福助

福助
福助

今は昔、Fchikenというフォーラムありけり。パソコン通信なる面妖なものに取りつかれし衆生が集まる場所なり。 

ということで大昔にNifty-Serveという富士通と日商岩井がやっていたパソコン通信があり、そのなかにFchiken(知的生産の技術)フォーラムやFbman(ビジネスマン)フォーラムなんてものがありました。 

そんなパソコン通信の時代は、はるかかなたとなりながら、折に触れて残党が集まっています。本日、東京から珍しくくるメンバーがいたため残党が集まったのが日本一短い商店街「肥後橋商店街」にある福助。 

ここも昔からオフ会などで使っているお店で、おばちゃんもあいかわらず元気ですねえ。なんやかかんやか3時間ほど飲んで帰ってきました。あいかわらずリーズナブルな価格です。

ゼロワンカレー

ゼロワンカレー
ゼロワンカレー

谷町四丁目から本町橋にかけて多いのがカレー屋さん。このカレー激戦区にあるのがゼロワンカレーです。

大阪よろず支援拠点のコーディネータにはカレー好きが多く、今日のランチも連れられて行ってきました。

場所は内本町交差点の南東にある食べ物屋さんが集まったダイアパレスビル本町の地下1階。メニューは南インドA定食(日替り肉系カレー)1,000円、南インドB定食(日替り魚介系カレー)1,000円、あいがけ1,200円です。カレー以外によくわからないインド料理が4品ほどついていて、壁には説明が書いてあるんですが、よう分かりません(笑)。

平日はなんとか座れますが、土日は行列になるお店です。

三重大学で講座スタート

三重大学
三重大学

今年度から三重大学で非常勤講師をやっております。もっとも前期の1コマだけで、科目は情報科学基礎という情報リテラシーを教える講座です。

学生は教育学部一回生ですので、入学式が終わったばかりのフレッシュな学生です。小中高の先生を目指す学生が多いので、”先生になったらそのうち、令和生まれの生徒が入ってきてショックを受けるよ!”と脅しておきました。私も平成生まれの学生が入ってきた時は”歳とったな~あ”とショックでしたねえ(笑)。

非常勤講師の経験は京都橘大学だけですが、三重大学とはけっこう違っています。橘は学生が教室に入るとICカード(学生証)を読み取り装置に通すので出欠管理は全てコンピュータですが三重大学の教室にそんなものはない。出欠カードは面倒なので、こまめにレポート提出させて代用するしかなさそうですね。ただコンピュータ環境は進んでいて橘の場合は単純なネットワークサーバですが、三重大学はレポートがいつ出されたまで管理できそうです。いずれにしても慣れるまで大変です。

梅田で経営情報システム

LEC
LEC

LEC梅田本校で経営情報システムの講義。4週連続、日曜日にやっており、今日が最終日。もっとも来週も別の講義をやらないといけないので5週連続です。

来年は東京オリンピックがあるので中小企業診断士・1次試験の前倒しが決まっていますが、今年は例年どおり8月4日(土)、5日(日)に開催されます。外は花見日和というのに受験生は教室にこもって訳のわからない3文字熟語を覚えないといけません。

大体、DだけでもDML(データ操作言語)、DMZ(非武装地帯)、DNS(ドメインネームサーバ、DSS(意思決定支援システム)、DoS(サービス拒否)なんて単語を覚えなくてはいけません。教える方も大変なんです(笑)。受験生の皆さん、残り4ケ月がんばってください!

大川で花見

大川
大川

ファイティング・コンサルタンツという設立当初は大阪随一のコンサルティングファームを目指そうとしていた団体があるんですが当初の崇高な目的はどこへやら、昨今は単なる酒飲み団体へと変貌しています(笑)。 

この団体が毎年、春になると天満橋に集合し大川で花見をしています。記録をみると2008年から欠かさずやっています。酒飲み団体ですので、こういうことには熱心ですねえ、ということは2008年頃から酒飲み団体に変貌しだしたんですなあ。 

寒かろうが雨が降ろうが花見をやっていますが、昨日はけっこうな晴天でした。集合は天満橋駅でしたが、いつも遅れてくるメンバーが珍しく集合時間前に来るという快挙があり、ほぼオンタイムでの花見開催となりました。

茶臼山古墳

茶臼山古墳
茶臼山古墳

桜井の住宅地にあるのが茶臼山古墳です。

茶臼山古墳は卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳の後の時代にできた前方後円墳です。国内最大となる81枚以上という銅鏡(破片)が副葬品として見つかり、13種類となりました。鏡の一つは魏志倭人伝に記載されている魏の皇帝から卑弥呼へ下賜された銅鏡100枚ではという説もあります。いずれにしても初期ヤマト政権の大王墓で3世紀後半から4世紀初頭に造られたようです。

