
亀山商工会議所での創業塾が終了。主催は亀山市創業支援ネットワーク「カメヤマ創業アシスト」です。
私の担当分は2日目の午後、つまり今日で午前中は関宿や亀山城を巡ってきました。連休2日目なので朝から人が多かったですね。
セミナーテーマは「集客・固定客化の秘訣」。小売客、サービス業向けにお願いしますという話でしたが、講座の前に受講者に聞いてみたら小売業はおらず、サービス業が中心。おまけに製造業もいましたので、小売の話は割愛して、サービス業に特化したセミナーをしておりました。今日はよく晴れて、亀山はポカポカで、しかも昼飯を食べた後なので絶対、寝るなと思って、鳴り物を多めにしたセミナーにしました。
さあ関西本線で帰ろっと!
エプソン ビジネスフォーラム(大阪)でセミナー講師

堺筋本町にあるサンライズビルで「エプソン ビジネスフォーラム」を開催。併設セミナーで講師をしててきました。
しゃべった内容は前回の名古屋と同じ内容で、「ITは所有から利用する時代へ TCOを減らす5つの方策」。しゃべるだけではもったいないと思い、All Aboutの記事にもして、今日、アップしました。
こういうのを2度おいしいと言います。(笑)
記事にも書いていますが、2007年にiPhoneやアンドロイドが登場し、世の中がスマホを前提に動き出します。新しいイノベーションの登場などで10年先が見通せない不確定な時代。Googleでさえもビジネスモデルを変革し、模索し続けなければいけません。
実際、Google創業期に収益をあげるために考えたのは開発した検索エンジンを売ることでした。ところが売上は思ったほど伸びず、やがてオーバーチュアを参考にアドワーズ広告(検索するとキーワードに連動し表示する広告)をスタート。これが大きな収益をあげるようになります。
→ TCO削減でITがわかる人材を手放してはダメ
日本一短い名古屋の地下鉄・上飯田線

以前から名古屋市営地下鉄の路線図を見て、不思議だったのが上飯田線。
平安通駅から上飯田駅まで一駅しかありません。全長わずか800メートルで、日本一短い地下鉄路線。小牧に行く時に乗ってみました。名城線・平安通駅で降りて、上飯田線のホームへ行くと、ちょうど犬山行の電車が入ってきました。名鉄と直通運転のようです。
電車に乗り込みましたが、待てど暮らせど電車は動きません。名古屋の地下鉄でありながら、1時間に4本しか電車がなく15分おきになっています。ここらあたりは名鉄ですねえ。さすがに朝の通勤時間帯は1時間に8本出ています。ただ始発と終電は地下鉄線内だけなので、終電に乗ると800メートル先の上飯田駅までしかいかないようです。
以前は上飯田駅から市電に乗れば名古屋市内に行けましたが、市電が廃止され30年経って、ようやく地下鉄で結ばれました。
岸岡城

鈴鹿サーキットの玄関駅である近鉄・白子駅から1駅だけ名古屋よりにある駅が千代田駅。普通しか止まりません。駅に止まる手前の西側に見える丘が岸岡。現在は岸岡山緑地公園になっています。ここにあったのが岸岡城。
鈴鹿地域を地盤としていた神戸氏の城の一つです。神戸氏は関氏の一族でした。2つの丘からなっており、鈴鹿市の遺跡情報では北の岡を城跡としているので、まずそちらに行ってみましたが。丘の上には古墳があり、ここが城跡のようです。ついでにもう一つの丘に登ると、こっちの方が城らしく堀らしきものも残っていました。日本城郭大系ではこちらを岸岡城跡にしていますので、こちらが正解でしょう。丘の上には見晴らし台がありましたが、伊勢湾や街道筋を見下ろせるので、主郭にするなら絶対にこっちですね。伊勢上野城と同じようなロケーションです。
織田信長の伊勢侵攻で神戸氏は高岡城で、侵攻をくいとめましたが織田信長の三男(信孝)を迎えて和睦することになります。神戸信孝と名乗り、結局は織田家に乗っ取られてしまいます。
小牧山城

織田信長が美濃攻めのため家臣ともども引っ越ししたのが小牧山城。
四日市の岡田家(イオン)には「大黒柱に車をつけよ」という家訓があります。店の屋台骨を支える大黒柱に車をつけておいて、いつでも動かせるようにしておけという家訓ですが、戦国時代に実行したのが織田信長。清洲→小牧山→稲葉山→安土と居城を常に狙う市場近くに変えていきました。もっともお父さんの織田信秀も尾張国内だけでしたが、次々と居城を移していました。
小牧山城は遺構の残りがよく堀切や郭跡が随所に残っています。麓には屋敷跡が見つかり土塁や堀が復元されています。その中で他に比べて格段に広い屋敷跡があり、これが織田信長の居館跡と言われています。麓の居館と山上の城、稲葉山城(岐阜城)とまったく同じ構図です。織田信長は岐阜攻めに際してシュミレーションしていたのかしれません。
写真は主郭跡に建つ城風の博物館。その下に見える石垣は織田信長時代のものです。
4支援機関合同連絡会議

