篠村八幡宮

篠村八幡宮

鎌倉幕府を滅ぼしたのは誰でしょう?

後醍醐天皇が倒幕を言いだしたのは確かですが、呼応したのは楠木正成など一部の武士です。倒幕できたのは足利尊氏が挙兵したからで、北条氏をよく思っていなかった武士が雪崩をうったように勝ち組にのります。

挙兵した場所が篠村八幡宮で亀岡から京都へ行く山陰街道の途中にあります。神社の横に楊(ヤナギ)の木があり、ここに足利家の二引両の旗をあげて参加する武士の目印にしました。今の木は7代目だそうです。ここから鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題を攻めます。六波羅探題は陥落し北条仲時らは京都から近江に逃れますが番場宿で追いつかれ一族432人が自刃します。鎌倉は新田義貞が攻めました。

有名な篠村八幡宮ですが、訪れる人は少なそうですね、行った時は誰もいませんでした。山陰街道沿いにあるので本能寺へ向かう明智光秀も戦勝祈願をしていますが、尊氏のように新しい幕府を作ることが脳裏によぎったでことしょう。

ブラタモリ(津観音)

津

ブラタモリの予告編で津城が登場するのは分かっていましたが、予想していなかった津観音が出てきました。津観音にある阿弥陀さんの本地が天照大神とされ、伊勢参りするなら伊勢神宮と津観音の両方を参拝しないといいけない風習がありました。そういえば日本史で本地垂迹を習いましたね。伊勢街道が城下町を通るようにし、津観音の目前を通るようになっています。

関ヶ原の前哨戦である安濃津城の戦いが行われ、毛利秀元、長束正家、安国寺恵瓊、鍋島勝茂、長宗我部盛親らが攻め、津観音も燃えてしまいました。再建したのが新しい領主である藤堂高虎です。

次回は斎宮が出てくるようで楽しみですね。ですが最後は和田金に行くなど旅行番組みたいになってきて、断層などの話は出てこなくなりました。松阪には中央構造線が地表に現れた露頭があるのに

大屋根リング

大屋根リング

登ってみるまで大屋根リングが二段になっているとは知りませんでした。屋根はけっこう広いので高所恐怖症でも大丈夫です。って端には寄りませんでした。

東、西の両ゲートちかくの大屋根リングは人も多いのですが、皆さん、ちょっと歩いて降りるようで、北、南は、けっこうすいています。一周2kmで万博の各パビリオンを一通り眺めるには最適です。

「でんさい」(電子記録債権)の基本が理解できる講座

「でんさい」(電子記録債権)の基本が理解できる講座

最近、ウェブ記事が多いのですが久しぶりに紙の雑誌への執筆です。研修出版「経理WOMAN5月号」です。

「でんさい」(電子記録債権)の基本が理解できる講座

経理担当者にとってなじみの深い(紙の)小切手や手形ですが、2026年度末までに廃止される予定となっています。そこで注目を集めているのが「でんさい」。「でんさい」は全国500以上の都市銀行、地方銀行、信用金庫がネットワークに参加しているため非常に利便性が高いのが特徴です。そうしたことから、(紙の)小切手や手形の廃止を見据えて「でんさい」の利用を検討している中小企業も多いようです。経理担当者が押さえておきたい「でんさい」の仕組みを分かりやすく解説します。

万博の食事

バインミー

万博では昼食時、リング内のレストランなどは、どこも一杯です。割と穴場なのは各国パビリオンの出口付近にショップや軽食コーナーがあるケースがあり、各国料理を食べられ出口から入れます。テイクアウトの店やキッチンカーも出ています。

行った日はリング外側にあるリングサイドマーケットプレイス東がすいていて、サイゴン食堂でバインミー(800円?)とビール(900円)で昼食でした。万博価格で高いのですが、そうせざるをえませんね。

万博前にポップアップショップとして出展する事業者の相談があったのですが出店料が高く、高い価格にしても赤字になりそうで、赤字は広告宣伝費だと事業者は割り切っていました。入場前に弁当などを持って入るのがリーズナブルです。雨さえ降らなければ食べる場所はたくさんあります。

万博

万博

水谷IT支援事務所は福利厚生が充実しており社員旅行で大阪万博に行ってきました。もっとも従業員はゼロです。

先週の天気予報では、どしゃぶりの雨だったのが昨日になると曇に変わっていたので、きっと来場者が少ないと予想し出かけましたが甘かった(笑)まずは中央線で夢洲駅へ、本町駅と弁天町駅とからドヤドヤと乗客が乗り込んできます。

