中小企業診断士のグループ船場総研のイベントに参加してきました。
三輪神社のご神体は三輪山そのものですが、登って参拝することができます。まずは三輪神社境内にある摂社「狭井神社」に向かい、受付をすませると三輪山参拝証という首にかける札をもらえます。鈴がついていて、これは熊よけなんですかねえ。
■日向御子って誰?
なかなか急な山道を先導者が休憩もなしに登るので、しんどいのなんの。疲れ果てました。途中に磐座などがいろいろとあり、一番奥にも磐座がありました。手前に社があり、ここに祀られているのが日向御子神。
三輪神社の神様といえば大物主大神で出雲の神様です。大和のど真ん中に出雲神が祀られているのですが近くの纏向遺跡でいろいろな地域の土器が発掘されていますが、東海地域の次に多いのが出雲で、どうも出雲が国造りに多大に貢献していたようです。
崇神天皇の代に疫病がつづいた時に大物主が夢の中にあらわれて、子孫のオオタタネコに祀らせたら疫病はおさまると言われ、河内にいたオオタタネコに祀らせ疫病が止んだという話があります。一説には祭儀のために神武(天皇)を招いた話なんではないかと言われています。神武天皇はどこから来たかと言えば日向です、それで日向御子。
三輪山登拝受付は14時終了ですが、降りている途中14時30分ぐらいに下から神官が登ってきました。全員下山したか確認するのでしょうが、あんな急坂を毎日、登る仕事はいやだなあ、(笑)
月: 2016年11月
茶臼山 真田信繁陣跡
天王寺公園の中にあるのが茶臼山。大坂冬の陣では徳川家康の陣がおかれ、夏の陣では真田信繁の陣がおかれ、ここから徳川勢に突撃しました。小高い丘でハルカスが目の前ですから松平忠直など阿倍野に陣をかまえた徳川勢がよく見えたでしょう。
茶臼山に入るには天王寺公園の入場料がいりましたが、現在は無料で開放されています。茶臼山は古墳と言われていましたが、発掘すると徳川家康が陣で作った台所跡などが出てくるだけで古墳説には疑問がついています。
茶臼山横にある河底池は和気清麻呂が大和川の流れを変えようとして失敗した跡だと言われています。近鉄に河堀口駅があり、ここから上町台地開削工事をはじめました。和気清麻呂といえば宇佐八幡の神託を伝え、道鏡の皇位就任をはばんだとして有名で戦前は拾円紙幣の肖像画になっていました。大和川の付替えは江戸時代の中甚兵衛によって、ようやくなしえました。
11月4日は中小企業診断士の日
11月4日はポッキーの日ではなく”中小企業診断士の日”です。ちなみにポッキーの日は11月11日です。
中小企業診断士の日を制定しようということで今年からできました。今日は”中小企業診断士の日”制定&大阪府中小企業診断協会60周年ということで13時から太閤園でセレモニーが行われました。
それはよいのですが大阪府よろず支援拠点のコーディネータはほとんどが中小企業診断士なんで、今日は2名体制という超弱小体制になっています。隣の大阪府中小企業診断協会は皆、出払っているので事務所はお休み状態になっています。
基調講演は「良い会社100の指標」ということで法政大学院政策創造研究科の阪本光司教授。社員とその家族を大切にするのは経営者として考えなければいけませんが、同様に大切なのが社外社員。つまり取引先です。手形じゃなくちゃんと現金で、相手の資金繰りを考えてすぐに払っているかどうか、コスト削減といって値引きを要求せず適性な料金を支払っているかということで、どっかの自動車会社には耳の痛い話をしていました。取引先のことを考えて毎週、支払っている企業の紹介もありました。
フォーラムのあとは別館でパーティ!今、帰ってきました。
真田丸跡
外山(とび)城
正倉院展へ行く前に大和桜井に寄ってきました。
桜井駅から20分ほど歩いたところに鳥見山があり、麓に等彌(とみ)神社があります。一の鳥居が内宮の鳥居で、古い鳥居を式年遷宮でもらったそうです。
等彌神社の奥から山道があり1kmほど歩いて霊畤を目指します。山道なんでスーツ姿では難しいですねえ。(笑)霊畤(れいじ)とは天皇が即位して最初に行う新嘗祭を行う場所をいいます。大嘗祭といいますが、神武天皇が日本で初めて行った大嘗祭が鳥見山で、行った場所が鳥見山山頂といわれています。
ずっと山道を登ると白庭と書かれた碑がありますが、ここが外山城の曲輪の1つです。外山城がつくられたのは南北朝時代で、たびたび合戦の舞台となりました。戦国時代には筒井方が守っていた外山城を松永久秀方が攻めて落城させています。
曲輪跡は4つあり、一番奥の曲輪が霊畤の碑があるところ。曲輪の虎口はちゃんと横矢がかかるよう作られていました。山道をつけるのに改変されていますが、曲輪跡はしっかり残っていました。ただ一番、端の曲輪はヤブだらけで、さすがに中に入るのをあきらめました。
ブラック企業の根源は十七条憲法にあった
正倉院展の最後の方に展示されているのが古文書で、回によっては写経生による”飲みすぎたので欠勤します”といった休暇願などが展示されています。昔も今も変わらない宮仕えの様子を見るのを、毎回、楽しみにしています。
今回、展示されていたのが職場改善要求。で6つの要求がありました。
1、紙が少なく書き手が多いので、紙が供給されるまで職員募集をやめること
2、仕事着が汚れているので新品がほしい
3、装丁係と校正係の食事を改善すること
4、毎月、5日間の休暇がほしい
5、机に向かっての仕事で、胸が痛く、脚が痺れるので、3日に1回、薬用に酒を支給すること
6、毎日、麦を支給すること
です。
ただし案文だったようで、実際に要求が行われたかどうかは定かではありません。写経生が働いていた造東大寺司はこんな改善要求が出せるので、ブラックではなかったようです。
ブラックと言えば聖徳太子の十七条憲法に諸悪の根源があって、八条に「八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。」とあります。公務の重要性を言っているのでしょうが、つまり早朝から深夜まで働けということで霞が関の不夜城の現況は憲法にあったのですね。