夏見城

湖南市三雲小学校近くにあるのが夏見城。ここは夏見氏の居城で、甲賀五十三家の一つです。長享・延徳の乱があり、長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2回、室町幕府が近江守護・六角高頼討伐の軍勢を起こします。将軍・足利義尚が自らが出陣し、今の栗東市にある鈎(まがり)に陣をおいたので「鈎の陣」とも呼ばれています。

夏見城
夏見城

この時に六角氏側で戦ったのが夏見氏。戦功によって夏見の地を領有することになり夏見城を築城します。天正13年(1586年)には天下統一した秀吉に領地を召し上げられ帰農したようです。夏見城の発掘調査では室町時代の「毛抜き」が見つかっています。

ただ城は竹藪の中で分け入ってみると土塁が残っていました。説明によると複郭式の構造とありますが、藪が多く断念。

1級販売士 資格更新

1級販売士の資格更新は5年に1度。いつもは通信講座の受講なのですがコロナ禍ということもあり通信教育講座に切り替わっていました。

販売士更新
販売士更新

受講料を支払うと更新テキストが届くので読んで確認テストを受講します。正答率が50%以上で合格なので、かなり甘めですね(笑)そうそう試験名はリテールマーケティング(販売士)検定試験になっています。

大沙川隧道

大沙川隧道
大沙川隧道

JR三雲駅から旧東海道を歩き三雲城跡に登る手前にあるのが吉永のマンポ(大沙川隧道)。アーチ状の石が特徴です。

大沙川が天井川になっていて、このあたりは天井川が多くあります。氾濫防止のために堤防をつくると川底に土砂がたまって、川の高さが上がるので堤防を付け足してとやっていると天井川になります。神戸など昔から栄えていた所に多いですね。奈良時代に石山寺などの造営で、このあたりの山の木々はほとんど切り倒され、はげ山となったことから砂の堆積が進んだ面もあります。

朝ドラ「スカーレット」の舞台 三雲城

朝ドラ「スカーレット」は信楽焼をテーマにしたドラマで主演は戸田恵梨香さんでした。

三雲城
三雲城

中学卒業後、大阪で女中として働きはじめることになり信楽から大阪に向かう主人公が峠に登って、夕日を見つめながら信楽に別れを告げる場面が出てきます。この丘で、焼き物のカケラを見つけて、これが信楽焼へとつながっていきます。この場面は三雲城の郭で撮影されたそうで、大きな看板がありました。郭から確かに眺望はよいのですが主人公が見ている方向は野洲方向で琵琶湖超しに比叡山に沈む夕日を眺めています。信楽はちょうど逆方向ですね(笑)。

JR草津線・三雲駅からエッチラオッチラ、昔の東海道を歩いて住宅街を抜けて山道に入り三雲城へ登りましたが、途中まで車で登れる道があり駐車場まで整備されていました。そこからさらに作業道があり、城下まで行けるので撮影機材を運ぶには最適な場所ですね。そらロケ地になるはずです。

猿飛佐助の故郷 三雲城

近江・三雲城

三雲城

六角氏の重臣だった三雲氏の居城で1487年に築城されました。六角氏の逃げ城としても有名で織田信長が足利義昭を奉じて上洛する時にたちはだかったのが六角氏。観音寺城を拠点にしていましたが、すぐ隣の箕作城が攻められて落城したことから、六角氏が逃げこんだのが三雲城です。

三雲城は5つの郭から構成され入口には石垣で造られた枡形虎口が残っていました。山城には珍しく、よく整備されていますね。三雲城のノボリには「猿飛佐助のふるさと」と書かれています。ホンマかいなあ。

■猿飛佐助のモデル
調べてみると猿飛佐助は真田十勇士の一人で霧隠才蔵とともに有名ですが、司馬遼太郎が「風神の門」という真田十勇士の小説を書いた時に江戸時代から猿飛佐助の名前はあり、三雲佐助賢春が猿飛佐助のモデルになったと紹介しています。真田幸村が九度山にいた時に三雲佐助賢春がいたという書も残っているそうです。甲賀忍者の里ですからねえ。あながち嘘というわけでもなさそうです。

