正倉院展へ行く途中、近鉄奈良駅から東向商店街を通ります。東側にある興福寺に尻は向けられないと東向き(西側)に商店が作られたのに由来しています。もっとも東側は断層でかなりの段差になっているので店を作りにくかったのが本当でしょう。
この段差を登って興福寺の脇に出ると中金堂が復元されていました。興福寺のど真ん中なので、なかなかの存在感があります。
興福寺には、金堂が3棟ありますが、そのうち中心となる金堂が中金堂で、藤原不比等が創建しました。東金堂は五重塔の横に健在ですが西金堂は中金堂と一緒に焼けて現在は基壇だけが残っています。西金堂にあった仏像が阿修羅像や八部衆立像で、無事に運び出され今では国宝館で見ることができます。
中金堂は源平の争乱や雷などで7回、火災で燃えました。なんせ平安時代から興福寺は延暦寺、園城寺、東大寺と並ぶ僧兵の巣窟で、お坊さんというより軍隊でしたから争乱によく巻き込まれています。暴れん坊将軍である吉宗の頃に泥棒に入られた失火で焼けてからは、幕府も興福寺も金がなくなんとか仮堂だけ作り、ようやく300年ぶりに復興されました。しばらく観光客が増えるでしょう。