龍野城

龍野城
鶏籠山の麓にあるのが龍野城で平城になっています。龍野城の裏から龍野古城へ行けるのですが、ふつうの観光客は龍野城と城下町巡りを楽しみます。山城へ登るような、酔狂な人間はいません。(笑)
龍野城は戦国も終り、幕藩体制が整った頃に造られたので陣屋形式の城となりました。造ったのは脇坂安政です。石垣しか残っていませんでしたが隅櫓や埋門などが再建されました。脇坂家は幕末まで続くことになります。脇坂家の初代といえば”賤ヶ岳の七本槍”の一人である脇坂安治です。秀吉のもとで福島正則や加藤清正らと共に活躍しましたが、関ヶ原の戦いでは小早川秀秋と一緒に裏切りました。まあ家康には事前に裏切ると言ってあったようです。
■しつこくて細かな性格だった秀吉
昨年、秀吉から脇坂安治へ宛てた手紙33通が新たに見つかり話題になりました。秀吉が佐々成政を相手に北陸攻めをしていた時、脇坂安治は京都御所などの建設用資材(材木)を運ぶ役割でした。ところが脇坂安治は北陸攻めに参加したかったようで、秀吉から”しっかり身をいれて材木を運べ、戦に参加したいとか言うな”という叱責の手紙をもらっています。しかも10日おきぐらいに出している時があり、秀吉は北陸ですから返事が来る前に出していたようです。子飼いの武将なんで秀吉も信用していたのでしょう。

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