恩智城

東高野街道沿いにあるのが恩智城。

恩智城
恩智城

街道をそれて高台を登ると児童公園になっていて、ここが恩智城跡。遺構はないのですが郭跡などがよく分かります。東高野街道をよく監視できる場所にあります。城を造ったのは恩智左近で、さらに高台を登ったところにある恩智神社の社家の出と伝わっています。

後醍醐天皇の建武の新政時代に恩智城が造られたようです。恩智左近は楠木正成と一緒に戦った八臣の一人で千早城籠城などでともに戦い、楠木正成が討ち死にする湊川の戦の後は、楠木正行を助けて四条畷の戦いに出陣。討ち死にしたとも病死したとも伝わっています。四条畷は東高野街道を北に上がったところですので、楠木正行も恩智城に寄って北上したのでしょう。

枚岡神社 秋郷祭り2022

枚岡神社・秋郷祭2022 3年ぶりの開催です。

枚岡神社 秋郷祭り2022
枚岡神社 秋郷祭り2022

一番の見どころは枚岡神社への宮入のために麓の鳥居から急坂を登り近鉄・枚岡駅の踏切を超えるところです。電車の合間を狙って23台もの布団太鼓台を通過させないといけないので近鉄職員も大変。踏切を超えたところから、また急坂になっていて、これを1トンを超える太鼓台を担いでいきます。

祭りは10月14日、15日固定で、今年はうまく土曜にあたり、ラッキーでした。屋台もずらっと枚岡駅から額田駅まで並び、いつもの祭りの賑わいが戻ってきました。来週は石切さんのお祭りですねえ。

東大阪商工会議所でセミナー

新石切駅に自転車を留めて地下鉄で堺筋本町にある、大阪府よろず支援拠点へ。今日の相談は何件かなとホワイトボードを確認したらセミナー予定が入っておりました。
「エー、何これ!」「何これって、今日は東大阪商工会議所でセミナーでしょう!」という事務からの声。
ということですっかりセミナーのことを忘れておりました(笑)。

東大阪商工会議所
東大阪商工会議所

それなら近鉄経由で帰れるから自転車を留めなかったのに!まあ、セミナーは昼からでしたので、東大阪商工会議所の大ホールで「DX化で掴むビジネスチャンス」というタイトルで無事にセミナーを終了。そのまま東大阪商工会議所前の河内永和駅から乗れば家に近いのですが、自転車をとりに地下鉄経由で帰ってきました。再来週もセミナーが2件入っているので覚えておかないと!

教興寺の戦い(東高野街道)

東高野街道は昔から戦の舞台になりましたが、その一つが教興寺の戦い。

教興寺
教興寺

三好長慶と畠山高政との戦いです。最初は畠山勢が有力で古市にある高屋城を奪還し、飯盛山城に籠城している三好長慶を攻めます。三好の本拠地である阿波から援軍が尼崎に到着し、三好長慶や松永久秀と郷亮右。教興寺に陣取る畠山方の紀伊国人・湯川直光(御坊にお城があります)と根来衆に攻めかかり、湯川直光が討ち死にしたことから総崩れになります。

教興寺の戦いで勝利した三好氏は、大和・南河内から畠山氏の勢力を排除し、松永久秀は大和に入って、反三好勢力の城を攻めます。敵対勢力の一つが筒井氏で大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれていました。

横小路(東高野街道)

街道をゆく 東高野街道

京都から高野山への参詣道として用いられた街道で、河内国にはいると北から南までまっすぐな道で少し微高地になっています。近鉄の安堂駅から枚岡まで3時間ほど歩きましたが、真っすぐな道です。

横小路(東高野街道)
横小路(東高野街道)

江戸時代、大和川の付け替えが行われるまで東高野街道のすぐ西側を大和川が流れていましたので、軍勢はこの街道を通るしかなく戦の舞台となりました。南北朝時代の四条畷の合戦が有名です。大坂夏の陣では京都から東高野街道を南下する徳川軍に向けて若江に出陣したのが若い木村重成です。大河ドラマ「真田丸」では白石隼也が演じていました。

対峙したのが藤堂高虎、井伊直孝です。東高野街道の西は湿地帯だったのですが、この横小路は生駒山から古道になっていて若江につながっていましたので、木村重成は、この道を狙ったかもしれません。藤堂軍の右翼を破りましたが井伊軍との戦闘の末に戦死します。この横小路をまっすぐ西に行くと木村重成のお墓があります。