
鎌倉幕府を滅ぼしたのは誰でしょう?
後醍醐天皇が倒幕を言いだしたのは確かですが、呼応したのは楠木正成など一部の武士です。倒幕できたのは足利尊氏が挙兵したからで、北条氏をよく思っていなかった武士が雪崩をうったように勝ち組にのります。
挙兵した場所が篠村八幡宮で亀岡から京都へ行く山陰街道の途中にあります。神社の横に楊(ヤナギ)の木があり、ここに足利家の二引両の旗をあげて参加する武士の目印にしました。今の木は7代目だそうです。ここから鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題を攻めます。六波羅探題は陥落し北条仲時らは京都から近江に逃れますが番場宿で追いつかれ一族432人が自刃します。鎌倉は新田義貞が攻めました。
有名な篠村八幡宮ですが、訪れる人は少なそうですね、行った時は誰もいませんでした。山陰街道沿いにあるので本能寺へ向かう明智光秀も戦勝祈願をしていますが、尊氏のように新しい幕府を作ることが脳裏によぎったでことしょう。