豊臣秀次館跡

豊臣秀次館跡

近江八幡の城下町を整備したのが豊臣秀次です。秀吉の姉の子で後継者がいなかった秀吉の養子となります。

本能寺の変で織田信長が亡くなり、その後の混乱で安土城が燃えてしまいました。ルイス・フロイトによると犯人は織田信雄が濃厚のようです。近江を支配することになった17歳の豊臣秀次は八幡山城を築き城下町を整備します。すぐ隣の安土城下の民衆を移し、楽市楽座を開設。琵琶湖がすぐ横ですので安土城と同様に水運を重視します。もっとも秀次についた宿老たちが優秀だったのでしょう。

八幡山城は詰の城で、山麓に居館が作られました。場所は市立図書館の裏手で八幡公園の一番西にある階段をひたすら登るとたどりつくことができます。ところが観光案内にも載っておらず看板もありません。というわけで誰もいません(笑)。

八幡公園も含め、平坦地の段が階段の両側に続いていますが、これが家臣団屋敷で、ところどころに石垣が残っています。一番上まで登ると石垣の壁があらわれ、これが秀次館跡。発掘調査で秀次が使っていた沢瀉紋(おもだかもん)が入った金箔瓦が発見されて秀次館跡と特定されました。なんで観光名所になっていないんでしょうね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です