販売士 講師研修2日目

販売士講師研修
昨日に引き続き、大崎で朝から夕方まで販売士講師の研修。
今日は販売士3級、2級を教えるポイントなどを中心とした研修。ある講師は試験以前に販売士とはどうあるべきか、小売りの現場で応用できるように教えないといけないという心構え派。
またある講師は「皆さんプロなんで、受からせてなんぼの世界や」(東京の講師なんで大阪弁ではありません)ということで実績重視派。両方の立場からの話が聞けて、なかなか面白かったですが、両方とも必要ということなんですね。
販売士検定ですが、平成27年度から、名称が変わるそうで「リテールマーケティング(販売士)検定試験」になるそうです。また1級の面接試験は来年2月の試験から廃止。私が受験した時も、面接と言いながら、「そうですか中小企業診断士を取得されてコンサルをされているんですか・と、ほとんど世間話をしていた面接だったので、まあ廃止が妥当でしょう。(笑)

販売士講師の研修で東京へ

居木神社
販売士の講師登録研修会に参加するために東京の大崎にきています。写真は大阪駅近くにあった居木神社。なかなか古い神社で江戸時代初期に現在の場所に移ってきたそうです。
1級販売士は昨年に取得したのですが、講師研修の案内が来た時は東京でしか研修をやっていなかったので昨年は見送り。講師は販売士試験の2級や3級などの研修を担当することになります。今年も案内が来て、大阪でやりそうもないので東京の研修に参加。
参加者は55名ほどで北海道から鹿児島までいました。大阪からの参加は3名。2日間コースで初日の今日は昼からでしたが、なかなか面白い内容でした。登録講師になっても自分できっちりマーケティングしないと仕事はまわってきませんよという話は士業の共通ですね。
研修が終わってからは懇親会。流通やメーカーに勤めている人やらコンサルやら実に多彩なメンバーがいましたが、一人大学の4回生もいて1級販売士を取得し、就職はコンビニに決まったそうです。次は中小企業診断士を狙うそうで、すごいですなあ。私が学生の時なんか、そんな資格があることすら知らなかったのに。

織田信長が歩いた道が残る勝幡城

勝幡城
名古屋市新事業支援センターの窓口相談が終わってから名鉄で勝幡(しょばた)駅へ。駅から少し歩いたところに勝幡城跡があります。
織田信長は那古野城(現在の名古屋城の前)で生まれたという説がありましたが、最近の学説では勝幡城で生まれた説が有力です。二重の堀で囲まれていた館城で、江戸時代まで城跡は残っていたようですが、尾張藩が日光川を開削する時に城をぶっこわしてしまったようです。ただし縄張図を残したため、どんな城だったかが現在まで伝わりました。
主郭の半分は現在の日光川になり、半分は住宅街になっていますが、城西や城之内などの地名が残っています。岩波新書から「信長の城」(千田 嘉博著)が出ていて、現在の地図と勝幡城跡を重ね合わせて考察していますが、住宅街にある小さな小道が勝幡城の虎口につながる道と判明。城跡にはなにも残っていませんが、織田信長や織田信秀、柴田勝家らが歩いた道が残っていました。
感慨に浸って織田信長が歩いた道を歩いていたら夕立が!落ち武者のごとくずぶぬれになりました。

日本三大大仏の一つ兵庫大仏

兵庫大仏
ひょうご産業活性化センターで窓口相談。
来週、月曜(11日)が「ものづくり補助金」の締切のため、応募書類の最終確認などをしておりました。補助金の応募に認定支援機関の確認書が必要ですが、ひょうご産業活性化センター(認定支援機関)で確認書をとるには内部決裁がいるので、実質的に今日か明日が活性化センターへの提出締切になります。
さて写真は兵庫城近くにある兵庫大仏。能福寺というお寺にあり、このお寺は平家一門の祈願寺だったこともあり平清盛廟があります。また神戸事件で切腹した備前岡山藩士、滝善三郎の供養碑もありました。能福寺で一番有名なのが兵庫大仏。
明治24年に豪商によって建立され、奈良の大仏、鎌倉の大仏とともに日本三大大仏の一つでした。戦争中の金属類回収令によって供出されてしまいました。現在の大仏は平成3年に再建されたものです。でかいですな~あ!

高田中学6年コース 第9期生同窓会

津
津駅前で中学・高校時代の同窓会を開催。
6年コースという中学・高校一貫コースで現在は5クラスほどありますが、当時は1クラスしかなく12歳~18歳という多感な時代を共に過ごしました。1クラスなんでクラス替えもなく6年間ずっと一緒です。東京やいろいろな所から10名が参加。
卒業以来、初めて会う同窓生もいました。女性陣の話を聞いていると久しぶりに会っても当時の力関係がそのままだという話があり、大変ですなあ。皆さん、いい年代になりましたので話題は子供の進学・就職や病気の話。ピロリ菌をなくす薬を飲んでいる最中なので、今日は酒を飲めないという同窓生もおりました。(笑)

