栄のオアシス21へ

今日は愛知、岐阜、三重合同の商談会が名古屋で開催されました。3県が集まるとさすがに数が多くすごいですね。

さて夕方、栄に出て久しぶりにアオシス21へ。楕円形の建物の上に池が作られていて散歩できテレビ塔などが一望できるようになっています。ただ高所恐怖症にとっては、しょうしょうハードな場所ですね。(笑)

写真はオアシス21ごしに見たテレビ塔です。
名古屋は都会の真ん中にずっと続く公園があっていいですね。また名古屋城の外堀などがよく残っています。大阪は総構の空堀など、すっかりなくなってしまい商店街になっています。

東京の知り合いが仕事で名古屋に来ているので、栄で落ち合って飲みにいきました。最終の快速みえで津まで帰ってきましたが、名古屋は遠いなあ。

20周年セミナーが終わった!

昨日は14時から知的生産の技術研究会・関西20周年セミナーを開催。

今から20年前、1987年9月の交流会からスタートしました。当時はまだ20代後半で我ながら若かったですね。

20年やりましたが、一番参加者が多かったのがプロモデルの山本さんをお招きしたセミナーで50名ほどが参加。30名ほどしか入らないドーンセン ターの中会議室に、次々にふだん見たことのない女性が(笑)他の会議室からイスを次々に運び込んでも足りないので、最後、常連さんには立っていただくとい うセミナーでした。

集客がよかったのはおそらくタイトルのせいです。

パリ・ミラノコレクション出演のプロモデルがあなただけにそっと教える 「5歳若く見える知的ファッションコーディネート術」
 
反対に少なかったのは講師をいれて3名の時で、台風かなにか近づいてきている給料日だったのを覚えています。この時ばかりは辞めようかなとも思いました。

とりあえず20周年が終わりました!

中之島・竹葉亭がなくなっていた!

20年ぐらい前、大阪・中之島にあった客先で仕事をしておりました。中之島は土佐堀川と大川にはさまれ、ちょうどパリのシテ島のような雰囲気のところです。

給料日になるとお昼を食べに行ったのが中之島にあった竹葉亭。都会のど真ん中にある古風な料亭でした。さすがに夜は足を踏み入れられないのですが、お昼はうな丼などをリーズナブルな値段で提供していました。さすがに給料日の時ぐらいしか行けませんでしたが

今日、昼から中之島でセミナーがあったので、この界隈を久しぶりに歩くと、その竹葉亭がなくなっていました!あの雰囲気、よかったんですがねえ。

中之島ですがでっかい高層ビルは建っており様変わりですね。、関電本社はなくなって大ビルを建てていました。変わっていないのは大正ネオロマネスク様式の大ビル本社、住友中之島ビル、朝日新聞ビルぐらいですね。

ついでに堂島によりましたが、昔勤務していた会社が入居していた堂島古河ビルと堂島グランドビルは健在でした。堂島グランドビル地下のちゃんこ屋さんってまだやっているんですなあ!

大学で京都・島原の太夫道中

朝から京都橘大学へ

2時限目が終わり、生協へ行って弁当でも買おうと階段を降りようとすると、学生が「すいません、これから舞台が始まりますので!」と通行を止めていました。

階段を降りたところが広場になっていて、昼休みに時々、サークルなどがいろいろと発表をしています。

その発表かなと、回り道をして生協で弁当を買って広場へ出てみると京都・島原の司太夫が太夫道中(花魁ではないので花魁道中とは言いません)をやっているではないですか!

片足が2kgの高下駄を履いて、前に二人の「かむろ」を従えています。さて広場では舞や御茶屋遊びの紹介などなかなか贅沢な昼休みでした。さすがに京都の大学ですなあ。

太夫も大学でやったのは初めてと言っていました。それにしても重そうな衣装ですね。

ずっと見ていたので、あわてて弁当を食べて3時限目へ

秋祭り:ふとん太鼓

今日と明日は地元、枚岡神社の枚岡祭りです。

枚岡神社は元春日と呼ばれ、ここの神さんを勧請し奈良の春日大社となりました。古い神社で河内一ノ宮になっています。

枚岡祭りの主役は「ふとん太鼓」で太鼓を納めた太鼓台の上に座布団を五枚ほど重ねて置き、子供が4人入って太鼓をたたきます。かなり大きなもので これを50名以上でかつぎ上げます。各町から「ふとん太鼓」が出て、何十基もの「ふとん太鼓」がが枚岡神社境内を練り歩く勇壮なお祭りです。

お祭りは毎年10月14日、15日と日が決まっており、今年はうまく日曜にあたりました。平日開催でも地元では学校も会社も休みになってしまいます。(笑)

一番の見所は各町内を練り歩いた「ふとん太鼓」が集結しての宮入です。特に枚岡駅横の踏切越えが大変で、近鉄の職員がタイムテーブル片手に踏切り越えのタイミングをはかり、一気にきつい坂を越えていきます。

いつも太鼓台をかついでいる息子は今年は模試を受けに行くということで不参加でした。まあ、受験生なんで。もっとも明日は学校が休みなんで見物に行くそうで、入試は大丈夫かいな?

