日本最初の宗教戦争の地(蘇我VS物部)

からAllAboutのガイド記事を作成。昼過ぎに終わったので炎天下の中、自転車に乗って八尾の町を散策に。

JR八尾駅近くに大聖勝軍寺があります。国道25号線に入口がある寺で、境内に入ると「聖徳太子古戦場」の碑がありました。ここが日本書紀に出てくる廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子&聖徳太子が戦った稲城の跡です。

最初は物部守屋が優勢で、そこで聖徳太子がヌリデの木を切り取り、四天王の像を作り、「敵に勝つことができたら四天王のために寺塔を建てよう」と 誓ったことで形勢が逆転。迹見赤檮が気の登っていた物部守屋を討ち取りました。山岸涼子の「日出づる処の天子」というコミックがありましたなあ。

戦いの後、聖徳太子が作ったのが四天王寺です。この寺を作った宮大工の後裔が金剛組という会社で、世界で最も歴史の古い会社です。

大聖勝軍寺ですが中は普通のお寺で、境内の入口に物部守屋の首を洗ったという守屋池があります。ただ水は入っていませんでした。

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