東大阪新聞が届く

東大阪新聞
東大阪新聞は月2回発行の新聞で、第6851号になっています。
誕生したのは昭和29年ですので、62年もたったかなり古い新聞です。ちなみに日本最古の日刊新聞は三重県にある伊勢新聞で、創業は明治11年です。
昔、中河内(東大阪、八尾、柏原)地域には15社ほどのローカル紙があったそうですが、現在残っているのは3社で、東大阪新聞以外では八尾タイムズと河内新聞があります。東大阪新聞社の社長が急に亡くなったことから、先日、知的生産の技術研究会・関西でウクライナセミナーをしてもらった小野 元裕さんが引き継いで社長をされています。
東大阪新聞は1枚もので表が東大阪版、裏が八尾・柏原版になっています。枚岡神社の巫女体験研修会などローカルなネタばかりです。きっちり広告を取っているところがすごいですね。後は中河内の城特集をしてくれると完璧なんですが
城では若江城、恩智城、高安城、信貴山城、八尾城、久宝寺城、萱振城、水走氏館などがあるのと南北朝がぶつかった四条畷の合戦や八尾・若江の戦い(大坂夏の陣)の舞台にもなっていますので、けっこうネタはありますね。

余野本城へ登り汗びっしょり

余野本城 虎口
摂津の池田からずっと山に分け入った豊能町へ専門家派遣で行ってきました。せっかく豊能町まで行ったので山城へ行ってきました。(笑)
行ったのは余野本城。応仁の乱の後に廃城になった説もありますが、しっかりした虎口もあるので戦国時代に改修して使っていたようです。看板などがある山城はほとんどないので、城への入口をネットで調べるとネットで資材置場ちかくから尾根まで直登とあります。つまり尾根まで崖を登れということです。
行ってみたらヤブだらけ。さすがにスーツ姿では無理だなあ、冬にもう一度来るかなと思ったのですが、あきらめ悪く、そこらへんを探していると空堀を発見。空堀沿いにすすむと主郭に出ることができました。ラッキー!
なかなか広い縄張のお城で、ヤブや余計な木が伐り倒されており、とっても見やすくなっています。虎口(郭への入口)が見事で、2回、折り曲がらないと郭へ入れず、張り出した土塁から横矢がかかる仕組みになっていました。こんな複雑な虎口は戦国時代のものでしょう。土塁の高さも10メートルほどもあり、よく遺構が残っていました。堪能しましたが、汗びっしょりになりました。やっぱり山城めぐりは冬がベストシーズンです。

よろず支援拠点 経営セミナーで講演

よろず支援拠点 経営セミナー
四日市商工会議所のセミナー室で講演をしてきました。
「よろず支援拠点」というのは47都道府県に設置された経営相談所のこと。中小企業・小規模事業者の売上拡大、経営改善など、経営上のあらゆるお悩みの相談に対応する拠点で、三重県は三重県産業支援センターに設置され、今年の6月から活動しています。
今年度、できたばっかりの「よろず支援拠点」ですので、まずは宣伝しないといけません。そこで四日市と伊賀で経営セミナーを企画したようです。企画するのはよいのですが予算もないことから支援センター内の身内に頼もうと考えたようで、講演を頼まれて駆り出されています。(笑)
「よろず支援拠点」からもらったお題は「ネット販売における商売の勘所」。ネットショップ向けというよりもホームページでいかに集客するかを中心にお話ししてきました。とりあえず四日市は終わりましたが、上野でもやらなくては。

中小企業診断士 理論更新研修2014

理論更新研修
中小企業診断士は5年ごとに更新が必要ですが、基本的に年1回、理論更新研修を受けなければなりません。最近は三重で受けることが多かったのですが、今年は大阪で受講してきました。場所はマイドーム大阪です。
内容は「起業・創業支援」。
開業時の平均年齢は41.7歳と高齢化。30歳代がしめる割合が40.2%、40歳代がしめる割合が29.8%で30~40歳で70%となります。ずっと下がっているのが29歳以下。15%ぐらいあった時もあったのが直近では8.1%になっています。
若い創業者が少なくなりましたが、増えているのが60歳以上。昔はほとんどなかったのに直近では6.5%。もう一つ増えているのが女性の創業。1990年代は10%前後でしたが、現在は15.1%まで増えています。
理論の話があった後に、ワークがありました。内容は相談者が持ち込んだ日本政策金融公庫に提出する創業計画書のブラッシュアップ。班で討議しながらやりますが、よく窓口相談で行っている内容と同じ。いやあ研修で仕事と同じことをするのは微妙ですねえ(笑)。

ウクライナ・セミナー

小野 元裕
昨日は天神祭の日だというのに知的生産の技術研究会・関西のセミナーを開催。天神祭とかぶっていることを気づかなかっただけなんですが。(笑)
旬の話であるウクライナのお話しをウクライナにも住み、日本ウクライナ文化交流会会長でもある小野 元裕さんにお話しいただきました。
ウクライナ、ロシア、ベラルーシは同じ東スラブ民族であり、ウクライナからロシアが誕生しました。日本における奈良のような存在で、大きく育った子供(ロシア)がお母さん(ウクライナ)をいじめるような構図になっています。またスターリン時代にはウクライナを抹殺しようと、とんでもないことをやっていました。(ソ連崩壊で情報がでてきたそうです)
クリミアはソ連時代に兄弟だったウクライナにプレゼントしたもので、そしたらウクライナが1991年に独立しちゃったので、それならソ連に返せよともめていた土地なんだそうです。ニュースの裏側の話をいろいろとお伺いしました。