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午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談
お昼間に伊勢神宮(外宮)をのぞきに行ったら、次々に観光バスがついてガイドさんに引率された団体がドヤドヤと火除橋を歩いていました。例年、平日の昼間はわりと閑散としているはずなんですが、やはり遷宮効果は大きいですね。
伊勢市駅から外宮まで参道商店街になっていますが、様変わりしていました。赤福、若松屋、浜与、豚捨の新しい店舗ができたのは知っていたのですが伊勢市駅近くにも土産物屋などのおシャレなお店が次々とできていました。けっこう賑わっていました。
伊勢市駅は近鉄とJRの共用駅で、伊勢神宮はJRの改札口側で近鉄からは長い陸橋を渡らないといけません。近鉄のホームには外宮へ行くには近鉄の改札口ではなくJR側にまわってくださいと日本語、英語、ハングル、中国語で書かれています。
そこで伊勢市の次に近鉄単独の宇治山田駅を昭和6年にオープンしましたが、こっちは内宮からのバスの終着駅イメージが強いですね。宇治山田駅から外宮へ行く時間は伊勢市駅から行く時間と変わりませんが、参道商店街がなく、代わりに中部電力、伊勢商工会議所、伊勢市庁舎などが並んでいます。当然のことながら宇治山田駅から外宮へ行くという酔狂な観光客は誰も歩いていません(笑)
織田信雄が伊賀攻めの拠点にしようとした丸山城
近鉄・伊賀神戸駅から北上する伊賀鉄道に乗ると3つ目の駅が丸山駅。駅のすぐ近くにこんもりとした山があり、ここが丸山城跡。
信長が伊勢国司だった北畠を攻め、むりやり織田信雄を北畠に養子に送り込み伊勢を支配しました。織田信雄は映画・清州会議では妻夫木聡が演じていたバカ殿です。
丸山城はもともと北畠が城を作っていましたが、伊勢の次に伊賀を領国にしようと家臣である滝川雄利に命じて、大幅修正します。天守まである大きな城でした。
驚いたのが伊賀の郷士達。城が完成するまでに攻めようと総攻撃を開始。不意を突かれた滝川雄利は伊勢へ逃げ帰ります。翌年、織田信雄は軍を伊賀へ進めますが、敗退してしまいます。第一次天正伊賀の乱です。
敗戦を知った信長は激怒。勝手に軍を動かして、しかも敗退するとは親子の縁を切るとまで言われています。織田信雄がバカ殿と言われるゆえんの一つになっています。ですが京都に近い伊賀をそのままにするわけにもいかず、信長は伊賀の殲滅戦を行います。これが第二次天正伊賀の乱で伊賀は焦土になりました。
丸山城は曲輪跡もよく残っていて、天守のあった所には丸山城の碑が建っています。石垣もあったのですが伊賀鉄道を通すときに持ち運ばれたそうです。道も割と整備されて山城にしては歩きやすいのですが、蜘蛛の巣だらけなのが難点。
清州会議
映画「清州会議」を見てきました。
関東にいるはずの滝川一益が軍勢も連れず単身で清州まで駆け戻ってくるのかという話はおいておいて、なかなか楽しめる映画でした。映画「ステキな金縛り」に出てくる北条方の武士、更科六兵衛まで出てきました。
清州会議とは柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興による信長亡き後の織田家宿老による会議です。前社長と後継者が不慮の事故でなくなってしまったので重役が集まって会社の行く末をどうするか、誰を次期社長にするか決める重役会議ですね。映画では織田家の跡取りをどうするかその駆け引きを描いていますが、実際には三法師の擁立はすんなり決まったようです。
その後のそれぞれですが
柴田勝家-賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄にてお市と共に自害<
丹羽長秀-賤ヶ岳の戦いで秀吉を援護。若狭、越前、加賀の大名となり病死
池田恒興-小牧・長久手の戦いで家康に負け戦死
池田恒興の顛末についてはこちらをどうぞ
→ 秀吉 小牧・長久手の戦い<
織田信雄-家康と組んで小牧・長久手の戦いで秀吉と戦いますが、秀吉の御伽衆となり関ヶ原の合戦、大坂の陣もくぐりぬけ江戸時代まで生きています。
織田信孝-賤ヶ岳の戦いで秀吉と戦い、勝家亡き後、自害させられます。
三法師-関ヶ原の戦いでは西軍として岐阜城に籠城しますが落城、高野山に送られましたが高野山から追い出され26歳で死去。
織田信包-映画では最後に秀吉に織田家を滅ぼし天下をとれと言っていた人物です。伊勢上野城の城主でもありました。秀吉の御伽衆となり、大坂城では秀頼を補佐しましたが、大坂冬の陣直前に大坂城内で死去。
阪神百貨店スナックパーク
ひょご産業活性化センターの窓口相談が終わってから梅田へ。
