纏向遺跡

纏向遺跡
三輪山登拝のあと、近くにある纏向遺跡を見てきました。纏向遺跡は広大な遺跡で運河が2本あり、全国から土器が持ち込まれています。土器で多いのは東海、出雲、吉備、河内地域で各地の首長が集まり会議や祈りをしていたような都市でした。農地などは見つかっておらず、今でいう霞が関みたいなところだったようです。箸墓などは通天閣のようなランドマークになっていました。
地上には何もないのですがJR巻向駅の近くで発見されたのが辻地区の建物群です。国内最大の建物跡が発見され、しかも4棟が中心軸をそろえて東西一直線に整然と並んでいました。2009年には”卑弥呼の宮殿を発見か”と大きく報道された場所で、今は埋め戻されて原っぱになっています。ここが邪馬台国かどうかは分かりませんが、初代大和政権である崇神天皇の磯城瑞籬宮、垂仁天皇の纏向珠城宮、景行天皇の纏向日代宮だった可能性が高いですね。
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