福井城

福井城
水曜日、せっかく福井へ行ったので駅近くにある北庄城の後に福井城へ行ってきました。
こちらも福井駅のすぐそばです。福井というと剣神社はぜひ行きたいんですが、なかなか機会がないですね。別名を織田明神といい、もともと織田家はここの神官の出です。神社は越前町織田にあり、ここの地名を家名にしました。朝倉家は守護・斯波氏の重臣で名門でした。織田家といえば斯波氏の家来の家来という家柄で朝倉義景が信長と争ったのも「何であんな家柄のやつに」という意識があったんでしょう。
柴田勝家が築城した北庄城の近くに家康の次男である結城秀康が築城した平城。大きな城でしたが現在は本丸の内堀、石垣、天守台が残されています。天守台にあるのが”福の井”という名前の井戸。ここから福井という名前がついたという説があります。明治維新の後、各地の城は鎮台や役所に使われましたが、福井城には今も県庁、警察本部があります。
いろいろと復元をしていて、御廊下橋は復元されていましたが山里口御門(枡形虎口)を復元中ということで工事中で通れませんでした。和歌山城の廊下橋によく似ていますね。福井市立郷土歴史博物館のすぐ北には舎人門が復元されていました。

中小企業診断士 理論更新研修

大阪商工会議所
大阪商工会議所・4階会議室で大阪府中小企業診断協会の理論更新研修。
大阪商工会議所の初代会頭は「あさが来た」によく登場する五代友厚ですので、エレベータなど館内のそこかしこに、五代友厚や「あさが来た」のポスターが貼られていました。
中小企業診断士は更新要件として年1回、理論更新研修の受講が義務付けられています。理論更新研修の講師をしているのですが今日が2回目。大阪府中小企業診断協会では受講生も多いこともあり各講師は3回の担当になっています。私の担当の最終回は12月5日(土)です。
理論更新研修の大きなテーマは「ITを活用した外部資源の活用支援」で、いわゆるクラウドです。2部構成になっていて私の担当は第1部。「中小企業白書、施策」(事業所数、販路開拓、人材)、法人番号を主体としたマイナンバー、クラウド・コンピューティングについて話をしてきました。
VAN(付加活通信網)の説明で、懐かしいモデムの接続音を流したのですが、反応は「懐かしい」と「何これ」の両極端になりますね。(笑)
今週はセミナー3本でしたが、ようやく終わりました。とりあえずビールですねえ!

西濃で生き残るビジネスモデルを考えてみよう

地域活性化セミナー
午前は少し時間があったので関ヶ原で途中下車して、各武将の陣跡を巡っておりました。(笑)さすがに松尾山を登る余裕はなかったのであきらめました。
午後は岐阜工業高等専門学校で地域活性化セミナー。タイトルは「西濃で生き残るビジネスモデルを考えてみよう」です。学生向けではなく高専と西濃信用金庫などが地域活性化のグループを作っていて、参加されている中小企業者が中心です。銀行の支店長さんらもけっこう参加していました。
セミナーの1/3は織田信長に学ぶビジネスモデルの話。斉藤龍興が経営する美濃に対してブラック企業ながら新進気鋭の織田信長から転職の誘いを受けた時にどう決断するか。西美濃の三人衆である稲葉一鉄(美濃清水城城主)、安藤守就(美濃北方城主)、氏家卜全を中心にどんな選択をしたかというマニアックなお話しが導入部でした。あとの交流会で聞いたら、お世辞もあるでしょうが、なかなか好評でした。
まあ、この分野は得意ですので(笑)

