長久手古戦場

nagakute201212.jpg午前中に仕事が終わったので、以前から気になっていた長久手古戦場に出かけてきました。歴史で学んだ小牧・長久手の合戦の舞台です。 

地下鉄東山線の終点「藤が丘駅」から愛知万博で有名になったリニモに乗り長久手古戦場駅へ。3つ目の駅が長久手古戦場駅。それにしてもすごい駅名をつけましたね。分かりやすくっていいんですが。 

駅のすぐ近くに古戦場公園があります。ここが池田恒興や森長可が戦死した場所で、塚が残っています。公園内には郷土資料館があって小牧・長久手の戦いの展示があるのですが、展示を見ると戦は広範囲に行われていました。藤が丘駅からリニモ沿線が全部、戦場だったんですね。 

長く陣がのびた秀吉軍は家康軍から攻撃を受け、各個撃破されてしまいました。第3隊の堀秀政だけは、いち早く丘の上に陣地を家康軍を蹴散らし、これが唯一の勝ち戦になりました。 

桶狭間と同じで、当時のものは何も残っていませんが、歩くと実に起伏の多い土地だと分かります。少し高い丘などは、両軍どちらかの陣地で御旗山という家康が陣を置いた山に登ると長久手が一望できました。それにしても古戦場なので香桶や血の池公園などと物騒な地名も残っています。

名古屋大学・食堂

nagoya20121213.jpg名古屋大学へ 

名古屋市新事業支援センターで来年1月25日(金)に大学発ベンチャー ビジネスプラン・グランプリ発表会を行いますので、名古屋大学へ打ち合わせに行ってきました。発表会の場所は名古屋市中小企業振興会館(吹上)。 

名古屋大学ですが台地の上にあるので、けっこう起伏があり、いたるところに坂があります。打ち合わせが終わったら、ちょうどお昼前でしたので、そのまま学食へ。入ったのは丼、麺専門のこじんまりとした学食。広いキャンパスなので、食堂もいろいろな所へ分散しているようです。頼んだのはから揚げネギ丼(380円)+サラダ(84円)。おいしゅう、いただきました。

岩田川の戦い

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ウチの実家があるのが津市の岩田という土地。私が子供の時は弓屋敷と呼んでいたので江戸時代、藤堂藩の弓屋敷が並んでいたようです。伊勢は昔から南朝の牙城です。津市には垂れ梅で有名な結城神社があり、北畠親房と一緒に戦った結城宗広をまつっています。
津市の中心街を流れるのが岩田川。いたってふつうの川で海が近いため大潮には川の水位がかなり上がります。このへんてつもない川の名前をつけた「岩田川の戦い」というのがありました。戦いがあったのは室町時代。
長い間、南北朝に分かれて争っていましたが和解し、双方から順番に天皇になるという約束ができました。ところが足利幕府が約束を反故にしてしまいます。そこで伊勢国司北畠家の第3代当主だった北畠 満雅(きたばたけ みつまさ)が挙兵し、幕府軍とぶつかります。北畠満雅は津市の南にある雲出川において幕府軍を大敗させますが、その後、「岩田川での戦い」で敗れ、北畠満雅は戦死してしまいます。
当時、幕府は鎌倉公方足利持氏と争っていたこともあり北畠と和解。北畠の居城のあった美杉村は多気御所と呼ばれ栄華を誇りました。多気という名前がついていますがシャープの多気工場よりもはるかに山奥。当時は伊勢国と大和国を結ぶ初瀬街道沿いにある交通の要所でした。
繁栄した北畠家に隣の尾張から攻め込んできたのが織田信長。北畠は結局、信長に滅ぼされてしまいます。あまり知られていませんが北畠家の城主の妻が松永久秀の娘です。また大和の兵も多数派遣されていて信長の北畠家攻撃で全員玉砕してしまいます。翌年、松永久秀が織田信長を裏切り、信貴山城で名器・平蜘蛛茶釜と一緒に爆死しますが、こんなところに伏線があったんですね。
この岩田川周辺ではもう一度、大きな戦いがありました。関ヶ原の戦いの前哨戦となった安濃津城の戦いです。東軍についた富田氏を攻めるために西軍の毛利秀元・吉川広家・長束正家・安国寺恵瓊・長宗我部盛親・鍋島勝茂が3万の兵を率いて包囲。富田氏は西軍の猛攻を持ちこたえ結局、和睦に。西軍はこの後、関ヶ原に向かいます。

