からは坂上田村麻呂が出ます。また上杉の名跡を継いだ上杉謙信はもともと長尾景虎という名前でしたが、この長尾家が東漢氏の子孫となります。

牽牛子塚古墳は斉明天皇陵?

牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳

巨大古墳時代が終焉をむかえ、王墓は八角墳(正八角形の古墳)に移行していきます。道教に八角形が天下八方の支配者という考え方があり、王墓や首長墓などに活用されていきます。

■益田の岩船は失敗作?
飛鳥駅の西側の丘をずっと登っていくと牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)があり、ここも束明神古墳と同じ八角墳です。牽牛子とは朝顔(アサガオ)の別称で、巨石をくりぬいて2つの墓室を設けた特異な内部構造になっています。2つの墓室といえば、有名なのが同じ飛鳥にある益田の岩船。

巨石に2つの穴が空に向かってあいていて古代から何に使った巨石か分かりませんでした。松本清張などは拝火教(ゾロアスター教)の拝火壇説を唱えていました。最新説では、もともと古墳の石室を加工しようとしていたところヒビが入ったため、そのまま放置して古墳の場所も移して牽牛子塚古墳になったのではといわれています。

■牽牛子塚古墳の被葬者は斉明天皇
牽牛子塚古墳は円墳だと思われていたのが発掘調査の結果、八角墳ということがわかり、注目を集めたのが被葬者。日本書紀に合葬したという記録があり、斉明天皇・間人皇女ではないかと言われています。古墳は今、整備中です。

斉明天皇とは中大兄皇子のお母さん。舒明天皇が亡くなった後に皇極天皇として即位します。乙巳の変では切られた蘇我入鹿が皇極天皇に向かい「私に何の罪があるのか」と叫んだと記録されています。孝徳天皇の時代となり飛鳥から難波京に遷都しましたが、孝徳天皇亡き後、また飛鳥に戻り即位(史上初の重祚)し、斉明天皇となります。

■先日、発表された四天王寺の亀形石造物
斉明天皇といえば飛鳥で運河などの大規模な土木工事を盛んに行いました。また飛鳥の観光スポットになっている酒船石や亀形石造物も作っています。そうそう先日、この飛鳥の亀形石造物と同じ時代に造られたのが四天王寺の亀井堂にある亀形石造物と発表されていました。昔から経木流しに使われていたのがあの亀形石造物がまさか斉明天皇時代だったとは驚きでした。

草壁王子のお墓?束明神古墳

束明神古墳
束明神古墳

飛鳥からずっと西に行くと真弓の丘があります。佐田の地にあるのが束明神古墳。佐田集落の一番奥の高台に春日神社があり、神社の境内に束明神古墳があります。 

これがなんと八角墳!7世紀後半に造られた古墳です。被葬者はわかっていませんが、佐田では束明神古墳が草壁皇子(岡本天皇)の墓と伝わっています。万葉集や続日本書記にも佐田丘陵に草壁皇子に葬られた事が記載されており、ましてや八角墳ですので可能性は高そうです。明治時代に天皇陵の比定がはじまりますが、天皇陵に指定されると村の立ち退きがあると噂がたったため束明神古墳の石室上板を隠し、役人が古墳の上から鉄の棒をいれて石室を確かめる探査を免れたそうです。ですので、現在比定されている岡本天皇陵は南に300mほどずれたところにあります。 

草壁皇子といえば天武天皇と皇后・鸕野讃良皇女(持統天皇)の皇子で、大津王子が殺された後、王位継承の本命でしたが即位することなく28歳の若さで亡くなります。

マルコ山古墳

マルコ山古墳
マルコ山古墳

飛鳥の西側、真弓丘陵にあるのがマルコ山古墳。

山のふもとにポコンと帽子のような古墳があります。当初は円墳と思われていましたが、発掘調査の結果、六角墳ではないかと言われています。大王墓は八角墳ですので、六角墳は大王に次ぐ位である皇太子や皇子の墓とみられています。一説には被葬者は天智天皇の第二皇子である川島皇子ではないかと言われています。川島皇子は天武天皇の皇女が妃だったので壬申の乱時には天武天皇側でした。「帝紀」、「上古諸事」の国史編纂に携わっています。

親友であった大津皇子の謀反を密告したと言われていますが、本当のところはわかっていません。35歳で亡くなりましたがマルコ山古墳からは30歳代の男性と見られる人骨が出土しています。

市尾墓山古墳

市尾墓山古墳
市尾墓山古墳

高取町の市尾にあるのが市尾墓山古墳。平地のど真ん中に草がきれいに刈りとられた、こんもりとした山の形であります。古墳のすぐ南には紀路と呼ばれる飛鳥から古瀬谷を経て紀ノ川沿いに紀伊水門まで通る古くからの街道が通っています。 

