祇園祭 鉾建て

tukiboko201107.jpg京都橘大学の帰り、椥辻から地下鉄に乗って烏丸御池へ。室町通りは車が通っていましたので鉾建てはまだかなと思っていたら四条通り近くで車の渋滞。鉾建ての真っ最中で、通行止めになっているため、違う通りへ迂回する車で混雑していました。

鉾はクギなどを使わず、全部縄で組んでいきます。室町通りで鉾建てしていたのは菊水鉾。四条通りに出ると函谷鉾、月鉾も鉾建てをしていました。写真は月鉾です。東向き、西向き車線が一つづつ鉾建てでつぶされますので、四条通りはかなり混雑していました。

四条通りから少し入った鶏鉾、放下鉾、船鉾も鉾建ての真っ最中。これから一週間、京都の中心街は鉾と山で車の乗入れができなくなります。商売している人にとっては大変ですねえ。

木曜あたりから宵々山が始まり、コンチキチン♪コンチキチン♪と祇園囃子が奏でられ、山鉾には提灯の明かりがともされ、子供がお守りを売る声が響きます。なんとも京都らしいですねえ。

そうそう宵山に四条烏丸へ出かけると、各大学のホルモー部が一同に会するところが見られるかもしれません。(笑)

西大寺駅近くの開かずの踏切

saidaiji201106.jpg近鉄西大寺駅のすぐ近くにある踏切。左は京都方面、右は​難波方面となっており、ちょうど二股になっています。

電車がよく信号待ちをするため、よく開かずの踏切になっています。西大寺駅で難波ー奈良と京都ー橿原神宮が交差するため、複雑な踏切操作になっています。

本当は立体交差にすればよいのですが、付近は平城京跡ですし、西大寺駅あたりは文字通り西大寺の寺域でしたので掘ったら、すぐ遺跡が出てきて建設
はストップしてしまうでしょうね。西大寺駅のすぐ近くにある「ならファミリー」は西隆寺跡で、発掘調査では金堂、塔、回廊、厨、東門、南面築地塀などが発
見されています。遺跡は埋め戻され、現在の土地の2m下に保存されています。

この湿気の中、被り物はつらいなあ

tanabata2011072.jpg朝から雨ですが、津では七夕祭りが行われました。

浴衣姿の子供たちが岩田川にかかる観音橋から笹を流します。川には網が張られていてゴミが海に流れないようになっています。私が子供の頃も川へ笹を流しに行きましたが、当時はそのまま海に流れていましたね、あれはけっこうなゴミになっていたんですなあ。

ふだんは閑散としている商店街には津餃子やいろいろな屋台が出ていて、浴衣姿の子供や親などでたくさんの人出。地元の百貨店「松菱)前では百五銀行の行員が銀行名の入った法被を着て道行く人にウチワを配っていました。三重銀行や第三銀行はどうした!(笑)

tanabata2011071.jpg去年も雨でしたが18時ぐらいには雨があがりましたので、集客はそこそこよかったのですが、今日はずっと降っているので売上的には減でしょう。

商店街には津のゆるキャラであるゴー​ちゃんとシロモチ君が歩いておりました。カメラを向けるとポーズをとってくれるのがいいですね。それにしても、これだけ湿気が多いと​被り物は地獄でしょう!

内職できなかった個別相談会

ja201107.jpg午後、三重県産業支援センターが入っている三重県合同ビルの真向かいにあるJA三重ビルで中小企業向け支援制度説明会。主催は三重県・農水商工部です。3
月にも開催しましたが知事が代わり補正予算が通ったこともあり、決定されたスキームで説明しようと開催されました。けっこう集まっていましたね。NHKも
取材に来て、来場者にインタビューなどをしていました。

支援制度説明会にあわせて個別相談会を開催。いつものように相談者として呼び出しがありました。他にも日本政策金融公庫など各機関から相談者が出て分野別に対応します。

相談がなければ3時間待機となりますので、こりゃ内職ができるなとパソコンを持ち込み、電源を探して仕事をはじめていると、「水谷さん、相談です」という呼び出しが。

「ありゃ、まあ。」と応対。ようやく終わったと思ったらもう一件相談が入って、結局ずっと相談していて内職はできず。重たい目してパソコン持っていったのに!

写真は県庁前公園から見たJA三重ビル。県庁前公園には旧三重県庁舎(明治12年完成)があり今は博物館明治村に移築されています。

近鉄 新庄駅

sinsyo201107.jpg近鉄 新庄駅で降りて企業さんへ。

新庄駅は四日市駅の一つ手前で普通しか止まりません。車両も2両編成か3両編成になりますので、ホームも短めになっています。急行が止まる伊勢若松駅か塩浜駅で普通に乗り換えます。

新庄駅を降りると駅前広場になっていますが、お店は何もないですね。喫茶店が一軒だけありますが、電車の客よりも車の客を狙っているため広めの駐車場になっています。同時に降りたのは5人程度でした。

午後の時間帯は1時間に3本の運行で20分間隔になっていました。四日市駅までそう遠くないので歩いてもよいのですが、この暑さではねえ。気長に電車を待って帰ってきました。

秋篠寺

akisino201106.jpg大学からの帰り道、普通しか止まらない平城駅で下車。京都へ向かう近鉄電車が平城駅を過ぎるとすぐ西側に古墳が見えます。前から気になっていたので途中下車して行ってきました。

駅のすぐ近くにあるのが八幡神社。山陵(みささぎ)八幡神社ともいい、祭神は気長足愛媛命、つまり神功皇后です。そして駅からすぐ見える古墳は神功皇后陵。と言っても大きな古墳なので全体は見えまえん。一説では邪馬台国のトヨが神功皇后だったのではと言われています。