スターバックスが都心に小型店展開を強化

コンビニカフェに対抗するためスターバックスが都心に小型店展開を強化していくと報道がありました。
■コーヒーは牛丼と同じでブランド・スイッチされやすい
コンビニ各社がテイクアウト・コーヒーに力を入れており、対抗するためスターバックスでは低コスト運営できる小型店を増やしています。背景としてコーヒーはブランド・スイッチされやすい点があります。例えば私の場合、新大阪駅のスターバックスが賑わっていると、「行列に並んでまで買いたくないな」と思い、新幹線ホームに上がってキヨスクでテイクアウト・コーヒーを買っています。もっと時間がないと車内販売のコーヒーを飲んでいます。
私のようなお客はキヨスクのコーヒでもドトールコーヒでも、なんでもよくテイクアウトでコーヒーが飲めればよいと思っています。コーヒーの味にすごい差があれば別ですが、スターバックス・ファンでない限り、簡単にブランドスイッチしてしまいます。これは牛丼の世界と同じで、吉野家の牛丼でないとダメというお客もいますが、松屋、すき家、吉野家のどこでもよいと考えるお客も多くいます。こうなると、お店が目に入るかどうかが勝負で、価格はあまり関係がありません。
■コンビニカフェの周りに店を出す
コンビニの場合、店舗をまわるトラックの配送効率を考えドミナント戦略で出店しています。ドミナント戦略とは集中戦略のことで、ある地域に集中的に店舗をつくって面で地域をおさえてしまうことです。スターバックスの場合、主な原材料はコーヒーで、コンビニに比べ少品種になり、配送頻度も少なくてすみます。またコンビニよりも狭い商圏で成り立ちますので、コンビニカフェをつぶそうと思えばコンビニのすぐ近くにサンドウィッチする形で複数店を出せばOK。
また弁当を買おうとコンビニにお客があふれかえっている中、殺気立っている店員にテイクアウト・コーヒーを頼むのは至難の業。自分の後ろの列からは「なに時間がかかるものを頼んでいるんだ」ときつい視線がつきささります。近くにテイクアウトコーヒー店があれば、そっちでコーヒーを買おうになってしまいます。テイクアウト店で買うのが習慣化すると、コンビニがすいていても店員にテイクアウト・コーヒーを頼まなくなります。
スターバックスとしては、なるべく行列を作らさず、すぐにコーヒーが買えるオペレーション勝負になります。店に入って、買ってから店を出るまでの動線設計も重要です。プロモーション用の変な看板を動線上に置いてしまったらアウト。待ち時間が増えた途端、お客が離れていきます。
さてコンビニカフェとスターバックスとの戦い、どうなりますことやら。

中小企業診断士試験 口述模擬面接

lec201212.jpg12月7日(金)に中小企業診断士試験・2次筆記試験の合格発表があり、残すのは12月16日(日)に実施される口述試験。今日はLEC梅田校で口述試験の模擬面接を行ってきました。 

口述試験は、筆記試験の事例などをもとに出題さて、試験時間は、1人当たり約10分間。資料も持ち込みはできませんので受験者は筆記試験の事例問題をしっかり見直さなければなりません。質問に対して2分程度で答え、標準では5問質問されます。 

そうはいっても皆さん、模擬試験でさえも緊張するのか、回答時間は短め。想定の5問が終わると、回答に対してつっこみ質問をして、少ししどろもどろになるなど色々と楽しませていただきました。(笑)模擬試験が終わったら講評してフィードバックします。 

毎年、この時期にLECで模擬試験の面接官をやっているんですか、いつもはところどころに空きがあり一服できる時間帯があるんですが、今日はビッシリのスケジュール。さすがに休憩なしは、疲れますね。 

申し込みが多い背景ですが、今回の筆記試験の合格率は25%で、例年に比べ5%ほど高くなっています。3次実習の受け入れ人数がある程度決まっていますので、例年と違って5%ほど口述試験で落とすのではないのかというまことしやかな噂が流れていることも影響しているようです。