柴田勝家の北庄城

北庄城
浅井・浅倉連合軍の一角だった朝倉義景が信長に滅ぼされます。この時、稲葉山城を奪われ美濃を失い逃亡した斉藤龍興も滅ぼされています。斉藤龍興は逃亡後、長島一向一揆や三好三人衆と組んで、ことごとく信長に刃向っており、最後は朝倉義景と組んでいました。今川氏直のように今川家がなくなってから父親(今川義元)の敵の前で蹴鞠をするような人物もいたなか、首尾一貫した生き方でしたので、すごいですね。
朝倉に代わって越前をおさめたのが柴田勝家。越後の上杉氏に備えるためが目的です。柴田勝家が一乗谷でなく、新たに作ったのが北庄城です。天守もあった大きな城だったようで、工事中に訪れた宣教師ルイス・フロイスの記録にも出てきます。ところが建設途中で賤ヶ岳の合戦が起きてしまいます。初戦は勝っていましたが前田利家の敵前逃亡もあり、負けて北庄城は落城、炎上してしまいます。
以前に来た時は柴田神社の横に柴田勝家の銅像があるだけでしたが、その後、発掘調査が行われ柴田神社ちかくで石垣跡が発見され展示されていました。家康の次男である結城秀康が新たに福井城を造る時に石垣などを再利用し、三の丸になって破壊されてしまい、こちらの遺構もきれいに展示されていました。

福井へ

福井駅
サンダバードに乗ってく福井へ行ってきました。信号が縦になっていて、やっぱり北陸ですね。
福井駅から少し離れたところに福井産業会館があり、そちらでセミナーを2時間ほどしてきました。福井も車社会なのでの駅からバスの便がほとんどなく、タクシーでしか行けない陸の孤島。今日は雨だったのでタクシーをつかまえるのが大変でした。
セミナーは「ICTで会社を成長させるヒント~経営課題解決からイノベーションへ~」という長いタイトルのセミナーです。
前に福井へ行ったのは知的生産の技術研究会・福井支部の立ち上げの時ですから17年前になります。いろいろと変っていて、まずサンダーバードが京都を出たら敦賀や鯖江に止まらず福井までノンストップになっていました。
昔、北陸本線に切り替わる時に電車の電気がしばらく消えましたが、今は消えなくなったんですね。
福井駅へ着いたら近代的な高架駅になっていました。おまけに駅の壁には恐竜が描かれ、駅前には怪獣のオブジェもありました。タクシーの運転手に聞いたら恐竜博物館はけっこう賑わっているようです。
今日は日帰りでしたので、駅近くの北の庄城跡と福井城しか行けず、丸岡城、一乗谷、剣神社へ行きたかったな~あ!

社会人のためのデータサイエンス入門

gacco
最近、バタバタしていて受講できていなかったのですが、ようやく一段落したので無料オンライン大学講座Gaccoを久しぶりに受講しています。
本日からはじまったのが「社会人のためのデータサイエンス入門」という講座。東京大学提供の講座と思っていたら講師は東大の先生だけでなく総務省統計局の職員も講師陣なんですね。最終週では統計局が提供しているe-Statの使い方講座があるので、これは期待できそう。
統計はけっこうとっつきにくいですが、よくセミナーで統計を使っていますので、しっかり学ぼうと受講しています。でもシラバスを見るとけっこう難しそう。パーセンタイルって何だったけえ?
第一週は相関関数や回帰分析なので、まだ大丈夫でした。(笑)

本当は十条まであった平城京

羅生門
平城京の朱雀大路入口にあった羅城門跡です。
実際に羅城門があった場所は佐保川の堤防の下で、佐保川にかかる羅生門橋からは遠く大極殿を望むことができます。この羅城門の礎石の一部は大和郡山城の天守閣の石垣に転用されています。石材がなかったため、なんでも転用したんですね。
羅城門は九条通りにあったのですが、実は平城京は最初、十条通りまであったことが発掘で判明しています。藤原広嗣の乱があった後、聖武天皇は都を平城京から恭仁京へ、次に紫香楽宮や難波宮へ移します。5年後に平城京に戻っていますが、この時までに九条までとコンパクトになったようです。
平城京の前の藤原京が十条でしたので平城京も最初はあわせたんでしょうね。朱雀大路の東側では遺構が見つかりましたが反対側の西側で遺構が見つからず、考古学の疑問の一つになっています。

