池上・曽根遺跡

池上・曽根遺跡
池上・曽根遺跡

池上・曽根遺跡は和泉にある弥生時代中期の環濠集落で池上町と曽根町の地名から名付けられています。2つの町にまたがる広大な遺跡です。 

環濠(つまり堀)は二重となっていて、つまり城の原型です(笑)。環濠の中には大型建物を中心とした祭りの場で、隣では青銅器や鉄器を作っていた工房がありました。環濠の周りに居住地があり、つまり用途によって区切られていました。市街化調整区域みたいなものですねえ。 

池上・曽根遺跡は平地につくられましたが、やがて高地性集落となっていきます。水田耕作に有利な平地から高台に集落ごと移動するのは倭国の大乱(魏志倭人伝では大乱をおさめるために邪馬台国の卑弥呼を奉じたとなっています)で守りやすい高台にしたというのが通説だったのですが、どうも古代の関西では大地震などによる洪水の影響が大きかったのはと言われています。

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