夜は梅田でお仕事ですので、その前に阪神百貨店地下1階にあるスナックパークに寄って晩御飯を食べてきました。スナックパークって関西の人しか知らないと思いますが、B級グルメばかりを集めた立ち食い専用のコーナーです。
駅そばや讃岐うどん、お好み焼き、たこ焼きは当たり前ですが、寿司、チャーハンなどもあります。店で受け取って、全店共通の立ち食いコーナーの空いている所を見つけて食べます。おじさんばかりではなく、妙齢の女性も多いですね。昔から当たり前なので、女性も気兼ねなく入っています。
今日の晩御飯はオムライス(380円)とイカ焼き・デラバン(200円)。オムライス専門店というとすごそうですが、フライパンで玉子をオムレツにしてジャーに入っているチキンライスを入れるだけです。一畳ほどのお店でやっていて、このオムライスを立ち食いで食べるわけです。
「俺のイタリアン」とかが東京で流行っていますが、阪神百貨店では大昔からオムライスなどの洋食を立ち食いで食べるのが当たり前でした(笑)
そして1日、1万枚販売するというイカ焼き!玉子が入った高級なのがデラバンです。まさに大阪のB級グルメですね。ディープな大阪を体験しようと思えば、阪神百貨店の一角にあるスナックパークがおすすめです。他の地域で同様のスタイルを見たことないですねえ。
神戸電鉄は登山鉄道だった
阪神、阪急の三宮駅から少し行くと新開地駅があります。有馬温泉、三田市、三木市へ向かう神戸電鉄でこの新開地駅から出ています。
神戸は海と山に囲まれた狭い土地で、北は山、南は海になっています。道に迷ったら山がどっちにあるか見たら、すぐに東西南北が分かります。ですので神戸っ子は他の土地へ行くと絶対に方向音痴になる人が多く、名古屋や東京へ行ったら迷いますね。
神戸電鉄はひたすら山側(北側)へ向かって走ります。山ですので、すごい坂を4両編成の電車が昇っていきます。車窓を見ていると、ほとんど高山鉄道。と思ったら箱根登山鉄道などと共に全国登山鉄道‰(パーミル)会を作っているんですね。
トンネルを抜けると住宅地が開けていて神戸市北区。神戸のベッドタウンになっています。今、兵庫県の実業家に関する本を読んでいるのですが山脇延吉という人物が紹介されていました。神戸電鉄の創業者です。
地元の名士ですが、小作農が窮した大正時代に国に対して農村振興を訴え、また農民には自力更生を唱えました。実にバランスがとれた人物。訴えは国に届き、やがて税制改正につながりました。農民の父と呼ばれていたんですね。
また陸の孤島だった 三田・有馬温泉間に軽便鉄道を大正4年にひき、これが後の神戸電鉄のスタートになります。有馬温泉から湊川に延ばし、さらに三木市への別ルートもひいて、現在の神戸電鉄になっていきます。ですが大正時代に軽便鉄道で、あの坂を登るのはしんどかったでしょうね。
たくさんの名刺
三重県中小企業診断協会が行う「建設業なんでも経営相談会」が近日始まるのですが、事務局から相談者には協会の名刺を渡してくださいと新しい名刺をもらいました。
現在、日常的に使っている名刺はウチの事務所と各支援機関の名刺が3枚で都合4枚。こないだLECからも名刺を送ってきたので、これで6種類になりました。他にもAll Aboutのガイド用名刺があるんですが、こっちはほとんど使っていません。
日常的に使う4種類の名刺を名刺入れに入れているんですが、現場で出すときに毎回、出すのにもたついています(笑)
新神戸駅裏にある戦国時代のお城
リーディング産業展みえ
片道40分、こんな通勤はいやだ(高取城)
建設業経営研究会(三重県中小企業診断協会)
昨日、夜は津駅前にあるアスト津で建設業経営研究会があり参加してきました。
三重県中小企業診断協会で昨年からはじまった研究会で隔月で開催しています。内容は昨年、東紀州で行った建設業なんでも相談会の事例報告と三重県の建設業を取り巻く環境変化などです。
マクロ的にみると
・建設業全体のピークは平成4年の84兆円、底は平成22年の40兆円で半減
(民間工事は平成2年がピーク、公共工事は平成7年がピーク)
・仕事が半減しているのに建設業者数は1割しか減っていません
(大きな事業所がつぶれても個人や2~3人で独立するため事業所数が減らないことがあります)
三重県の建設業者(経審を行っている3000社)に対するアンケート調査を行った結果のサマリー報告がありました。
経営状況の見通し
・存続が心配など高い危機感をもっている(51%) 中堅企業に多い
・何とか乗り切れる(49%) 大手、父ちゃん母ちゃんの零細企業
という企業規模によって面白い結果も出ています。
今年も三重県内15ケ所で建設業向けなんでも相談会を開催していますので、県内の建設業の方はぜひ、どうぞ!
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