厨川城(安倍館)

厨川城(安倍館)
■前九年の役
盛岡には前九年一丁目というバス停があります。そう、日本史で習った”前九年の役”の舞台で、今はすっかり住宅地となっています。
前九年の役といえば河内源氏が台頭するきっかけとなった戦い。実質的な独立国家・安倍一族と朝廷側の争いで朝廷から陸奥守として派遣されたのが源頼義。最初、安倍氏は抗戦せず服従策をとりますが、どうも源頼義が陰謀を仕掛けたようで全面衝突となり、これが前九年の役。ところが安倍氏は強く、源頼義は大敗します。そこで源頼義は局外中立を守っていた清原氏を味方に引き入れ、安倍氏は滅びます。
有名な「年を経し糸の乱れのくるしさに」「衣の館はほころびにけり」という和歌が交わされたと逸話があるのが、この前九年の役です。
■安倍氏館(厨川柵)安倍氏館があったところが安倍館町という地名で残っており、ここに厨川柵がありました。この時代のものは残っておらず、鎌倉時代に地頭として工藤氏が派遣された時に厨川柵跡に厨川城が築かれ、現在は住宅地に厨川城時代の深い堀切がいくつも残っています。7つの郭があったようで、主郭のあったところは神社と保育園になっていました。
厨川城は川沿いの切り立った崖の上にあり、他の三方を堀切が巡る形になっています。
■斯波氏
源頼義の子供が八幡太郎義家で共に前九年の役、後三年の役を戦います。この義家が源頼朝、足利尊氏の先祖となります。坂上田村麻呂が築いた志波城は斯波城とも書き斯波郡にあります。ここを本貫(苗字)にしたのが足利氏の分家である斯波氏で、室町幕府では三管領家の筆頭となりました。
斯波氏は越前、尾張、遠江の守護でしたが、越前は守護代(現地の支店長)だった朝倉氏に奪われ、遠江も駿河守護だった今川氏に奪われます。残ったのが尾張で、ここの守護代のそのまた家来だったのが織田信長。結局、尾張からも追い出されてしまいます。

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