近鉄の駅から赤福が消えた!

朝、支援センターへ行くと「赤福」の話題ばかり。伊勢と言えば赤福ですし、全国的にも有名な企業ですからね。

昼から企業周りに。
近鉄電車で行きましたので、赤福も当分食べられなくなるかもしれないと売店をのぞきましたがやっぱり撤去されていました。

赤福餅の餅と漉し餡の組み合わせは、この地域に昔からあった餅で昔は多くの店で売られていましたが今、残っているのは赤福餅と御福餅です。

こりゃ、二見まで行って御福餅を買うしかないですね。ここの小豆をカチンカチンに凍らせた御福マックはなかなかいけますよ。

体育の日なのに平常授業です

京都橘大学へ
ハッピーマンデーで月曜が祝日になるのはいいのですが、授業のコマ数が確保できず、今日は祝日ながら平常授業になってしまいました。
電車はすいていましたが、山科駅に着くと長いスクールバスを待つ列が
オイオイ、せっかくの祝日に自主休講しないの!
教室に行ってみても、ほとんどの学生は出席しておりました。というわけで、5コマ目一杯の講座でした。
雨が降っただけで、自主休講していた私の学生時代とは大違いですなあ。

1989年 あの頃は若かった!

10月20日(土)は知的生産の技術研究会・関西20周年。1987年9月にスタートし、無事20年を迎えました。

そこで創立メンバーでもある河西さんに撮ってもらった知研関西の写真を整理していますと一番古いのは89年9月にユニトピア篠山へ皆で行った時の写真が出てきました。

89年と言うと20代最後の年。自分で写真を見ても髪の毛はフサフサしているし、おまけに痩せています!ウーン、この頃もけっこう飲んでいたはずなのに、なんでこんなに体型が違うんだろう。おかしいな~あ。

1989年と言うと昭和天皇が亡くなって平成になり、消費税が施行された年ですね。それにしても若かったな~あ。

と、しみじみしながら酒を飲む。

静御前の生誕地(伊勢)

企業相談で伊勢へ
伊勢の入口にあるのが宮川です。けっこう大きな川で伊勢へお参りに行くにはこの川を越えねばなりません。昔は渡しがありました。
伊勢へ行ったついでに新道商店街にある「いせTMO(伊勢タウンマネージメント協議会」へ寄ってきました。昔の商店街の話(新道商店街は元遊郭だったことなど)の他に、倭姫命の話題に。伊勢らしいですなあ(笑)
宮川の下流に磯町という町があるのですが、ここが倭姫命が伊勢神宮を決める前に巡行した伊蘇宮のあったところで、現在は磯神社が残っています。この神社に静の井戸というのがあり、静御前(義経の奥さん)が生まれたという伝承があるそうです。本当かいな?
もう一つ聞いた話が磯町と御園町が飛び地のように宮川の両側にあります。これは江戸時代の地震の影響で現在の宮川ができて町が切り裂かれたからなんだそうです。本当かいな?

藤堂高虎入府400年(津市)

藤堂高虎が津に入府して来年で400年になります。
津の百貨店、松菱へ行くと手作りで作られた高虎の甲冑が展示されていました。遠くからもはっきりわかる兜ですね。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」藤堂高虎の言葉が残っていますが、今の外資系ビジネスマンのようなバリバリの人物だったのでしょうね。義理人情に厚かったようで関ヶ原合戦の後に捕まった石田三成に他の武将が罵声を浴びせる中、勝負は時の運と陣羽織をかけた話が残っています。また「出世払い」という言葉は高虎が語源です。
■出世払い
藤堂高虎が浪人していた頃、吉田(豊橋市)あたりを放浪していた時に餅屋で無銭飲食してしまいましたが、店主に旅費までめぐんでもらい助けてもら いました。後に津藩の藩主となり江戸に向かう途中、この餅屋で行列を止め、お礼をして家臣一同に餅をふるまったそうで、これが「出世払い」の語源になりました。
■上野は伊賀上野が語源
東京の上野はもともとは忍岡と言っておりましたが、伊賀と伊勢の藩主である藤堂藩の藩屋敷があり伊賀上野の丘によく似ていることから上野の地名がついたそうです。
■東郷平八郎と連合艦隊が津へ
日露戦争の日本海海戦の後に津へ寄ったという話があり、最初は海軍のあった佐賀の三重津造船所と思っていたのですが、津だったんですね。
1905年10月13日に東郷平八郎が連合艦隊を率いて津を訪れています。これは藤堂高虎を崇拝する東郷平八郎が水軍司令で有名な高虎が津へ入府する故事を再現したパフォーマンスだったそうです。また伊勢神宮に戦勝報告したそうです。