ICカードの全国相互利用サービスがまもなくスタート

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ICカードの全国相互利用サービスが2013年3月23日からスタート。1枚のICカードがあれば鉄道52事業者4275駅やバス96事業者に乗ることができ、今までのように地域ごとにICカードを買わなくてもすみます。便利になりますが関西ではICカードの集約はあまり起きないでしょう。理由は割引です。
現在、イコカ(ICOCA:JR西日本)、ピタパ(PiTaPa:スルッとKANSAI 関西の私鉄、地下鉄)、マナカ(manaca:名古屋地下鉄、バス、JR東海)の3枚のICカードを持っていますが、なくすとするとイコカですね。
イコカとマナカは駅の券売機ですぐにICカードを発行でき使えます。プリペイド方式になっており電車に乗る前に料金をICカードにチャージしておかなければなりません。これは東京のスイカも同じです。
■ピタパは関西独特のICカード
ピタパは関西ならではのICカード。基本的に銀行引き落としなので申込手続きが大変で、信用調査もあり発行まで時間がかかり面倒です。ですので京都や大阪へ旅行に来るような人にとっては不向きです。
ピタパは、後払い(ポストペイ)ですからチャージの必要がなく、残額を気にする必要がありません。イラチな関西人が面倒な手続きをしてまでピタパを申し込みするのは、ひとえに割引制度があるからです。鉄道会社によって割引率などは違いますが、乗れば乗るほど割引されます。割引された金額が銀行から引き落としされます。関西の私鉄や地下鉄をよく利用するならピタパですね。イコカとピタパの相互利用が既に始まっていてイコカで関西の私鉄にも乗れますが、割引がないためはっきり言って損。
移動はJR西日本がほとんどで、関西の私鉄にほとんど乗らないのならイコカですが、反対のケースなら断然、ピタパです。ピタパでJR西日本に乗るには、事前にチャージするかオートチャージ契約をしておく必要があります。(ピタパはプリペイドとしても使えます)ところが関西人はピタパに慣れていてチャージする習慣がないので、駅でとまどうことが多々あります。ICカードの相互利用が始まっても関西ではプリペイド方式とポストペイ方式の2枚のICカードを使い分けするか、JR西日本ではピタパを使わず券売機で切符を買うでしょう。
■マナカはプリペイド方式なのに割引がある
イコカやスイカには割引がありませんが、名古屋のマナカにはあります。乗れば乗るほどお得なシステムで「がめつい大阪」と同様「ケチな名古屋人」と言われている風土にあっています。ただしプリペイド方式なので仕組みは少々やっかい。地下鉄などに乗るとICカードからは正規料金が引き落としされ、その分ポイントが加算されます。翌月、券売機でICカードにこのポイントをチャージすることができます。チャージした後、地下鉄に乗ると、このポイント分が料金として引き落とされます。つまり実質的な割引制度。
ただしポイントの取得期限は1年間で自分でポイントをICカードに入れなければなりません。ここらへんが同じ割引制度ながら「割引するなら、そくせんかい!」という関西人の風土にあわずピタパがポストペイ方式になった理由でしょう。
イコカとマナカは同じプリペイドながら、マナカには割引制度があるのでICカードの全国相互利用サービスが始まったら、まずなくのはイコカですね。

B言語の後にできたからC言語と名づけられた

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C言語という言葉を聞いたことはありませんか。システムを作るにはプログラムが必要。プログラムはプログラミング言語を使って作ります。C言語はプログラミング言語のひとつです。 

■中学でプログラミングが必修に

学習指導要領が改訂され、2013年度から中学の技術・家庭ではプログラミングが必修になりました。今年度から中学の保健体育でダンスが必修になり、”ヒップホップなんてやったことない”という先生がダンススクールに通う羽目となりましたが、今は、”机は作れるがプログラムなんか作ったことがない”という技術の先生が頭をかかえています。いずれにしても数年後にはプログラミングを習った世代が社会に出てくることになります。

プログラミング言語にはそれぞれ得意・不得意があります。例えば蓮舫議員の”2位じゃダメなんですか”で有名になったスーパーコンピュータ「京」では科学技術計算が得意なFORTRANというプログラミング言語が使われています。事務処理が得意なプログラミング言語はCOBOLです。50年以上も前に作られやプログラミング言語ですが、いまだに現役で家電通販最大手のジャパネットたかたの販売管理システムはCOBOLで作られています。