万博入口でのWifiつながらない問題は各社のアンテナを積んだ車を並べることで解決していました(笑)。手荷物検査&金属検査は空港と全く同じですね。入場のQRコードはスクリーンショットをとるのが鉄則です。

■平日は学校関係が多い

会場は小学校~高校の学校関係の来場が多く混雑していました。そうか平日は学校の引率があるんですね。そうそう、さっき来場100万人を突破したと発表していました。

大屋根リングは見ごたえありますが、一周して会場を巡っても1万5千歩ほどしか歩いていないので割とコンパクトです。各国の展示があるんですが、関西は国立民族学博物館と天理参考館があるんで、そちらの方が充実しています。ただ建物はけっこう凝っていて楽しんできました。

観音芝廃寺

観音芝廃寺

馬堀駅から少し行くと高台になっていて見晴というところがあります。地名の通り見晴がいいですね。今は住宅街になっていますが奈良時代の山陰道のすぐそばでした。一角にあるのが観音芝廃寺跡です。発掘調査され金堂や講堂跡がみつかり礎石などが復元されています。できたのが7世紀後半なので壬申の乱の頃ですね。300年ほど続きましたが平安時代には廃寺になったようです。秦氏が関わっていたのではと言われています。

■保津川開削
秦氏というと秦河勝が有名で聖徳太子の国造りを助け、広隆寺を創建します。秦氏は土地開発が得意なデベロッパーで、桓武天皇の平安京増設などに貢献します。嵐山にある大堰川の堰(葛野大堰)の原型は秦氏が作ったものです。嵐山までの保津川を開削し船運を整備したのも秦氏と言われています。丹波側の拠点として観音芝寺を作ったのでしょう。

馬堀城

馬堀城

山陰道を歩いていると馬堀駅(トロッコ列車の乗車駅近くの駅)近くで馬堀城を発見。

って、Googleマップに載っているのを見つけただけです。行ってみましたが現地には説明板も何もありませんでした。少し高台になっていて、Googleマップを見ると北垣内という地名があります。家に帰って調べると馬堀城の縄張図があり、主郭は馬堀駅前あたりで3つの郭からなっていたようです。少し離れたところに見晴という地名があり、城の見張り台があったようです。後で見晴公園に行きましたが、高台で眺めがいいですね。

天正年間(1573~92)に山田五兵衛なる人物が馬堀城を拠点にしていたと記録はありますが詳しいことは分かっていません。

ブラタモリ(江戸橋)

江戸橋

ブラタモリを見ていると鈴鹿サーキット→白子→津と移動し、最後は江戸橋の常夜灯が出ていました。

江戸橋は藩主が参勤交代で江戸に向かう時、家臣がここまで見送りにきたことから江戸橋と呼ばれています。すぐ近くに近鉄・江戸橋駅があり橋を渡った先が三重大学ですから、近鉄が止まるたびに学生がどわーっと渡る橋になっていて、私も大学へ行くときによく使っています。

■江戸橋・追分
橋のたもとにあるのが安永六年(1777年)の銘がある常夜灯で、ここが追分になっています。関宿で東海道と別れた伊勢別街道が江戸橋で伊勢街道と合流します。番組では分かりやすいように「京街道」と言ってましたが、本来の京街道はブラタモリでもやっていた大津の追分から京都をバイパスして大坂へ至る道が京街道です。東海道から分かれますので京から来た道には間違いはないんですが

次回は津城と松坂なんですなあ。

古世(こせ)城

古世城

亀岡駅と馬堀駅の間に昌寿院というお寺があります。山陰道の近くで、ここにあったのが古世城です。昌寿院が二の丸跡で、3つの郭からなっていたそうですが城の遺構は残っていません。寺の前にあった案内板によると楠木正成の次男である正時(四條畷の戦いで楠木正行とともに戦死)の子孫が代々住んでいたそうです。

天正7(1577)年に織田信長の命で明智光秀が亀山城を築城するまで、この古世城が丹波の中心でした。古世城の東側に年谷川が流れ、堀になっていたようです。亀山城を造る時に組み込まれ、古世城の空堀はそのまま亀山城の総構え堀として利用されたようです。