カンボジアをゆく(3) チケット

アンコール・ワット チケット販売所

アンコール・ワットに入場するにはチケットが必要です。シェムリアップの街にチケット販売場があるので現地ガイドと一緒にチケットを買いにいきます。チケットはアンコール遺跡群になっていてアンコール・ワット以外にアンコール・トムなど様々な遺跡に入ることができます。チケットは1日券、3日券、7日券があり、3日券は62ドルです。チケット販売場で顔写真をとられ、これがQRコードでチケットに印刷されます。

昔はアンコール・ワットの道路沿いにチケット売場がありましたが、朝買って観光し、午後は友人に渡すやつがでてきたため、チケットに顔写真を貼るようになりました。ところが写真をはがして自分の写真に変えるやつがでてきて(笑)現在の形になったそうです。

遺跡入口には紫色のシャツを着てるスタッフがいて、スマホでQRコードを映し顔の確認ができます。現地の人は無料なので顔パスで入場していきます。スタッフですが朝5時頃から夕方までスタンバイし、翌日は休みという勤務形態だそうえす。

カンボジアをゆく(2) アンコール・ワットの落書き

アンコール・ワット

アンコール・ワットの目的が森本一房の落書き。

森本一房は加藤清正・重臣の次男ですので江戸時代が始まったばかりの時期です。寛永9年(1632年)、まだ鎖国政策が始まる前にカンボジア(南天竺)へ朱印船で渡ります。釈迦が説法した祇園精舎がアンコール・ワットと思われた時代で回廊の柱に墨書で落書きを残しました。また仏像も奉納しています。10日ほどアンコール・ワットに滞在したようです。

400年前に武士がやってきたんですね。カンボジア内戦期に黒塗りされていますが、一部は今も見ることができます。と言いながら墨書は分かりますが、文字は判別しにくいですね。

森本一房の父親である森本儀太夫は城普請などで有名で熊本城には森本櫓がありました。

カンボジアをゆく(1) セキュリティチェック

ベトナム航空

「アンコールワットに行かない?」という奥さんからの申し出に「行く、行く」と二つ返事。なんせカンボジアは知り合いの安田さんが毎年、「自転車1台で人生が変わる!カンボジア自転車プロジェクト」というクラウドファンディングを行い、現地の中学校などをまわって自転車を配っている国です。一度ぐらいは見ておかないと。 

■靴まで脱ぐセキュリティチェック
残念ながら関西空港からカンボジアへの直行便はありません。まずはベトナム航空でハノイ・ノイバイ国際空港まで5時間飛びます。空港の分かりにくいトランジットを抜けるとセキュリティチェックが待っています。カバンからパソコンなどを取り出すのは日本と同じですが、ベルトもとるように言われます。これはカンボジアの空港でも同じでした。

ハノイ・ノイバイ国際空港はさらに靴を脱いで金属探知機を通らないといけません。過去に靴になにか仕込んだやつがいるんでしょうね。ハノイからシェムリアップ・アンコール国際空港までは2時間弱で着きます。カンボジアのイミグレーション(入国審査)では両手親指の指紋を撮影します。出国時も撮影しましたので指紋で出入国管理をしているんでしょうね。

越前府中城

越前府中城

豊臣兄弟で前田利家(犬千代)が登場しましたね。先日、写真の整理をしていたら武生駅前から少し歩いた越前市役所にあった石垣の写真が出てきました。石垣などがあると条件反射的に撮影してます(笑)。案内板には本多家館の石垣とありましたが、あらためて調べると越前府中城があったところなんですね。

■賤ヶ岳の戦い 柴田勝家の敗走

朝倉氏を滅ぼした信長が前田利家に府中の地をあたえ、造ったのが越前府中城です。江戸時代は本多氏が明治維新まで治めました。賤ヶ岳の戦いで前田利家は勝手に戦線離脱しますが、北ノ庄城に敗走する柴田勝家が越前府中城により、長年の厚誼に感謝し、秀吉に降るように言って、利家から預かった人質も返したという、よくドラマなどで描かれるシーンがあります。

これには諸説あって、前田利家は迂回して越前府中城へ向かいましたので物理的に勝家の前に城には入れず、そうなると対応したのは「おまつ」だけになります。

■前田利家は本当に敵前逃亡したのか

前田利家が敵前逃亡したという噂がたちますが、秀吉は越前府中城へかけつけて利家を説得したのではないかという説です。秀吉は右腕が必要なので最初から秀吉と話を通じていたことにしないかともちかけます。利家は家の安泰と加増に決断せざるをえません。結果をみて世間は最初から秀吉と話ができていたと考え、敵前逃亡のうわさが流れます。

鉄人28号

鉄人28号

地下鉄・西神中央駅から大阪に戻るには途中の新長田駅で下車し、JRに乗り換え。神戸駅まで出て新快速に乗り換えます。

せっかくなので新長田駅で降りて駅近くの商店街にある鉄人28号を見てきました。水滸伝、三国志などで有名な横山光輝が神戸出身ということもあり、震災復興と地域活性化のシンボルとして2009年に建てられたものです。JRの車窓から見ることはありますが、まじかで見るのははじめて。さすがに、でっかいですねえ!

