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名古屋市新事業支援センターが入っている名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール)の周りに飲食店はほとんどなく、ラーメン屋さんと喫茶店ぐらい。
歩いて10分ほどの地下鉄・吹上駅周辺にもほとんど店がありません。そこで、お昼はもっぱら日替わりの配達弁当になります。多店舗展開している2つの弁当屋さんが入っていて、ずっと300円だったのですが、昨年、片方の弁当屋さんが諸物価高騰ということで340円に値上げしました。ただし、オカズも少し豪華になったので、私はもっぱら340円弁当を頼んでいます。
そこへ先週、天白区にある弁当屋さんが営業に来られました。食べてみないと分からないということで試食に持ってきた弁当が写真の弁当(価格は300円)。これで名古屋市中小企業振興会館では三つ巴の戦いに突入してしまいました。
食材費以外に配達や引き取りの人件費やガソリン代もかかりますので、利益は50円もあればよい方でしょう。10個で500円。100個でも5000円という薄利多売。千個で5万円ですが、多く作ると、今度は廃棄の問題が出てくるので難しいところですね。どれぐらいのロットを作っているのでしょう。東京には1日6万食の弁当を配達している玉子屋というとんでもない弁当屋さんもあります。
大阪府中小企業診断協会 新年互礼会
神社は百貨店より専門店?
松の内も終わりなので注連縄を納めに枚岡神社へ。境内は初詣やお祓いの人で賑やかでした。
枚岡神社から枚岡公園を通って、参拝客で賑わう石切参道商店街から石切神社へ。神社の入口に着いたら、すごい初詣客で、鐘を鳴らしてお参りするためにすごい行列が出来ていました。神社入り口の鳥居を超えて山門まで続く行列で、こんなん行列に並んでおられないと脇からお参りしてきました。それにしてもすごい参拝客です。
この地域で神社としての格が一番高いのは河内一宮である枚岡神社。石切神社は社格としては枚岡神社より低いのですが参拝客では雲泥の差になっています。
石切神社は「デンボ(腫れ物)の神さん」として有名ですが枚岡神社は特に特色はなく、家内安全、無病息災、厄除けんど、なんでも揃う百貨店型、石切神社はデンボに特化した専門店型で参拝客の差はこんなところに出るんですかねえ。デンボは関西弁でデキモノのこと。
石切の切からデンボの神様になったという説もありますが、物部氏の氏族である木積家(石切神社の社家)に代々伝わった伝法(秘法)から、どうもデンボになったようです。
えべっさんにお参り
木木会 梅田ナレッジサロン
神戸・三宮にある「ひょうご産業活性化センター」で窓口相談。
帰りに阪神電車に乗ると西宮戎のすぐ近くにある西宮駅は福笹をもった人でいっぱい。尼崎戎も尼崎駅近くにありますが電車から見るとたくさんの屋台が並んでいました。今日から3日間、関西は「商売繁盛で笹もってこい!」のえべっさんです。
えべっさんは全国的な行事だと長らく思っていたんですが、名古屋や三重ではないようで、関西を中心とした行事のようです。阪神で梅田駅へ出て大阪駅をつっきってグランドフロント大阪へ。大阪駅寄りの建物はバーゲンをやっていて賑やかでしたが、奥に行くに連れてだいぶ閑散としています。飲食店もけっこう暇そうでした。
土日は人出が多いでしょうが平日の夜はさすがに開業効果がなくなってきたようです。さて一番奥のビルの上にあるナレッジサロンへ。仕事などができる会員制サロンなのですが、会員がビジターを同伴する形で会議室などを活用できます。今日は大阪府中小企業診断協会の異業種交流会である木木会の会合。いつものマイドーム大阪が一杯だったようで、ナレッジサロンのおしゃれな会議室で開催しました。
さらばアスキー
J-Mottoというグループウェアがあるのですが、そこの会員向けコラムを連載しています。2004年からですので、もう10年にもなるんですね。1月分の原稿を送ったのですがタイトルが「さらばアスキー」。
去年の10月1日、角川グループの各社が合併、社名を「KADOKAWA」に統一しました。合併したのはアスキー・メディアワークス、角川書店、中経出版など。これで長らくパソコン雑誌を出し続けていた「アスキー」という社名がなくなりました。
■アスキー創業、月刊アスキー創刊
「アスキー」という社名は日本のパソコン発展と共にありました。アスキーの創業は1977年。王選手がホームラン世界記録を達成し国民栄誉賞第1号を受賞した年です。翌年にキャンディーズが解散すると発表、「普通の女の子に戻りたい」という言葉が流行語となります。創刊当時はパソコンではなく、まだまだワンボードマイコンの時代。
やがてパソコン時代がきますが、パソコン本体が40万円、モニターやプリンターを揃えると60万はしましたので、せっせと月刊アスキーで情報収集するのがマニアの王道でした。
残念ながら月刊アスキーに記事を書いたことはないのですが、月刊アスキーがリニューアルされた「アスキービジネス」や「インターネットでお店やろうよ!」、「インターネット販売活!」にはいくつか記事を書かせてもらいました。
昔の写真を探したら、編集者の所へ打ち合わせに行った時に撮影したアスキーの受付が出てきました。貴重な写真になってしまいましたね。さらばアスキー!
人は見たいものしか見ない 鷹尾城跡
春日大社 初詣
年越大祓 よいお年を
太平記の舞台 摩耶山城
暮もおしつまっているのに山城に登ってきました(笑)
場所は神戸にある摩耶山。王子公園駅で降りて、坂道をひたすら上がり、上野道という登山道を登ってきました。摩耶ケーブルの終着点「虹の駅」あたりから、ずっと城跡になっています。と言っても見た目は単なる山道です。山道横の丘を登ると、そこが曲輪跡になっていて、山道を上から攻撃できるようになっています。
大晦日前日なのに歩いているハイカーが多いですね。もっとも皆さん、山歩きを楽しんでいるようで山城跡を見ているような酔狂な人物はおりませんでした。山道からは六甲アイランドやポートアイランドなどが一望できます。
摩耶山城を造ったのは赤松則村。南北朝時代に活躍した人物で、鎌倉幕府(京都の六波羅探題)を倒すため播磨国で挙兵。摩耶山麓に陣を構える六波羅探題軍を破り、摩耶合戦として太平記に書かれています。足利尊氏の湊川の戦にも協力し、足利幕府を支えることになります。
この赤松氏ですが室町幕府6代将軍足利義教を暗殺します。日本史で習った嘉吉の変(かきつのへん)ですが、恐怖政治を行っていた将軍でしたので、自分の側についてくるものがいるだろうという目算もありました。結局、誰も賛同せず幕府方討伐軍に敗れて討たれてしまいました。