4支援機関というのは愛知県、岐阜県、三重県、名古屋市の中小企業支援センターのことです。各支援機関とも窓口相談や専門家派遣を行っています。
もともとは「あいち産業振興機構」の神部統括マネージャが道州制をみすえて東海地域のプロジェクトマネージャ、サブマネージャが集まって情報交換しませんかと呼びかけたのがきかっけ。平成18年にスタートしましたが、今や道州制の話はすっかり聞かなくなりました。地方分権はどうなったんですかねえ。
道州制の話がなくなっても4支援機関合同連絡会議はずっと続いて、今回で第26回目。幹事は持ち回りで行っていますが、今回は三重県が担当。当初は津にある三重県産業支援センターで行っていましたが、岐阜から遠いなどの意見があり、最近は塩浜にあるAMIC(高度部材イノベーションセンター)という三重県産業支援センターの施設で開催しています。これなら名古屋から30分ほどでこれます。
私は名古屋市新事業支援センター、三重県産業支援センターの両方でマネージャーをしていますので、両方の機関で参加しておりました。(笑)設立当初から参加しているメンバーはとうとう私一人になったようです。
館長 庵野秀明 特撮博物館

水曜日、デザインセンターでのセミナー前に近くにある名古屋市科学館へ寄ってきました。目的は、「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の特別展。大阪で開催する予定は決まっていないそうです。
平日なので、すいていました。科学館なので通常は家族連れが中心なんですが、特別展に来ているお客さんはオッサンが中心。人のことは言えませんが(笑)
「巨神兵東京に現わる」とメィキングの2本を上映していましたが、メイキングが面白かったですね。おっさん連中の技術者が集まり、楽しそうにワイワイとCGを使わずに、いかに特撮で見せるかをやっていましたが、ほんまに楽しそうです。
科学特捜隊のジェットビートルなどが展示されていましたが、懐かしかったのがマイティジャック。「海底大戦争 緯度0大作戦」のポスターなども懐かしいですね。
会場の最後には怪獣に壊された東京タワーなどがありましたが、中京テレビも主催者の一人なので「チュウキョ~くん」が家に隠れていた、りビルの上に番組表があったりして楽しめます。
リーディング産業展2日目

四日市ドームで開催されたリーディング産業展から大阪へ戻ってきました。
今日は土曜日開催でしたので家族連れなどが多かったですね。BtoC型企業にとっては何よりでした。
昨日はいろんなブースを回っていたんですが、今日は下記のセミナーに参加
■BizCafeよっかいち主催「世界に打って出る財務戦略・日本の技術」
株式会社ジャパンディスプレイ CFO 西 康宏 氏
4社の上場を担当した経験談が面白かったですね
■「商品&ブランドづくりのデザイン」
ペアデザインスタジオ プロダクトデザイナー 磯野 梨影さん
山口久乗(高岡市)の優凛開発のお話しなど
仏具の技術をがいかして素敵な商品に仕上がっています。
→ 優凛
リーディング産業展2014

朝から近鉄・橿原線の信号故障に巻き込まれたりして散々でしたが、四日市ドームのリーディング産業展へ出かけてきました。金、土と四日市ドームで開催され、近鉄四日市駅、JR四日市駅からシャトルバスが出ています。
リーディング産業展の第1回目は平成15年度ですから、今回で第12回目。確か北川知事が「琵琶湖環境メッセ」に触発されて三重県でも産業展をしようと始まった見本市です。全業種対応なので、製造業からサービス業まで様々な企業が出ています。
今回はマッチング支援というのがあり、出展社に事前にどんな企業などとのマッチングを希望しているのかアンケートをとり、なるべく引き合わせようというもので数社を担当しておりました。あとは、いろいろなブース見学。先週、メッセ名古屋があったので来場者は少ないかなと思ったら、そこそこあったようです。
今回は特別イベントとして「下町発!夢を追う町工場の社長たち」のトークがあり、下町ボブスレーが会場に展示されていました。
弥生時代の城跡 見晴台遺跡

名古屋の笠寺観音のすぐ近くにあるのが見晴台遺跡。
笠寺台地の東端にあり、周囲に比べ標高が15メートルほどある丘の上で、名前の通り見晴らしがよいところです。周りは住宅街になっていますが古代は海でした。縄文時代から人が住み始めましたが、弥生時代には集落が誕生します。東西約120メートル、南北約200メートルの周りを幅・深さとも約4メートルの堀(環濠)で丸く囲んでいました。魏志倭人伝に書かれた倭国大乱の頃でしょう。
堀跡が一部復元されていましたが、底がV字形の尖った形で、戦国時代の薬研堀にそっくり。堀の深さが4メートルもあって、しかも土塁までありました。かなり防御力が高い環濠集落です。発掘によれば集落は200年ほど続いたあと環濠が埋められており、名古屋市周辺の複数の環濠集落でも同様の動きがあるので、統一政権みたいなものが誕生したのかもしれません。
古代の名古屋といえば尾張氏が勢力を持ち、一族の一つが大海氏で大海氏が養育したのが大海人皇子。壬申の乱で勝利できたのは尾張氏のおかげでした。弥生時代に誕生した統一政権が尾張氏や尾張物部氏になったのかもしれません。
ただ不思議なのは桶狭間の合戦の舞台となった鳴海城に近く、見晴台も城をつくるには好立地だったはずですが、なぜか戦国時代の城は作られませんでした。太平洋戦争時代は立地に目をつけて高射砲陣地が作られ、今も土台が残っています。見晴台遺跡には見晴台考古資料館もあり、おすすめです!