■B言語の次に開発されたのでC言語と名づけられた

学生でもプログラミング言語を作ることができるので星の数ほどのプログラミング言語が生まれます。しかしプログラマが実際に使い、生き残っているプログラミング言語はそれほど多くありません。よく使われるプログラミング言語のひとつがC言語。AT&Tベル研究所のケン・トンプソンが開発したB言語を改良して作られたのでC言語と名づけられました。C言語が普及したためB言語は絶滅してしまいます。

B言語の前にA言語があると話が面白いのですが、実はBCPLという言語が元になり、先頭のBをとってB言語と名づけられました。C言語の命名は、アルファベット順でなく、「BCPL」の2文字目だという説もあります。

A言語はありませんがD言語はあります。C言語の後継を目指した言語ですが、あまり普及していません。アルファベットとしては、かなり飛んでQ言語(日立の汎用機で使われた簡易言語)、R言語(統計解析向け言語)があります。

■JaveはC言語から生まれた

C言語はOSを作るために開発された経緯もあり、プログラマの多種多様な要求に応え、何でもできるプログラミング言語となっています。この何でもできるというのがクセモノで、ポインタを使ってメモリー上の特定の番地にアクセスできます。便利な機能なのですがプログラムミスをすると簡単にメモリー上にあるシステムを破壊できます。

Javaというプログラミング言語はこの危険な「ポインタ演算」をできなくした言語で、C言語などを元にして生まれましたのでC言語の親戚です。

Javaは開発メンバーがよく出入りしていた近くのコーヒーショップのJavaコーヒーから名づけられました。プログラマはコーヒー好きということもあり、プログラマに好まれるようなプログラミング言語にしようという願いからです。そしてJavaのマークはコーヒカップになりました。

黒門市場で忘年会

kuromon201212.jpg午前中はLEC梅田でお仕事。 

お昼に仕事が終わったのでミナミへ出て、黒門市場へ。年末になると東京のアメ横と並んで必ず中継される大阪の台所です。今日も人が多かったですね。忘年会の会場は黒門場にあるお寿司屋さん「すし処 黒門 寿恵廣(すえひろ)」。ネタは黒門市場から仕入れていますので新鮮で豊富。定番メニュー以外にその日、おすすめの手書きメニューがあります。 

14時から中小企業診断士の集まりであるファイティング・コンサルタンツの忘年会を開催。毎年、このお店で開催しています。2階の座敷でブリしゃぶを中心にいただきましたが、おすすめが半熟卵が入った赤だしで、これは他のお店で見たことがなく絶品です。 

結局、18時頃まで飲んでおりました。

長久手古戦場

nagakute201212.jpg午前中に仕事が終わったので、以前から気になっていた長久手古戦場に出かけてきました。歴史で学んだ小牧・長久手の合戦の舞台です。 

地下鉄東山線の終点「藤が丘駅」から愛知万博で有名になったリニモに乗り長久手古戦場駅へ。3つ目の駅が長久手古戦場駅。それにしてもすごい駅名をつけましたね。分かりやすくっていいんですが。 

駅のすぐ近くに古戦場公園があります。ここが池田恒興や森長可が戦死した場所で、塚が残っています。公園内には郷土資料館があって小牧・長久手の戦いの展示があるのですが、展示を見ると戦は広範囲に行われていました。藤が丘駅からリニモ沿線が全部、戦場だったんですね。 

長く陣がのびた秀吉軍は家康軍から攻撃を受け、各個撃破されてしまいました。第3隊の堀秀政だけは、いち早く丘の上に陣地を家康軍を蹴散らし、これが唯一の勝ち戦になりました。 

桶狭間と同じで、当時のものは何も残っていませんが、歩くと実に起伏の多い土地だと分かります。少し高い丘などは、両軍どちらかの陣地で御旗山という家康が陣を置いた山に登ると長久手が一望できました。それにしても古戦場なので香桶や血の池公園などと物騒な地名も残っています。

名古屋大学・食堂

nagoya20121213.jpg名古屋大学へ 

名古屋市新事業支援センターで来年1月25日(金)に大学発ベンチャー ビジネスプラン・グランプリ発表会を行いますので、名古屋大学へ打ち合わせに行ってきました。発表会の場所は名古屋市中小企業振興会館(吹上)。 

名古屋大学ですが台地の上にあるので、けっこう起伏があり、いたるところに坂があります。打ち合わせが終わったら、ちょうどお昼前でしたので、そのまま学食へ。入ったのは丼、麺専門のこじんまりとした学食。広いキャンパスなので、食堂もいろいろな所へ分散しているようです。頼んだのはから揚げネギ丼(380円)+サラダ(84円)。おいしゅう、いただきました。

