蘇我氏の故郷

宗我坐宗我都比古神社

大和八木駅から大阪方面へ一駅行ったところに真菅(ますが)駅があり、駅のすぐ近くにあるのが宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ)です。神社がある町の名前が曽我町で、古代豪族・蘇我氏の本貫と言われています。神社の通称は入鹿宮になっていて推古天皇の時代に蘇我馬子が社殿を建てたと言われています。現代は車がよく通る道沿いにあるので、あまり落ち着かない神社になっています。 

古代、葛城地域(高天原の説があります)を本拠にした葛城氏がいて大王(天皇)の奥さんは葛城氏から迎えていました。力をもった葛城氏でしたが雄略天皇の時に皇位を巡る争いから滅ぼされてしまいます。 

■蘇我氏とは 
諸説ありますが蘇我氏は葛城氏の一族だったようで、我蘇り(われよみがえり)なんて意味深な名前は没落した葛城氏を蘇らせたからかもしれません。ただ読み方がソガというだけで、神社名は「宗我」、地名は「曽我」、人名は「蘇我」になっています。出雲大社の本殿のまさに裏側にあるのが素鵞(ソガ)社で出雲との関係を称える人もいます。 

後で歴史を書いたのが勝者の藤原氏なんで、蘇我氏は謎だらけになってしまいました。乙巳の変で燃えてしまった「天皇記」と「国記」が伝わったら面白い古代史が分かったんですがねえ。

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