名古屋にある桑名、長島、伊勢

nagasima201212.jpg名古屋は城下町ですので中心街は碁盤の目になっています。その中に桑名町、長島町、伊勢町というお隣の三重の地名がついた町名があります。 

先日、鶴舞の古本屋で「花の名古屋の碁盤割」という本を買ってきたので、調べてみると、これらの町はもともと清州にありました。織田信長の息子である信雄は本能寺の変の後、伊勢を領有していましたが、その後、清州城主になったので引っ越し。この時、家臣の移転に商人もついてきたようです。 

藤堂高虎が伊予から伊勢の津へ国替えした時に伊予の商人が移り住んだ伊予町や松阪には日野から移った蒲生氏郷についてきた商人の町、日野町があります。城下町の多くには同様の事例があります。 

やがて家康が水害が多かった清州から名古屋へ住民ごと引っ越す、清州越しを行います。この時に住民と一緒に町の名前も移ってきました。同様にクリスマスイルミネーションが美しい名古屋の大津町は大津から移ってきた住民の町で、清州越しで移ってきました。伏見町は清州越しではなく、名古屋城ができてから伏見から移ってできた町です。 

名古屋のテレビ塔近くに武平町がありますが江戸時代に古墳が発見されました。壬申の乱で大海人皇子の元へ2万人の兵をひきつれた少子部連錯鉤。壬申の乱が終わった後に自殺した謎の人物です。古墳は江戸時代に埋め戻したそうで、名古屋の街中の地下に今も残っています。

あいち新事業活動促進連携会議

nagoya201212.jpg名古屋駅前の「うぃんく愛知」で「あいち新事業活動促進連携会議マネージャ等交流会」という長たらしい名前の会議が開催されたので行ってきました。 

あいち産業振興機構が音頭をとって愛知県中の支援機関に声をかけて実現した会議です。支援機関で現場業務についているマネージャ同士の交流をし、中小企業支援に役立てましょうという趣旨です。 

40名近くのマネージャーが参加していましたが、中小企業基盤整備機構・中部支部が12名ほどと大所帯で参加しておりました。 

会場へ着いたら、知り合いから「水谷さん、今日はどこの立場で参加なの」という声もかかりましたが(笑)、今回は三重県ではなく名古屋市新事業支援センターのマネージャーとして参加。それにしても愛知県にもいろいろな機関があるんですねえ。 

会場は「うぃんく愛知」最上階の18階。窓からは建て替え工事中の大名古屋ビルヂングが見えます。今度は高層ビルに生まれ変わりますが、大名古屋ビルヂングの名前はそのまま残るそうです。 

さて会議終了後は隣で1時間ほど交流会。軽いスナックとビールが置いてあるではありませんか。結局、3缶ほど気持ちよく空けて帰ってきました。

三重県中小企業診断協会 企業診断研究会

tomatsu201212.jpg朝から2週間ぶりに三重県産業支援センターへ行くと机の上が書類の山。「あ~あ」と思いながら、かたづけ始めているところへ来客が。 

2件の相談に対応して、机に戻り、かたづけを再開しようと思ったら、「水谷さん出かけますよ」という声が。今日の午後は亀山商工会議所の「なんでも相談会」でした。というわけで亀山へ拉致されました(笑) 

ようやく夕方に支援センターへ戻ってかたづけてから、夜はアスト津の三重県中小企業診断協会・企業診断研究会に参加。今日の講師はトーマツ経営サポート代表の東松さん。私と同様、大阪と三重の中小企業診断協会に所属している変わり種です。 

今回のテーマは「農業ビジネス支援における診断士の役割」。なかなか面白いセミナーでした。農業簿記では生物も減価償却の対象で、例えば乳牛の耐用年数は4年。お乳が出始めた時からカウントするんだそうです。6次産業の話なども事例が多く、面白かったったですね。志摩いそぶえ会の紹介もありました。 

本日の企業診断研究会はいつもの50%増しの参加率で16名が参加。実は終わってから忘年会ですので、それ目当てに来ているんですかねえ(笑) 