岩田川の戦い

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ウチの実家があるのが津市の岩田という土地。私が子供の時は弓屋敷と呼んでいたので江戸時代、藤堂藩の弓屋敷が並んでいたようです。伊勢は昔から南朝の牙城です。津市には垂れ梅で有名な結城神社があり、北畠親房と一緒に戦った結城宗広をまつっています。
津市の中心街を流れるのが岩田川。いたってふつうの川で海が近いため大潮には川の水位がかなり上がります。このへんてつもない川の名前をつけた「岩田川の戦い」というのがありました。戦いがあったのは室町時代。
長い間、南北朝に分かれて争っていましたが和解し、双方から順番に天皇になるという約束ができました。ところが足利幕府が約束を反故にしてしまいます。そこで伊勢国司北畠家の第3代当主だった北畠 満雅(きたばたけ みつまさ)が挙兵し、幕府軍とぶつかります。北畠満雅は津市の南にある雲出川において幕府軍を大敗させますが、その後、「岩田川での戦い」で敗れ、北畠満雅は戦死してしまいます。
当時、幕府は鎌倉公方足利持氏と争っていたこともあり北畠と和解。北畠の居城のあった美杉村は多気御所と呼ばれ栄華を誇りました。多気という名前がついていますがシャープの多気工場よりもはるかに山奥。当時は伊勢国と大和国を結ぶ初瀬街道沿いにある交通の要所でした。
繁栄した北畠家に隣の尾張から攻め込んできたのが織田信長。北畠は結局、信長に滅ぼされてしまいます。あまり知られていませんが北畠家の城主の妻が松永久秀の娘です。また大和の兵も多数派遣されていて信長の北畠家攻撃で全員玉砕してしまいます。翌年、松永久秀が織田信長を裏切り、信貴山城で名器・平蜘蛛茶釜と一緒に爆死しますが、こんなところに伏線があったんですね。
この岩田川周辺ではもう一度、大きな戦いがありました。関ヶ原の戦いの前哨戦となった安濃津城の戦いです。東軍についた富田氏を攻めるために西軍の毛利秀元・吉川広家・長束正家・安国寺恵瓊・長宗我部盛親・鍋島勝茂が3万の兵を率いて包囲。富田氏は西軍の猛攻を持ちこたえ結局、和睦に。西軍はこの後、関ヶ原に向かいます。

スターバックスが都心に小型店展開を強化

コンビニカフェに対抗するためスターバックスが都心に小型店展開を強化していくと報道がありました。
■コーヒーは牛丼と同じでブランド・スイッチされやすい
コンビニ各社がテイクアウト・コーヒーに力を入れており、対抗するためスターバックスでは低コスト運営できる小型店を増やしています。背景としてコーヒーはブランド・スイッチされやすい点があります。例えば私の場合、新大阪駅のスターバックスが賑わっていると、「行列に並んでまで買いたくないな」と思い、新幹線ホームに上がってキヨスクでテイクアウト・コーヒーを買っています。もっと時間がないと車内販売のコーヒーを飲んでいます。
私のようなお客はキヨスクのコーヒでもドトールコーヒでも、なんでもよくテイクアウトでコーヒーが飲めればよいと思っています。コーヒーの味にすごい差があれば別ですが、スターバックス・ファンでない限り、簡単にブランドスイッチしてしまいます。これは牛丼の世界と同じで、吉野家の牛丼でないとダメというお客もいますが、松屋、すき家、吉野家のどこでもよいと考えるお客も多くいます。こうなると、お店が目に入るかどうかが勝負で、価格はあまり関係がありません。
■コンビニカフェの周りに店を出す
コンビニの場合、店舗をまわるトラックの配送効率を考えドミナント戦略で出店しています。ドミナント戦略とは集中戦略のことで、ある地域に集中的に店舗をつくって面で地域をおさえてしまうことです。スターバックスの場合、主な原材料はコーヒーで、コンビニに比べ少品種になり、配送頻度も少なくてすみます。またコンビニよりも狭い商圏で成り立ちますので、コンビニカフェをつぶそうと思えばコンビニのすぐ近くにサンドウィッチする形で複数店を出せばOK。
また弁当を買おうとコンビニにお客があふれかえっている中、殺気立っている店員にテイクアウト・コーヒーを頼むのは至難の業。自分の後ろの列からは「なに時間がかかるものを頼んでいるんだ」ときつい視線がつきささります。近くにテイクアウトコーヒー店があれば、そっちでコーヒーを買おうになってしまいます。テイクアウト店で買うのが習慣化すると、コンビニがすいていても店員にテイクアウト・コーヒーを頼まなくなります。
スターバックスとしては、なるべく行列を作らさず、すぐにコーヒーが買えるオペレーション勝負になります。店に入って、買ってから店を出るまでの動線設計も重要です。プロモーション用の変な看板を動線上に置いてしまったらアウト。待ち時間が増えた途端、お客が離れていきます。
さてコンビニカフェとスターバックスとの戦い、どうなりますことやら。

