尾張元興寺

owari_gangoji201402.jpg午後は名古屋ソフトウェアセンターで会議。日本一分かりにくい名鉄名古屋駅ホームから金山駅へ出かけてきました。東に向かう名鉄電車は全て金山駅に停車するので、とりあえず来た電車に乗ればよく、これなら迷うことはありません。 

金山駅のすぐ近くに尾張元興寺があります。元興寺というと奈良町にある寺が有名です。蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最初の仏教寺院・法興寺が前身で、平城京遷都に伴い、法興寺を移転したのが元興寺と言われていましたが、どうも飛鳥の法興寺は移転せず、そのまま残って今の飛鳥寺になったようです。 

元興寺と言えば、有名なのが鬼。敏達天皇の頃。尾張国の農家に落雷と共に子供の姿の雷神が落ちてきました。やがて農夫の妻が、雷神の申し子とでも言うべき子供を産み、この子供が奈良の元興寺の童子となりました。元興寺の鬼退治をして、その後、出家し法師になったという伝説があります。 

日本霊異記などに書かれている話ですが、この法師が故郷の尾張・古渡に帰って建てたのが尾張元興寺。発掘調査では飛鳥地方と深い関係のある瓦が出土していて名古屋に初めてできた寺の一つです。金山駅周辺は高台になっていますので、ここに伽藍が建っていたらランドマークとなり、目立ったでしょう。、 

芥川山城 天下人・三好長慶の城

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    高槻にある芥川山城へ出かけてきました。 

    JR高槻駅2番乗り場から塚脇行きのバスに乗って、終点の塚脇で降ります。(210円)バス亭近くから古墳と寺の案内が出ている小道があり、これをえっちらおっちら登ると社会福祉施設の大きな建物の脇に出ます。この脇をさらに登っていくと田園風景になって「三好山へ40分 三好長慶1553年入城」という立札がありますので、立札の道に入って登っていきます。 

    山城の入口に案内板があるのがいいですね。ほとんどの山城には案内板がなく、下調べをして、あとは勘をたよりにヤブをつっきたり崖を登るしかありません。(笑)芥川山城はハイキングコースにもなっているので楽に登れました。 

    登っている途中に石垣があらわれて、そこから先は郭や土塁、堀のオンパレード。なかなか見応えのある山城です。土橋もしっかり残っていました。主郭もきれいに整備されていて虎口も残っています。主郭からは高槻の町から梅田あたりまで一望できます。 

    芥川山城は代々、城主が変わったのですが、一番有名なのが三好長慶。全盛期には摂津を中心にして山城・丹波・和泉・阿波・淡路・讃岐・播磨を支配下においていて、事実上の天下人でした。その居城が芥川山城。やがて息子に芥川山城をゆずって自身は飯盛山城に移ります。 

    ところが息子が22歳でなくなり、軍事的に支えてきた勇将である弟の十河一存の急死。部下だった松永久秀の造反などで三好家は衰退。三好長慶は飯盛山城で病死します。その後を率いたのは三好三人衆と松永久秀。織田信長と敵対することになります。大河ドラマ「黒田官兵衛」では、ここらたりをすっとばしています。(笑) 

    ただ織田信長が天下取りの手本にしたのが三好長慶で、うまくいった施策などいろいろと研究していたようです。

雪の上津部田城(津市)

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    今日は午後から専門家派遣で、午前に少し時間があるので安濃城を見に行こうと津新町駅でバスを待っていましたが、待てど暮らせどバスは来ない(笑) 

    こんな大雪の日に時間通り来いといっても無理な話で、おまけに1日に何本かしかないバスなので帰りのことも考えて断念。早めに三重県総合文化センターへ移動して、奥にある上津部田城を見てきました。雪に埋もれたお城もいいもんです。 

    三重県総合文化センターにはホールや図書館があって有名で、来られる方も多いのですが戦国時代の城が今も残っていることはあまり知られていません。館内案内にも城跡は載っていないので知る人ぞ知る城です。と思ったら春風亭昇太氏のブログに三重県総合文化センターの落語会のついでに上津部田城をダッシュで見に行ったという記事があがっていました。 

    上津部田城(こうつべたじょう)は戦国時代の城ですが、城主については記録に残っていません。発掘の結果、戦国時代に作られて数十年使われたようです。三重県総合文化センターがあるあたりは丘陵地になっていて西には渋見砦があり、織田信長の伊勢進攻で滝川一益が兵を入れたという記事が信長公記に出てきます。 

