神戸ルミナリエ

kobe201312.jpgひょうご産業活性化センターで窓口相談 

終わってから、歩いて10分ほどのルミナリエ会場をのぞいてきました。光の回廊が有名なんですが、点火すぐの時間帯に元町から歩くと大変なので、一番最後の公園のところだけを見に行ってきました。 

神戸ルミナリエは1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の鎮魂と追悼、街の復興を祈念した光の催しです。最後の公園のところだけ見ましたがキレイですねえ。震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的もあり、毎年12月に開催されています。 

会場では讃美歌のような合唱が聞こえ、鐘が打ち鳴らされていました。あれから、もう18年も経ったんですね。 

神戸で窓口相談をしていると震災前、震災後という言葉がよく出てきます。社歴が長い企業ですと震災後の大変な環境の中をどう乗り切ったかという話、震災前と後で事業ドメインを変えたという話もあります。また震災を機に独立して創業したという話もよく耳にします。 

執筆した電子書籍がKindleストアに並びました

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All About「企業のIT活用」で新たに書きおろした電子メールに関する電子書籍本がkindle版になりました。現在、Amazonのkindleストアに並んでいますが、タイトルが少々、大げさですなあ(笑)
取引先へのメールを別の取引先に送ってしまった経験はありませんか?
会社へのお客さんからのファーストコンタクト、昔は電話が主流でしたがメールの比重がますます増えています。ところが新入社員教育で電話の取り方など営業研修は行っていますが、メールの研修はまずやりません。結果的に我流のメールマナーとなり、社員が出した一通のメールが、長年かかって築き上げた取引先との信頼関係を壊してしまうこともあります。ビジネスマンとしてどのようなメールを心がければよいのか、また管理職として、どう社員にメール教育し、マネジメントしていけばよいのかを解説しました。
▼一通のメールが信頼を失う ITコンサル 水谷哲也式 管理職のためのメールマネジメント
http://www.amazon.co.jp/dp/B00H500NCI/ref=pe_453032_47542662_M1T1DP
スマホ、タブレット用もあります。Book Readerというアプリのインストールが必要になります。
http://bccks.jp/bcck/117607/info

我が青春のニュートーキヨー庄屋

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    20代だった1987年から知的生産の技術研究会・関西という社外勉強会をやっていて、毎回、講師にセミナーをしてもらった後、交流会を開催。飲み会なんですが、講師にはセミナーででなかった裏話などをしてもらっています。 

    最初の頃は中之島にあった大阪府立文化情報センターのセミナー室を根城にしており交流会は中之島から梅田へ歩く途中にあった、近鉄堂島ビルの地下にあったニユートーキヨー庄屋で開催。 

    会場だった大阪府立文化情報センターが移転してしまい会場で困っていたところ、顧問をお願いしている先生のおかげで大阪駅前ビルにあった大学のセミナー室をお借りできるようになりました。以来、交流会は新阪急ビル・地下2階にあるニユートーキヨー庄屋となり、毎月のように使っているので、店にはいろいろ便宜をはかってもらっていました。いい店でしたね。 

    現在は堺筋本町の大阪産業創造館が会場にしているので、ニユートーキヨー庄屋は、すっかりご無沙汰だったんですが、この12月末に閉店することになったそうです。梅田へ行く用事があったので写真を撮ってきました。何年間もよく行った店なんで、残念ですね。 

    ちなみに次回は1月28日(火)に「すごプレ-魅せるPowerPointビジネスプレゼン」というタイトルでMicrosoft MVP AwardのPowerPoint部門を2011年より3年連続受賞されている河合浩之氏に「すごプレ」(すごいプレゼンテーション)についてお話いただきます。会場は堺筋本町の大阪産業創造館です。 

    ▼知的生産の技術研究会・関西 
    http://tiken-kansai.org/

創業カフェでセミナー

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    四日市商工会議所の創業カフェでセミナーをしてきました。 

    創業カフェというのは四日市志創業応援隊が行っている事業で四日市市内の創業支援機関が連携したネットワークです。メンバーは四日市商工会議所、四日市市、三重北勢地域地場産業振興センター、日本政策金融公庫・四日市支店、三重県信用保証協会・四日市支店になっています。 

    創業カフェは、よく続いていて今回で20回目。第3回目でもセミナーをさせてもらったのですが、その時のテーマは「新規顧客獲得のためのネット活用」。今回は「SNSを経営に活用する方法」というタイトルでお話しをしてきました。SNSの活用と言いながら、いきなりSNSをするのではなく、ホームページやブログでの情報発信をして、さらにその上でのSNS活用です。 