中小企業診断士試験 口述模擬面接

lec201212.jpg12月7日(金)に中小企業診断士試験・2次筆記試験の合格発表があり、残すのは12月16日(日)に実施される口述試験。今日はLEC梅田校で口述試験の模擬面接を行ってきました。 

口述試験は、筆記試験の事例などをもとに出題さて、試験時間は、1人当たり約10分間。資料も持ち込みはできませんので受験者は筆記試験の事例問題をしっかり見直さなければなりません。質問に対して2分程度で答え、標準では5問質問されます。 

そうはいっても皆さん、模擬試験でさえも緊張するのか、回答時間は短め。想定の5問が終わると、回答に対してつっこみ質問をして、少ししどろもどろになるなど色々と楽しませていただきました。(笑)模擬試験が終わったら講評してフィードバックします。 

毎年、この時期にLECで模擬試験の面接官をやっているんですか、いつもはところどころに空きがあり一服できる時間帯があるんですが、今日はビッシリのスケジュール。さすがに休憩なしは、疲れますね。 

申し込みが多い背景ですが、今回の筆記試験の合格率は25%で、例年に比べ5%ほど高くなっています。3次実習の受け入れ人数がある程度決まっていますので、例年と違って5%ほど口述試験で落とすのではないのかというまことしやかな噂が流れていることも影響しているようです。

名古屋にある桑名、長島、伊勢

nagasima201212.jpg名古屋は城下町ですので中心街は碁盤の目になっています。その中に桑名町、長島町、伊勢町というお隣の三重の地名がついた町名があります。 

先日、鶴舞の古本屋で「花の名古屋の碁盤割」という本を買ってきたので、調べてみると、これらの町はもともと清州にありました。織田信長の息子である信雄は本能寺の変の後、伊勢を領有していましたが、その後、清州城主になったので引っ越し。この時、家臣の移転に商人もついてきたようです。 

藤堂高虎が伊予から伊勢の津へ国替えした時に伊予の商人が移り住んだ伊予町や松阪には日野から移った蒲生氏郷についてきた商人の町、日野町があります。城下町の多くには同様の事例があります。 

やがて家康が水害が多かった清州から名古屋へ住民ごと引っ越す、清州越しを行います。この時に住民と一緒に町の名前も移ってきました。同様にクリスマスイルミネーションが美しい名古屋の大津町は大津から移ってきた住民の町で、清州越しで移ってきました。伏見町は清州越しではなく、名古屋城ができてから伏見から移ってできた町です。 

名古屋のテレビ塔近くに武平町がありますが江戸時代に古墳が発見されました。壬申の乱で大海人皇子の元へ2万人の兵をひきつれた少子部連錯鉤。壬申の乱が終わった後に自殺した謎の人物です。古墳は江戸時代に埋め戻したそうで、名古屋の街中の地下に今も残っています。

あいち新事業活動促進連携会議

nagoya201212.jpg名古屋駅前の「うぃんく愛知」で「あいち新事業活動促進連携会議マネージャ等交流会」という長たらしい名前の会議が開催されたので行ってきました。 

あいち産業振興機構が音頭をとって愛知県中の支援機関に声をかけて実現した会議です。支援機関で現場業務についているマネージャ同士の交流をし、中小企業支援に役立てましょうという趣旨です。 

40名近くのマネージャーが参加していましたが、中小企業基盤整備機構・中部支部が12名ほどと大所帯で参加しておりました。 

会場へ着いたら、知り合いから「水谷さん、今日はどこの立場で参加なの」という声もかかりましたが(笑)、今回は三重県ではなく名古屋市新事業支援センターのマネージャーとして参加。それにしても愛知県にもいろいろな機関があるんですねえ。 

会場は「うぃんく愛知」最上階の18階。窓からは建て替え工事中の大名古屋ビルヂングが見えます。今度は高層ビルに生まれ変わりますが、大名古屋ビルヂングの名前はそのまま残るそうです。 

さて会議終了後は隣で1時間ほど交流会。軽いスナックとビールが置いてあるではありませんか。結局、3缶ほど気持ちよく空けて帰ってきました。