
名古屋市営地下鉄・名城線が環状化されてちょうど10年がたちました。
先に環状化されたのが都営地下鉄・大江戸線ですが、都庁前駅のところが完全な環状になっておらず運行は「6の字型」になっています。山手線のように循環型で運転する地下鉄は名城線が日本で初めてになります。というか地下鉄は大体、東西か南北に延びるので環状になっている地下鉄は名古屋市だけです。その代わり東京や大阪のようにJRの環状線がありません。
大阪環状線、山手線、大江戸線では「外回り」、「内回り」が使われていますが、名城線だけは「右回り」、「左回り」になっています。地上と違って地下を走っていると電車が見えないなどの理由だそうです。大阪環状線に慣れていると、どっちに乗ればよいのか迷います。
名城線で一周したことないんですが、50分ほどかかるそうです。
ポラーノの広場

チケットを買ってあるということで奥さんと「光と影の芸術人 藤城清治世界展」へ日曜の午前中に行ってきました。最終日で午後からは本人のサイン会もあるということでかなりの混雑。
場所は大阪港にある大阪文化館・天保山。昔のサントリーミュージアム「天保山」です。知的生産の技術研究会・関西で毎年、講演していただいた作家・野村正樹さんがサントリー時代の最後に手掛けたのがこのサントリーミュージアム「天保山」の設立。てっきり大阪在住と思ってセミナー講師を依頼したら、東京在住でした。それ以来、関西の別の用事にかこつけて前後にセミナーをしてもらいました。
「光と影の芸術人 藤城清治世界展」会場内には藤城清治作品が山のように展示されていました。なかでも多かったのが宮沢賢治の童話の挿絵。数ある作品の中で一番、印象的だったのが「ポラーノの広場」。昔、角川書店で宮沢賢治の「ポラーノの広場」を買ったのですが表紙の挿絵がまさにこれ。藤城清治には珍しく、淡い印象の絵で、懐かしかったですねえ。。
「つめくさの花の かおる夜は ポランの広場の夏まつり...」
中小企業診断士の研究会

大阪産業創造館で第42回 BLAST研究会。参加は22名。
BLATS研究会というのは中小企業診断士の研究会で、2002年度大阪地区で実務研修した仲間が中心となってスタート。毎年、新メンバーを迎えながら成長しています。
もう10年以上続いていて、新制度の中小企業診断士というシバリだけでやっています。大阪が中心ですが、関西一円だけでなく東京にも拡がっています。
今日の発表(出し物)は
・『戦略思考とビジネスモデルデザイン』 影山さん
・『真・報連相のコンテンツとコスパについて』 濱田さん
・『平成仮面ライダーの職業と価値観』 秀さん
でした。
研究会が終わってから、今日も忘年会です。
昨日、忘年会の後に行った浅野日本酒店(太融寺にある日本酒専門の酒販店)のスタンディングバー(立ち飲みコーナ)でパカパカ飲んで、ちょっと二日酔い気味です。
黒田城(名張)

リバーナ(イオン名張店)を過ぎ、名張大橋を越えたところの山裾にあるのが黒田の里で、裏山にあるのが黒田城。昨日、セミナー前に登ってきました。まあ、スーツ姿での山城登りはあまりオススメしません。
黒田の里から山上まで九十九折の山道が続いていて、山上にあがると石垣の跡がいくつかあります。これは後に建てられた愛宕神社跡の石垣のようで、黒田城自体はいわゆる土の城でした。
黒田城の主郭跡には櫓台跡が残っています。虎口がどこにあったのかはよく分かりません。主郭と北にある郭との間や北尾根との間に深い堀切が3本あり、これが見事。帯郭もいくつか点在し、遺構がよく残っていました。
黒田城は延木氏が黒田に築城したと伝えられています。天正伊賀の乱で織田信長方の筒井順慶に攻められ落城。今は木々で見えませんが織田信長軍と伊賀軍が最後の決戦を行った柏原城も見える位置に黒田城はあります。
名張でセミナー

午後から名張商工会議所4階会議室でセミナー。
「営業力・販売力をアップするための講座」の第2回目で、今日のテーマは「マーケティングって何?」。5フォース分析などフレームワークの説明と演習を中心とした講座。ちょこっと会議などで役立つアイスブレークについても説明しておきました。
実はセミナー全体の設計にワークショップなどで行う手法を導入しているのですが、今日はそのネタばらしもしておきました。
セミナーが終わってから、せっかく名張に来ているのならと昔からおつきあいしている名張の企業さんと飲みに行っておりました。商店街にある、なかなかお洒落な店で、BGMにジャズがかかっているなか、地酒をいただいてきました。
ウーン、明日から忘年会3連チャンなんですが、まあ、いいかあ(笑)
電車の連結作業