神功皇后量からテコテコ歩いて秋篠寺へ。初夏に歩くものではありませんね、暑かった。久しぶりに伎芸天を見てきました。さすがに月曜午後は観光客
もほとんどいません、境内は緑も多くけっこう涼しかったですね。秋篠寺は創建当時は大きな伽藍で西塔、東塔がありました。今は礎石跡しか残っていません。

炎天下の川越町をゆく

asaakegawa.jpg午後から近鉄電車に乗って川越町へ。

川越町は四日市と桑名市に挟まれた地域で、伊勢湾岸道路の川越インターがあります。東海道(国道1号線)が通っており、四日市の追分で東海道と伊勢街道に分岐します。城下町ではないのですが不思議と和菓子屋さんが多いですね。

今日は、企業訪問だったのですが駅を降りて炎天下を歩いている間に汗だくに。隣の桑名市では今日の最高気温が37・5度。そら暑いはずです。

写真は朝開川で、とてもきれいな川で、川を眺めている時だけは涼しかった。東征中の日本武尊が夜明けを迎え、朝明川の水で口をすすいだことから川の名がついたそうです。

下流に見えるのは中部電力の川越火力発電所。今年はフル回転でしょう。

アロマ&フラワートレイン(伊賀鉄道)

iga201106.jpg伊賀の企業さんへ行くために近鉄・伊賀神戸駅で乗り換えて伊賀鉄道へ。

♪「桑町、茅町、広小路、もひとつゆられて上野まち~」

二両編成の電車が走っていますが車体はいろいろ。松本零士デザインの忍者絵もあれば昔の電車を復活した塗装もあります。新型車両も走っていますが、時たま車両の内装が変わっていることがあります。今日乗ったら、アロマ&フラワートレインになっていました。

電車に乗るといい匂い。アロマの香りでした。天井からテルテル坊主や乾燥させたポプリなどがぶら下がっています。伊賀にあるメナード青山リゾートがラベンダーフェスティバルをやっているので、そのイベント告知のようです。香りがよい電車っていいですねえ。

ずっと前に乗ったときは風鈴電車になっていて、天井からたくさんの天井がぶら下がっていました。これはこれで風情がありました。

再生手法を学ぶ

S11-06-04.jpg月曜日は大阪産業創造館の研修室を借りて知研関西6月セミナーを開催

タイトルは企業・個人の再生支援「任意売却」を学ぶで、いろいろと企業再生の手法を教えてもらいました。
講師はナレッジパートナー・任意売却支援機構・代表の富永順三さん

■住宅ローンの破綻予備軍が多い

住宅ローン180兆円の内、3ケ月以上滞納している不良債権は約4%。住宅金融公庫だけでみると48兆円の内の8%が不良債権。つまり12人に1人は返済に困っているという数字。

アメリカは住宅ローンの担保は建物・土地ですが日本の場合は個人保証。最終的に競売となっても、足りない分は残債となります。日本での競売件数は年間で7万件あります。

■再生ツールを活用する

1999年にサービサー法ができ、それまで弁護士にしか認められていなかった債権売買が企業でもできるようになりました。現在100社ほどがあります。

2003年に産業再生機構ができダイエーやカネボウなどに対して外科手術を行いました。この時に使われた手法がM&A会社分割、サービサー、任意売却など海外の手法が持ち込まれました。

それまで会社に対しては創業支援する産婦人科医、銀行やコンサルタントの内科医はいましたが外科医はいませんでした。後は安楽死(倒産)をすすめるお坊さんだけ。(笑)

この外科手術は中小企業や個人にも応用でき、スタートしたのが任意売却119番。もともとは知り合いの会社が倒産間近となりリースバックや任意売却など様々な手法を使って再生したことがきっかけ。
今では全国から年間4000件の問い合わせが入るようなりました。

■任意売却とは
不動産売買と競売はよく知られているが任意売却はほとんど知られていない。まずは事故扱いにして交渉窓口を回収部に変えます。

債権者と債務者の間に仲介者が入って競売にかけずに双方が納得したうえで売却を成立する仕組み。会社であればリースバックやバイバックなどの手法も活用する。

■もともとは創業支援

富永氏は20代で豊中に住んでいた時に阪神大震災に遭遇。クリエイター仲間が多くいたが、震災で勤めていた印刷会社などがなくなり独立したいと相談をうけていた。
そこでクリエイター達が創業できるような企画書を作り大手企業を回ると機材提供などをしてくれるが金は出なかった。行政の兵庫県に持ち込むと、面白いアイデアだと霞ケ関までいって通産省の復興2次補正予算に組み込まれる。

できたのがディジタルクリエート工房。尼崎に200平米の施設を借りてインターネット
の専用回線やパソコンなどを設置して創業支援。ここでクリエーター支援を3年行うがその間、全国から視察の山で、毎日のように視察の案内。

東京以外の地域はどんどん開業率が低下しているため企業数がどんどん減少。企業立地以外に新産業を興す必要があるがITなら設備投資も少なくてすむと注目を浴びる。

これがきっかけで大阪市から話がありソフト産業プラザ iMedio(イメディオ)の立ち上げに関わり所長になることに。

→ セミナーの様子です。


教室でお留守番

tatibana201106.jpg京都橘大学でマルチメディアの講義。

今日の講義はなく、これからの課題で使う素材(動画や画像)集め。学生にデジカメと説明書を持たせて学内へ。それぞれに何らかのテーマを決めてもらい、テーマにそった素材を集めます。今日は雨だったので、図書館や食堂、ゼミ紹介など校舎内のテーマになりそうです。

学生がいなくなった清心館2階にある721教室で一人、お留守番。静かでよかったです。今年の4月にシステムを入れ替えてWindows7+Office2007になっています。