今、忘年会から帰ってきましたが、今日で飲み会連続第4弾目です。

Blast研究会

blast201212.jpg昨日は堺筋本町にある大阪産業創造館でBlast第36回研究会 

10年前、中小企業診断士試験が大きく変わり、1次試験がマーク試験となり新制度合格組で構成している研究会です。実務補習が終わった時に大阪で打ち上げがあり、会場で濱田さんという方が呼び掛けられできた研究会。名幹事のおかげで10年にわたり、年に2~3回、研究会を開催しています。 

大阪だけでなく近畿一円から参加者があり、今回は三重からも参加がありました。時たま東京からの参加組もあります。

ビールが売れなくなったのは若者が飲まなくなったせいじゃない

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コンビニエンスストア大手がビール、ワインなど酒類販売を強化しています。
私もよくコンビニに寄り、ビールと一緒に「おつまみ」を買っています。不況の影響で外食が減り、その分、家飲みが増えています。そこでコンビニに寄ってお酒を買ってもらおうとギネスや銀河高原ビールを取り揃えているコンビニや、地酒コーナーを作っているコンビニもあります。実際、セブンイレブンではお酒を買った人の34%が惣菜を買っていて、客単価をあげています。
もう少しマクロ的にみるとビール全体の売上は伸びておらず、売上の奪い合いをしているゼロサムゲームになっています。
■ビール全体の売上が減少
ビール出荷量(売上)は1994年をピークに右肩下がりで減少しています。今やビールはピーク時の35%までの落ち込み。もっとも1980年代から発泡酒が発売され、やがて第三のビールが出たので、価格が安い発泡酒などにブランドスイッチしたこともありますが、「ビール+発泡酒+第三のビール」を足しても売上はピーク時の70%しかありません。
なぜビールが飲まれなくなったのでしょうか。
よく聞くのが若者がビールを飲まなくなった話。確かに宴会での「とりあえずビール」がなくなりました。乾杯ではビール&ウーロン茶が定番でしたが、最近は乾杯前に酎ハイレモン、ソーダ割り、冷酒などと様々な声が上がり、乾杯が始まる時間がどんどん遅くなる傾向にあります。また生理的にお酒を飲めない男性が目立つようになってきました。
■生産者年齢人口の減少が影響
ビールが売れなくなったのは若者のビール離れなどの影響ももちろんありますが、一番大きいのが生産者年齢人口の減少。日本の総人口が減少しだしたということはよく聞きますが、その前に減少しはじめているのが生産者年齢人口です。生産者年齢人口とは15~64歳の人口で、いわゆる働いている人の数を差しています。
総人口の減少前に生産者年齢人口がピークアウトしています。ピークアウトの時期が1995年頃。見事にビール出荷量と合致しています。ですのでビールが飲まれなくなった主な原因は働き盛り世代の減少、つまり生産者年齢人口の減少です。
■きょうの料理は5人前だった
もう一つは単身世帯の増加。日本全国の1世帯当たりの人員は2.42人ですが、東京では2人をとうとう切りそうな数字になっており単身世帯が全体の45%を占めています。
50年前、NHK「きょうの料理」がスタートした時、材料は5人前でした。核家族化が進むとともにどんどん減り、今や2人前を前提に放送しています。早晩、1人前になる日がくるでしょう。
単身世帯は若者だけでなく中高齢者もいます。ですのでビールを安いスーパーでまとめ買いするという買い方から、コンビニに寄って必要な 分だけ買おうに購買パターンに変化しています。料理をしないので家に冷蔵庫がない、あっても買い置きできないほど小さな冷蔵庫しかない単身世帯もあります。
コンビニとしては酒類を充実して、スーパーなどからビールの売上を奪おうということでしょう。
■ビール会社はどう考えている
ドラッカーの言葉に「すでに起こった未来」というのがあります。これは「結果の中に見出されるものは、既に原因の中に芽生えている」ということで未来を予想することは難しいのですが人口構造の変化など、ある程度は予想できます。結局、話は頓挫してしまいましたがキリンとサントリーが経営統合に向け交渉に入ったのも縮小する国内市場で規模の経済を追わないと生き残れないと考えたからでしょう。
現在、ビール各社は海外のビール会社のM&Aなどを積極的に展開し、海外市場へ視点を移しています。またサッポロビールはセブン&アイ・ホールディングスと共同開発でPB(プライベートブランド)ビールを発売。サッポロはブランドを捨て、とうとうルビコン川を渡ってしまったと業界で話題になりました。