阪神・三宮駅から近鉄・奈良行き快速急行に乗ると途中の尼崎駅で前に4両を接続します。
これは尼崎-三宮間の各駅が6両編成を基本としているためで、近鉄難波から先の近鉄・大阪線は朝夕、10両編成となります。ただ近鉄・奈良駅は10両対応になっていないため大和西大寺駅で、また電車を切り離します。
近鉄では名張駅、大和西大寺駅、高安駅などで車両の接続、切り離しがよく行われていますので、乗客も慣れています。名張駅で接続する時も車内では「今から車両を接続しますのでお立ちの方は、ご注意ください」といったアナウンスが流れる程度。
ところが阪神が梅田と三宮を結んでいた頃は列車の接続、切り離しはなかったのに近鉄と相互乗り入れするようになってから、この接続、切り離し作業が入るようになったので、慣れておらず大変。
「今から列車の接続作業に入ります。列車は2度動きます。お立ちの方は揺れますからご注意ください。」
「列車は止まりましたが、もう一度、動きます。ご注意ください。」
「今からドアを開けますので、ご注意ください。」
近鉄の3倍ぐらい時間がかかってドアを開けています。
ホームでも「列車は今から2回、動いて接続作業に入りますから、お待ちの方は白線の中まで下がってください」とアナウンス。近鉄なんかさっさと列車の連結をして、すぐ出発しますので慣れとはいえ手際のよさは全然違いますねえ。
伊勢へ

IT窓口相談で伊勢商工会議所へ。
写真は伊勢商工会議所1階の様子です。たまには近鉄ではなくJRの「快速みえ」に乗って伊勢へ行こうとしたのが失敗。
津駅は定刻通りに出ましたが、高茶屋駅ー松阪駅間が強風のため減速運転となり、結局25分遅れで伊勢市へ到着。商工会議所横に新しくできた店でランチをと思っていたら時間ギリギリで、お昼はなしでした。(泣)
1食、抜いても全然やせませんが(笑)
忘年会第一弾

津駅前にあるアスト津で夕方から三重県中小企業診断協会の研究会。
いつもより早く終わって有志で忘年会を開催。大阪なら会合の後に飲み会がセットになっていますが、公共交通機関が発展しておらず、車社会の三重県では研究会が終わったら、そのまま散会が定番。さすがに12月だけは飲もうということになっています。
今日が忘年会の第一弾。12月はけっこう忘年会が続くのでふだんは節制しないと。
写真はアスト津入口に飾られてクリスマスツリーです。」
間違えて天守を壊された亀山城

関氏が亀山古城から移転した亀山城を、豊臣秀吉の部下だった岡本宗憲が新たな城主となり、天守、本丸、二の丸、三の丸などを整備。
ところが江戸時代の初め、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が間違えて、伊勢の亀山城の天守を取り壊してしまいます。天守は再建されず、本丸北隅の三重櫓が天守の代用となりました。
本当のところは津藩に比べ、石高の少ない亀山城に天守はいらないと幕府が判断し、ただ地元の反対もあるので、間違えたということにしたようです。
亀山城は交通の要衝だったこともあり、城主がめまぐるしく変わるお城で関氏以来、9回も変わっています。
他のお城と同様に明治の廃城令によって、ほとんどの構造物が取り壊されてしまいましたが、亀山城には三重県下で唯一現地現存の城郭建築物である多聞櫓が残り、公開されています。建物はなくなりましたが縄張跡はよく残っています。堀が畑などになっていたりしますが、高低差がよく分かります。
発掘が行われ、二の丸帯曲輪や埋門が復元されていますが、公園の奥の方にあるので、ここまで見に来る観光客はほとんどいません。
名張藤堂家(名張城)

名張駅から5分ほど行ったところが、けっこうな高台になっています。この高台にあるのが名張藤堂家の屋敷。昨日、セミナー前に寄ってきました。
伊勢・伊賀をおさめたのが藤堂高虎ですが、養子に藤堂高吉がいました。もともとは織田信長の重臣・丹羽長秀の三男。藤堂高虎に子どがいなかったので秀吉が養子に斡旋したようです。
藤堂高吉は藤堂高虎と共に文禄、慶長の役や関ヶ原、大坂の陣と戦い続けました。高吉が高虎の後を継ぐはずでしたが、高虎に実子が生まれて、実子が継承することになります。つまり藤堂高吉は後継者から家臣の地位になってしまい、これがために津藩本家とはその後もいろいろと騒動が起きるようになります。この藤堂高吉が名張藤堂家の初代。
もともとは藤堂高虎が入るまで伊賀を支配していた筒井定次(筒井順慶の養子)の部下だった松倉重信が名張を領していて、この地に名張城を造りました。この名張城の跡に屋敷が作られ、発掘調査の結果、名張城の石垣跡などが残っています。
名張藤堂家の屋敷の一部しか残っていませんが、江戸時代の上級武家屋敷がそのまま残っている稀有な例になっています。