    SNSにはFacebookやMixiなどいろいろありますがパソコン通信時代からGive&Giveの精神で情報発信しないといけない点はなんら変わっていません。というわけで昔、懐かしいモデムの接続音を出しながらNifty-Serveへの接続風景などをセミナーで見せたら一部でうけていました。(笑)歳が分かりますなあ。セミナー後は交流会(お酒がでない茶話会)に参加して帰ってきました。

交通の要所だった田丸城(清州会議)

tamaru201312.jpg今は1時間に1本程度しか列車が止まらないJR田丸駅。田丸駅から少し歩いた所に田丸城跡があります。石垣や土塁が見事に残っています。 

戦国時代は交通の要所でした。奈良と伊勢を結ぶ初瀬街道(伊勢本街道)、そして紀州へと続く熊野古道が交わる所で、城からは伊勢の街がよく見え、伊勢神宮を抑える戦略的要衝でした。城を造ったのは伊勢国司であった北畠。 

ところが織田信長の伊勢進攻によって北畠は敗退。養子として二男の織田(北畠)信雄が送り込まれ、田丸城は織田(北畠)信雄の居城となり、天守が造られます。 

映画「清州会議」ではバカ殿として描かれた人物で妻夫木聡が演じていました。伊勢は尾張の隣ということもあり織田信長が美濃と同時におさえようとした国です。まずは鈴鹿の有力氏族だった神戸氏に、養子として三男の織田(神戸)信孝を送り込み、神戸城に天守を築きます。映画「清州会議」では坂東巳之助が演じていました。かしこい方です。

津城には信長の弟である織田信包が入り、城を整備し5重天守と小天守を造ります。映画「清州会議」では伊勢谷友介が演じていて、映画の最後では秀吉に向かって「織田家を乗っ取れ」とか格好いいセリフを言ったりします。映画に出てくる3人の織田家の人物が伊勢に揃っていたんですね。

まだまだ山城が中心の時代、伊勢には平城である神戸城、津城、田丸城に天守がそびえていました。

いざという時に砦になる寺 八事・興正寺

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名古屋の繁華街・栄から城下町を斜めに走っているのが飯田街道。碁盤目の街を斜めに通っているので、城下町では珍しい3方向の道が交差する複雑な交差点がそこらへんに生まれます。
飯田街道は徳川家康が作った、尾張名古屋と信州飯田を結ぶ街道で、途中の豊田から南下すると岡崎に到達します。つまり西から攻められ名古屋城が落城すると飯田街道を通って次に岡崎城が狙われます。そこで一気に岡崎を攻められないよう八事に砦が作られました。大坂の陣は終わりましたが、まだまだ戦国時代の気風が残っている頃です。
飯田街道は栄から吹上を通り、最初の山が八事山。八事と言えば現在は高級住宅街ですが、江戸時代は名古屋の東の端でした。八事にあるのが五重塔で有名な興正寺。五重塔は愛知県では興正寺にしかありません。
興正寺は西山と東山に分かれていて五重塔など主要な伽藍は西山にありますが、東山が小高い山になっていて、こちらが砦の役割をもっていました。峠道(飯田街道)に面した所には東山門(黒門)があります。名古屋城から移築された出丸門で、両側が格子になっていて弓や鉄砲が撃てるようになっています。門の前には堀がありましたが、現在は埋め立てられて飯田街道の一部になっています。
東山門を入ると坂になっていて、まっすぐ侵入されないようS字の蛇腹道になっています。もっとも名古屋城を落城させるような敵なら、興正寺は小さな平山城程度ですので簡単に落とされるので岡崎で戦闘準備を整える時間稼ぎにしかなりません。東山は公園となり散歩コースになっています。
興正寺の近くには隼人池があり、江戸時代に尾張藩の家老成瀬隼人が新田開発のために整備したため池です。成瀬家と言えば、犬山城城主で明治維新後も、そのまま城主を勤め、2004年まで国宝・犬山城を代々私有していたことで有名です。

あんかけスパ(名古屋のB級グルメ)

ankake201312.jpg名古屋と言えば味噌カツやら、いろいろと名物がありますが、定番の一つがあんかけスパ。スパゲティーにスパイシーなソースがかかった代物です。 

あんかけスパは名古屋以外ではほとんど見ませんね。スープスパゲティは市民権を得ていますが、あんなマイルドな味ではなく、けっこう濃い味でしかもスパイシー。ですので女性よりもオジサンに人気がある一品です。 