    上津部田城のすぐ近くには峯治城があったのですが、こっちはマンションになっています。上津部田城もすべてが残っておらず主郭と取り囲む土塁と堀切、隣の郭の一部が残っています。戦国時代はもっと郭がありましたが、三重県総合文化センターが建てられる時に壊されてしまいました。虎口も残っていて深さ4mほどの堀切はなかなか見応えあります。でも安濃城、見に行きたかったなあ。

2013年度電子申告(E-Tax)が終了

電子申告
支払調書がようやく揃ったので午後は書類片手に電子申告(E-Tax)を開始。
水谷IT支援事務所 2013年度(第12期)分の申告です。まずは弥生の青色申告ソフトを起動して決算締切を行い、青色申用の各種帳票を出力。ボタン一発でできるので便利ですねね。
国税庁の電子申告のサイトにアクセスして帳票を見ながら入力していきます。電子申告がスタートした当初は使いにくかったですが、年々改善されていますね。昨年のデータが残っていると支払調書の支払先や住所などはそのまま引き継がれますので、金額を入力するだけですみます。もちろん新規取引先は一から入力しなければなりません。
青色申告が終了したら、次は所得税の申告。医療費控除や生命保険料控除などを入力していきます。ところが最後の最後でにっちもさっちもいかなくなって画面が前にすすみません。住基カードはICカードリーダーにきちんと接続しているし、おかしいなあと色々と確認。よく考えたらブラウザーにGoogleクロムを使っていました。サポートしていないんですね。インターネット・エクスプローラでやってみたら、すぐに終わってしまいました。
電子申告した申告書を印刷して、データを保存し電子申告(E-Tax)は終了。飲みながらやっていたのですが最後でトラぶったこともあり2時間ほどかかりました。E-Taxは帳票を送らなくてもすむのがいいですねえ。ただし時たまチェックが入り、一度、支払調書を送ってくださいという連絡がありました。
今年の窓口での確定申告は2月17日から3月17日までです。電子申告は既に始まっており締切が同じ3月17日になります。やらないといけない方はお早目に!

ファイティング・コンサルタンツ研究会 2012年8月

ファイティングコンサルタンツ研究会
昨日は中百舌鳥でファイティング・コンサルタンツ研究会。
ファイティング・コンサルタンツ研究会は2002年に設立された中小企業診断士のグループ。当初はコンサルティングファーム(コンサルティング専業会社)作りを目指していた研究会です。創設メンバーではないのですが、最初の頃に誘われて大阪駅前ビルで行っていた研究会にちょいちょい顔を出していました。当時はメンバーが10名ほどいて、毎回熱い議論をしていました。
研究会を続けているうちに、だんだん方向性が変わり、またメンバーも変わって、谷町四丁目のエンクルを根城にしていた頃は自社の銀行格付け業務など事業を行う方にシフト。
天満橋の会計事務所を根城にしていた頃は、中小企業診断士の実務ポイントを取得支援をする事業をやっていました。谷四の頃から、研究会よりも終わってからの飲み会の方が長くなる傾向になっていきます。
最近は中百舌鳥にあるセレソヴイー株式会社が根城になっています。昨日、集まったメンバーは4名。まあ、10年以上、よく続いていますなあ。あいかわらず研究会の時間と飲み会の時間が変わらない状況が続いています(笑)

お伊勢さんへ

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    午後、伊勢商工会議所で窓口相談だったので、お昼に商工会議所近くにある外宮へ寄ってきました。昨年ほどではありませんが、参拝客は多いですね。新旧の社殿が並んでいるのは、この時期だけです。 

    間違えている人も多いのですが、伊勢神宮は日本人の総氏神的な存在ですので、正宮では個人的なお願いをせず、その代りに日頃の感謝を神様に伝えます。個人的なお願いは同じ神様の荒魂(あらみたま)が祀られている多賀宮(内宮は荒祭宮)にお参りします。 

    荒魂ですので正宮の遷御が行われると、すぐに多賀宮の遷御が行われます。外宮には多賀宮の他に土宮、風宮がありますが、まだ遷御は行われておらず古い社殿になっています。11月~12月に遷御が行われます。 

    この伊勢神宮ですが垂仁天皇の時代に、豊鋤入姫や倭姫が今の伊勢の地に定めたということですが、実在が確認できる斎王は天武天皇の皇女・大来皇女からです。ただ雄略天皇の時代には祭祀が既に行われていて祭祀遺跡が外宮、内宮の双方から出土しています。 

