太平記の舞台 楠木本城(上赤坂城)

上赤坂城
大阪府にある唯一の村・千早赤坂村の赤坂の方にある上赤坂城へ行ってきました。
鎌倉幕府が倒れる原因をつくった楠正成の戦いに登場するお城。出城が下赤坂城、拠点となる本城が上赤坂城、詰城が千早城でした。晴天のゴールデンウィーク、まさか、こんな山城へ来ている観光客はいないと思ったら、いてました。(笑)山城入口に小さな駐車場があるんですが1台留まっています。こちとら暑い中、バス亭から歩いてきたのに。
さて城に入ると堀底道がずっと続きます。神戸の滝川城や高取城と同じ感じですね。一の木戸跡から四の木戸跡まであるんですが、どう考えても上から狙われる構造になっています。鎌倉幕府軍が攻めるのはさぞ、大変だったでしょう。
四の木戸を過ぎると土橋になっています。堀切も見えていて、これが鎌倉時代の城?えらく技巧的だなと思ったら、戦国時代も使われていて改変されているようです。ようやく一番上の本郭にたどりつくとアベックがおりました。駐車場の車の主のようです。デートで山城に登るとは、さすがですなあ。(笑)本郭からの眺めはよく、北摂から神戸の方まで見渡せます。こりゃ、幕府軍の動きもよく分かります。
本郭の周りには広い帯郭がありました。二の丸と書いてある方にも登ってみましたが、こっちには小さな帯郭がいくつも築かれ、堅牢な城に仕上がっていました。上赤坂城は楠正成の死後、正成の三男である楠正儀らが籠城し、落城しました。この時に焼けた建物跡などが発掘調査で出てきたそうです。金剛山の尾根上にあるので、落城しそうになったら、金剛山方面に逃げることができる造りになっています。

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