お店もお洒落なパスタ屋さんというイメージではなくランチ時になるとカウンターなどでオジサン達が黙々とあんかけスパを食べている、なんとなくラーメン屋の雰囲気にちかいです。あんかけスパの専門店へ行くと種類がたくさんあり野菜をつかったものはカントリースパゲッティ、ソーセージを使ったものはミラネーゼ、魚介を使ったものはバイキングなどとも呼ばれるそうです。 

あとトンカツ、ウインナー、コロッケなどもトッピングでき、ますますオジサン向き。写真はからめ亭のオムレツスパのLサイズ。サイズはS、M、L、Wがあり、Wサイズはちょうど2人前になります。その代わり価格も2倍になっています。 

本丸に小学校校庭があった鳥羽城

toba201311.jpg鳥羽駅から歩いてすぐの所にある城山公園は昔の鳥羽城跡。 

鳥羽城を造ったのは九鬼水軍で有名な九鬼嘉隆で海に浮かんだような城でした。城の大手門があったのが現在の鳥羽水族館のところで、当時は海。つまり海を向いた大手門になっていました。さすがに九鬼水軍です。城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたため、二色城(錦城)とも呼ばれました。 

本丸跡が一番高いところにあったのですが、以前は鳥羽小学校の校庭で自由に立ち入れませんでした。2009年に鳥羽小学校が校舎の老朽化を理由に移転したので、発掘調査が行われ天守跡などが確認され、九鬼水軍の城として整備されています。 

校舎は一段低い、二の丸にあり、校庭が一番高い本丸にあります。本丸からの眺めは鳥羽が一望でき、神島なども見え最高です。考えてみたら毎日、城跡に通えなかなか贅沢な小学校だったんですね。もっとも平山城と言いながら階段を登って毎日、本丸まで行かないといけないので大変ですね。 

今出川は川だった

takase201311.jpgNHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台と言えば同志社大学。烏丸通と今出川通が交差する烏丸今出川にあります。旧薩摩藩邸の跡地です、隣には藤原道長から連綿と続く冷泉家、今出川通りの向かい側には京都御所があります。 

先日、本能寺(本能寺の変の後、豊臣秀吉の命令で寺町御池へ移転)で展示を見ていたところ、室町時代の頃の京都地図があり、相国寺あたりに今出川が通っていました。現在の今出川通りは東西の通りですが、当時は文字通り今出川で北から南に流れる川。 

相国寺(同支社大学の北側)と室町殿(室町幕府のあったところ)ですので現在の烏丸通りあたりを今出川が流れていました。これが同志社大学のキャンパスの北あたりから東へ流れる川とそのまま現在の今出川通りあたりまで流れて東に曲がる川の二手に分かれます。 

現在の寺町通りで2つの流れがまた1本になり、寺町通りを南下し、最終的には鴨川に流れ込んでいます。2010年に今出川キャンパスの発掘調査で室町時代の水路跡が見つかったそうで、これが今出川ではないかと言われています。 

今出川と言うと「通り」のイメージしかなかったのですが川だったんですね。写真は木屋町を流れる高瀬川。江戸時代初期に角倉了以・素庵父子が作った運河です。 

平河天満宮(麹町)

hirakawa201311.jpg大学を出て最初に入社したITベンダーの本社が麹町にあったので、出張や研修で本社へ行った時、近くにあった平河天満宮によくお参りしていました。 

「日本史の謎は地形で解ける」を読んでいたら、この平河天満宮の記述がありました。もともとは江戸城を造った太田道灌が、菅原道真の夢を見て、城内に天満宮を建立したのが発端。徳川家康が太田道灌の江戸城を造り直し、本丸を拡げた時に現在の場所へ移されました。このあたりの地名は神社からとって平河町と名付けられています。 

天満宮なんで祭っているのは菅原道真なんですが、なんと徳川家康も祭られています。麹町から少し行くと半蔵門があり、江戸城でなにかあった時に甲州街道へ逃げる裏道という説が中心でしたが、家康は半蔵門を江戸城の正門にしていたのではということを解きあかしている内容です。そうなると平河天満宮は江戸城を守るための守り神だったようです。 

半蔵門から四谷にかけ新宿通りは尾根道になっていて、確かに番町や麹町など新宿通りから坂を下がっています。難攻不落の石山本願寺、その後の大坂城は谷町台地の一番奥に造られましたが江戸城も同じだったんですねえ。