兵庫城

兵庫城

西神中央駅の近くに考古学博物館があり、発掘調査で見つかった兵庫城の石垣などが展示されています。暮石など転用石も集められて展示されていました。

兵庫城って、ご存じですか?

地下鉄・中央市場前駅付近にあった城です。清盛が貿易拠点とした大輪田泊が良港として栄え、中世頃からは兵庫湊と呼ばれていました。有岡城の戦いで荒木村重を破った織田信長がで池田恒興に兵庫を与え、兵庫湊をおさえるために造ったのが兵庫城です。

ところが池田恒興が2年で美濃国大垣城に移封されたため、豊臣政権では片桐且元が代官として入城しました。江戸時代には陣屋となりましたが明治となり兵庫港が大幅に改修され、兵庫新川運河が出来て、兵庫城跡は取り壊されてしまいます。天守台もある大きな城でしたが現地には看板ぐらいしか残っていません。

西神中央駅

端谷城へ行く拠点になるのが西神中央駅です。神戸市営地下鉄西神・山手線の終着駅になります。

昔、農業公園があって、ここにワイン城があったので駅前でバスに乗って行った覚えがあるんですが、その時は鄙びた駅だなという印象です。西神中央駅に久しぶりに降りてみると大型ショッピングセンターなどがあり、人でごった返していました。周りに大型衆宅地が開発されたので、その影響は大ですね。ここから三宮駅まで地下鉄で30分でいけるので便利ですね。おかげで山城の郭の一部が削られたり色々な影響が出ています。

池谷城

池谷城

端谷城の支城として櫨谷の谷筋に福谷城、城ヶ市城、城ヶ谷城、池谷城があります。最後の池谷城へ行ってきました。「池で車道がカーブするあたりに山沿いに入る道がある」と事前に調べていたので池のに南側に入る道を見つけて、途中から藪だらけの崖を直登して頂上に出ましたが、どこにも城跡がない。おかしいなあとGoogleマップで調べると、どうも隣の山らしい(笑)。

仕方ないので直線距離で一番短いルートをとって崖を降り、同じく藪だらけの崖を登り直しました。頂上に社があり、ここが郭跡でした。池の北側にある道から入ると楽に城跡へ行けました。郭がいくつも重ねっており、まあまあ大きな山城で、帯郭などもよく残っていました。麓まで削平地があるので、かなりの兵が駐屯できたようです。

福谷城

端谷城の衣笠氏が櫨谷筋に造った支城の一つが福谷城で城ヶ谷城の北側に位置しています。福谷北交差点から遊歩道があって途中に秋葉神社に登る参道があります。参道なので舗装されていますが、これがかなりの急坂で登るとゼーゼー言わないといけません。山の上に秋葉神社があって、境内から狩場台、糀台という西神ニュータウウが見られます。

秋葉神社があるところが郭跡になっています。ですので急坂なんですね。さらに神社の奥に進むと竪堀、土塁、郭があり、けっこう広い縄張りの城でした。秀吉の三木攻めで端谷城と同様に落城したのでしょう。

城ケ谷城

城ケ谷城

櫨谷(はせたに)の谷筋に作られた支城の一つ。神戸加古川姫路線(65号線)のすぐ横にある台地の上に造られています。

場所のあたりをつけて城へ行ける道を探ります。道を進んでいると軽トラが反対側からやってきて、城について聞いても、この先は果樹園だけという返事。城ケ谷城の名前は聞いたことがないそうで端谷城しか知りませんでした。気を取り直して、別の場所からアプローチすると果樹園に出てしまいました。あれま!

もう少し進んで違う農道から崖を登ってみると、おお!郭に入れました。ですが、藪だらけですね。隣が主郭なので、そちらに突入。郭の中は藪だらけで、さすがに中に入れないので、土塁上をずっと歩いていきますが一周は無理でした。ですが、けっこう技巧的な城造りでした。