市尾墓山古墳は6世紀前半に築造された前方後円墳で全長70mほどあります。1978年の発掘調査で、後円部の横穴式石室から家形石棺が確認され国の史跡になっています。地元の豪族の墓ではとあるので、この付近を治めていた巨勢氏の可能性が大きいですね。前方後円墳の一番上まで登れ、二上山や金剛山などが眺められます。

ファイティング・コンサルタンツ研究会

中百舌鳥
中百舌鳥

10連休というのに旅行に行くわけでもなく特に用がない連中が深井に集まりファイティングコンサルタンツ研究会を開催。中小企業診断士の集まりです。 

14時に集まり研究会という名前の座談会を2時間ほどこなしたところで、花岡代表の「飲みに行こか」という一言で中百舌鳥駅へ移動。駅前の立ち飲み屋でまず宴会。ええかげん飲んだところで、そのまま居酒屋・じょうもんへ移動して宴会。結局、3時間ほど飲んで研究会よりも宴会の方が長いという、いつもの研究会でした。

平成最初の日

平成元年
平成元年

平成がスタートしたのは1989年1月8日(日)。昭和天皇の崩御をうけて翌日にスタートしました。 

ちょうどSRAというITベンダーでプログラマーやシステムエンジニアをやっていた時期で、あの頃は若かったな~あ(笑)。知的生産の技術研究会・関西は1987年9月スタートなんで昭和に始めていたんですなあ。平成よりも長いんだ~あ。 

当時の新聞がとってあったので平成がスタートした日の記事を見るとリクルートコスモス株事件の報道が載っていました。あとは自粛ムードが拡がる昭和最後の日の記事が多いですねえ。大阪はちょうど”えべっさん”が始まる時期で宝恵かご行列が中止になったと報道されています。”400年の歴史 佐渡金山に幕”という記事もありました。

薬師寺東塔

薬師寺 東塔
薬師寺 東塔

西ノ京へ行く用事があったので、ついでに薬師寺に寄ってきました。 

長く修繕工事をしていた東塔もいよいよ最終段階。2020年4月に落慶法要が行われます。GW中、修理作業現場での最後の一般公開が行われており、えっちらおっちら階段を登ってきました。最上階では相輪がまじかにみえ、上の水煙もよく見えます。また塔の鬼瓦は4方向とも全然、違う顔をしているんですね。 

東塔の上から西塔が見えるのが特にいいですねえ。今回の解体修理が行われたのが110年ぶりなんで、次に見るチャンスは絶対になさそうです。 

岡山へ

岡山駅
岡山駅

岡山でお仕事。仕事は午後からなので早目に岡山城を見に行こうと思っていたら、IT導入補助金について教えてほしいという岡山のITベンダーからの連絡が急に入って、午前も潰れてしまいました(泣)。

夕方にはお仕事が終わって岡山駅へ。乗ったタクシーの運転手が10連休についてぼやいていました。岡山の観光地といえば岡山城や後楽園なんで使うのはバスや市電が中心。タクシーを使うのは営業が多く、10連休はビジネスが止まるのでタクシー事業者もかなり実車を減らすそうです。居酒屋もどれぐらい開店するかよめないようです。

さて岡山駅で少し時間があったので駅をいろいろと散策していると一角に立ち飲み屋を発見。地ビールである独歩(ドッポ)も置いていました。

仕事をゲットするためのネット活用法

マイドーム大阪
マイドーム大阪

マイドーム大阪8階の会議室で大阪府中小企業診断協会のスキルアップ研修。

今回のテーマは「仕事をゲットするためのネット活用法」です。初心者向けの内容なんですが、独立組だけでなく企業内診断士が3/4ほど参加しておりました。皆さん、独立する気、満々なんですね(笑)。

中小企業診断士といえども待っているだけでは仕事はゲットできません。営業ツールが必要です。まず名刺ですがパソコンで自作してもかまいませんが、私は会社案内代わりにしているので2ツ折でいろいろと情報を盛り込んでいます。もう一つ大切なのがホームページ。

ちょっとした知り合いからの紹介で仕事につながることも多いのですが、発注側ではどんな人か、ホームページを確認しますので実績などを掲載したコンテンツを用意しておかなければなりません。ホームページの立ちあげ方やどんな内容を書けばよいかを話をしてきました。

スキルアップ研修の両隣では大阪府中小企業診断協会と大阪中小企業診断士会の理事会が行われており、マイドーム大阪8階は中小企業診断士だらけでした。