大和郡山城 天守台石垣工事説明会

大和郡山城
大和郡山城の天守台石垣工事説明会があったので行ってきました。
大和郡山城、戦国時代は砦でしたが本格的な大和郡山城を造ったのが信長の命をうけた明智光秀で城は筒井純慶が守りました。豊臣秀吉の時代に筒井家は伊賀上野へ転封。代わりに入ったのが秀吉の弟で偉大なる補佐役と呼ばれた豊臣秀長です。
秀長は大和国・和泉国・紀伊国三ヵ国100万石の領主になったので、それにふさわしい城に大改造します。現在に残る天守台の石垣などは、この当時のものになります。この秀長に仕えていたのが後に津をおさめる藤堂高虎です。
400年も前に造られた天守台の石垣ですが、崩れているところもあり、解体して修復が行われています。石垣に墓石や石仏(地蔵)までが使われていることは前からわかっていましたが、今回の解体でもけっこうな数の五輪塔や墓石が見つかり現場に置いてありました。
自然石を使った野面積ですが5%ほどの石は割れてしまっているそうです。そのままでは使えませんので型をとって、四日市・菰野の石を加工し交換するそうです。
説明会は今日と明日、10時~15時に1時間起きに行われています。石垣というと表面しか見られませんが中の盛土から裏込め石まで見られるチャンスです。

伊勢のソウルフード クックのドライカレー

キッチンクック
伊勢の名物といえば赤福や伊勢うどんですが、伊勢市民にとってのソウルフードがあり、それが”まんぷく食堂”のからあげ丼、喫茶モリのスパゲティ、そしてキッチンクックのドライカレー。
伊勢商工会議所のIT窓口相談は第一水曜で、水曜は,キッチンクックの定休日なんで、いつもおかずけです。11月はちょっと用事があり、本日がIT窓口相談でしたので、お昼は久しぶりにキッチンクックへ行ってきました。
注文はもちろんドライカツカレー。皿一杯の「ドライカレー」にカツがのって、別にカレールゥが出てくる、ちょっと不思議なドライカレーです。
お店はカウンターが8席ほど、他に2人席×1、4人席×2の店を店長が一人でまわしています。入口近くに大鍋があって、ここでドライカレーを炒めているんですが、なかなかダイナミックですねえ。店長1人だけで切り盛りしていますので、混んでいる時は注文してから料理が出てくるまで20分ほどかかります。
来店しているのは地元の客と観光客。どこで調べるのか、本日も女性4人グループが来ておりました。

駅ナンバリング

伊勢中川駅
大阪では市営地下鉄で駅ナンバリングが実施されています。
アルファベットと番号の組み合わせで駅を示し、インバウンドで訪れた外国人や日本人観光客にとっても便利。喜連瓜破(きれうりわり)のような難読駅でも「T33」で分かります。御堂筋線は「M」、谷町線が「T」、四つ橋線が「Y」、中央線が「C」、千日前線が「S」、堺筋線が「K」、長堀鶴見緑地線が「N」、ニュートラムが「P」、今里筋線が「I」になっています。ただ起点駅は「1」ではなく「11」からスタートしています。
近鉄でも駅ナンバリングがはじまっていて奈良線が「A」、橿原線が「B」、大阪線が「D」、名古屋線が「E」、吉野線が「F」になっています。支線では、生駒線が「G」、天理線が「H」、田原本線が「I」、信貴線が「J」、湯の山線が「K」、鈴鹿線が「L」、山田・鳥羽・志摩線が「M」、道明寺線が「N」、長野線が「O」、御所線が「P」となっています。
大阪市営地下鉄で一番大きな数字は八尾南駅の「M36」ですが、日本一営業キロが長い近鉄となると駅の数が多いので、大阪線ですと伊勢中川駅の「D61」。伊勢中川駅からは山田・鳥羽・志摩線がはじまり中川駅は「M61」になります。志摩線の最終が伊勢志摩サミットの舞台・賢島駅になり「M93」となっています。難波から賢島まで93も駅があるんですね。路線にあと7駅増えると3桁となります。ウルトラマンの故郷「M82」は鳥羽駅です。(笑)