    内宮は荒祭宮、近くから出土しており、どうも荒祭宮を中心に内宮全体が造られたようですね。外宮・多賀宮もえらい高台にあり、なかなか不思議な位置関係です。

吹上の郡道をゼロ戦が通る

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    映画「風立ちぬ」で、名古屋港にあった三菱重工業株式会社・名古屋航空機製作所から牛車でゼロ戦を岐阜県の各務原飛行場まで運ぶシーンが出てきますが、名古屋市新事業支援センターがある吹上を通る郡道をゼロ戦が通っていたんですね。 

    郡道というのは明治42年に完成した道路で、愛知郡内の村々を結ぶ主要道として整備されました。大正期には愛知郡内に49本もの郡道がありましたが、都市化などによってどんどん消えていきます。吹上を通る道は今だに郡道と呼ばれ、飯田街道の古井ノ坂交差点から東海道の呼続を結んでいます。 

    郡道といっても幅3メートルほどの狭い道で吹上では100メートル道路に分断されています。郡道の両側には商店が並んでいましたが、だいぶ少なくなり吹上あたりでは吹上八幡社の写真にある吹上観音(吹上にあった古墳を祭る)の前を通って名古屋工業大学のキャンパス横をずっと通っていきます。 

    ここが昔の幹線道路でゼロ戦が通っていたとは誰も思わないでしょうね。ゼロ戦の輸送にはトラックも使ったのですが道路状況が悪く、機体が破損したりしたので牛車が使われるようになりました。

幸運巻寿司(恵方巻)

makisusi20140203.jpg本日は節分。 

豆まきは昔から行われていましたが、今は恵方巻も全国的に行われています。発祥の地である大阪では丸かぶり寿司などと呼んでいましたが平成10年にセブン・イレブンが全国発売した時に恵方巻という名前をつけたため、恵方巻が全国的に浸透しました。 

発祥は諸説あるようですが江戸末期に大阪の商人の間で行われていたようです。一時廃れていたようですが、いろいろな組合が需要創造になるのでがんばってPRし、関西の風習として定着していきました。まさにドラッカーの顧客創造です。 

写真は戦争直前の昭和15年に大阪鮓商組合後援会が発行していたチラシ(当時の価格は1本20銭)だいぶ前に大阪歴史博物館に展示されていました。 

「幸運巻寿司 節分の日に丸かぶり」 
巳の日に巳寿司と云うてお寿司を食べるように毎年節分の日にその年の恵方に向かって巻寿司の丸かぶりすると大変幸運に恵まれるという習しが昔から行事の一つになっていて年々盛になっています。 
お得意様にも一家揃うて御試食願い本年の幸運をとり逃さぬようお勧め申上げます。 

昭和十五年 節分 2月4日 恵方 西(申酉の間) 
幸運巻寿司 1本 金廿銭(20銭) 

「すごプレ」魅せるPowerPointビジネスプレゼン

tiken201410.jpg昨夜は知的生産の技術研究会1月セミナー。Microsoft MVP AwardのPowerPoint部門を2011年より4年連続受賞されている河合浩之さんに「すごプレ」についてセミナーいただきました。

PowerPointを使ったプレゼンはビジネスの世界では必須ですが、箇条書きのようnスライドばかり。見ている時は分かった気になりますが、次のスライドに行った時には、もう忘れています。

印象は記憶に残りますが、プレゼンターがしゃべったことなどは記憶に残りません。そこで目指すのは記憶に焼き付き人を動かすプレゼン。

悪いプレゼンとよいプレゼンの対比など分かりやすく、たくさんのプレゼンの技を教えてもらいました。さっそくセミナーで活用しなくては!

高速道路が通るビルで研修

osaka20140127.jpg大阪の福島近くにある高速道路が通るビルで研修。いつ見てもシュールですね。 

認定支援機関向け経営改善・事業再生の研修で、今回は実践力向上編(2日間コース)を受講中。全国各地で行われた研修も、この大阪の研修で、すべて終了だそうです。 

【経営改善・事業再生研修】 
・基礎編(2日間) 
・実践力向上編(2日間) 
・個別分野コース 経営改善等計画策定演習(1日) 
・個別分野コース 計画策定後のフォローアップ等(1日) 

とりあえず「個別分野コース 計画策定後のフォローアップ等」以外はすべて受講。講師は監査法人トーマツで、受講料は無料です。 

いずれの研修も事業がうまくいっておらず負債が多い企業をケースに、グループで討論しながら課題をこなしていくスタイルです。今回のグループは5人で税理士さん3名(内2名はTKC)、金融機関(地銀)、中小企業診断士(1名)という構成です。さあ、明日もがんばろう!