大王墓の可能性が高いわりに天皇陵の比定地になっていませんので墳丘にあがることができます。古墳だと認識されたのが戦後でしたので比定の対象にならなかったのかもしれません。近鉄大阪線で桜井駅から大和朝倉駅に向かう南側に見ることができ線路のすぐそばにあります。近くには欽明天皇磯城島金刺宮跡や仏教伝来地があり古代の一等地でした。

櫛山古墳

櫛山古墳
櫛山古墳

行燈山古墳(崇神天皇陵)のすぐ隣にあるのが櫛山古墳で、こちらも山辺の道沿いにあります。一見すると前方後円墳なんですが、ちょっと変わった双方中円墳になっていて円丘の両側に方形の突出部を持っています。築造された年代は4世紀後半とみられているので、行燈山古墳の後になりますが行燈山古墳のすぐ近くに造られ、同じ向きで並んでいますから、おそらく関係があった人物でしょう。

天皇陵ではないので登ることができますが広場みたいになっていて、江戸時代には柳本藩の弓場になっていたといわれています。確かに弓の練習をするには程よい広さになっています。

山辺の道

山辺の道
山辺の道

崇神天皇陵は山辺の道(やまのべのみち)のほとりにあります。山辺の道は古墳時代初期、崇神天皇の時にはすでにできていたようで、日本最古の道でありハイキングコースとして人気があります。桜井から天理を通って奈良へ至る35kmの道です。

かって奈良盆地には大和湖があったので古代でも沼地や湿地が多く、これを避けて山沿いに山林、集落、田畑の間を縫うように山辺の道が作られました。ですので奈良盆地を一望できるところが山辺の道沿いにたくさんあります。

山辺の道の起点は桜井にあった海石榴市(つばいち)で聖徳太子が送った遣隋使の返礼として、難波より大和川を遡上してきた隋使・裴世清(はいせいせい)を迎えたところで有名です。ほかにも物部守屋と蘇我馬子との仏教をめぐる争いから物部守屋が伽藍を焼き尼僧らの衣服をはぎ取りって海石榴市で鞭打ちしたという記録にも出てきます。

沿道には茅原大墓古墳、景行天皇陵、崇神天皇陵、櫛山古墳などのほか纏向には卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳のすぐ近くを通り、歩きながらヤマト政権の中心地を堪能できます。また三輪の大神神社、元伊勢と呼ばれる檜原神社、相撲神社、長岳寺、日本酒発祥の地である正暦寺などが並びます。人気なのは桜井から天理に至る南コースで約16kmあります。

行燈山古墳(崇神天皇陵)

行燈山古墳(崇神天皇陵)
行燈山古墳(崇神天皇陵)

天理市柳本町の山の辺の道沿いにに行燈山古墳(あんどんやまこふん)という前方後円墳があります。実際の被葬者は分かっていませんが、宮内庁では「山辺道勾岡上陵」として第10代崇神天皇陵にしています。中には入れませんが水堀沿いなどを歩けます。

崇神天皇の称号は神武天皇の「ハツクニシラススメラミコト」とよく似ていることから、崇神天皇は3世紀後半ごろに実在した最初の大王では言われています。有名なのは北陸、東海、西道、丹波に四道将軍を派遣したことで北陸道を平定した大彦命と、東海道を平定した建沼河別命が合流した場所から会津というようになったと言われています。

西道をすすみ吉備国を平定したのが吉備津彦で、桃太郎伝説のモデルになりました。この吉備津彦命の墓である中山茶臼山古墳(吉備)と行燈山古墳(大和)がちょうど1対2のサイズで同じ設計図から作られたのではないかと言われています。

行燈山古墳は4世紀前半頃(古墳時代前期)の築造で、規模は全国第16位の大きさ。卑弥呼の墓といわれている箸墓古墳がある纏向遺跡にも近く、初期ヤマト王権の大王墓のようです。

大阪産業局がスタート

名刺も大阪産業局に
名刺も大阪産業局に

大阪府よろず支援拠点は大阪産業振興機構の中にありましたが、本日(4/1)大阪産業振興機構(マイドーム大阪)と大阪市都市型産業振興センター(大阪産業創造館)が統合し、大阪産業局となったため大阪産業局の中に入ることになりました。といっても、場所は同じでマイドーム大阪7階になります。しばらくしたら産創館に移るかもしれません。
いわゆる府と市の統合の一環です。大阪産業局となったため名刺やマイドーム大阪内での案内などが一斉に変わっていました。
個人的には昼休みが45分から60分となったため堺筋本町の紀伊国屋書店まで行けるようになったのが、ありがたいですね。