平成最初の日

平成元年
平成元年

平成がスタートしたのは1989年1月8日(日)。昭和天皇の崩御をうけて翌日にスタートしました。 

ちょうどSRAというITベンダーでプログラマーやシステムエンジニアをやっていた時期で、あの頃は若かったな~あ(笑)。知的生産の技術研究会・関西は1987年9月スタートなんで昭和に始めていたんですなあ。平成よりも長いんだ~あ。 

当時の新聞がとってあったので平成がスタートした日の記事を見るとリクルートコスモス株事件の報道が載っていました。あとは自粛ムードが拡がる昭和最後の日の記事が多いですねえ。大阪はちょうど”えべっさん”が始まる時期で宝恵かご行列が中止になったと報道されています。”400年の歴史 佐渡金山に幕”という記事もありました。

薬師寺東塔

薬師寺 東塔
薬師寺 東塔

西ノ京へ行く用事があったので、ついでに薬師寺に寄ってきました。 

長く修繕工事をしていた東塔もいよいよ最終段階。2020年4月に落慶法要が行われます。GW中、修理作業現場での最後の一般公開が行われており、えっちらおっちら階段を登ってきました。最上階では相輪がまじかにみえ、上の水煙もよく見えます。また塔の鬼瓦は4方向とも全然、違う顔をしているんですね。 

東塔の上から西塔が見えるのが特にいいですねえ。今回の解体修理が行われたのが110年ぶりなんで、次に見るチャンスは絶対になさそうです。 

岡山へ

岡山駅
岡山駅

岡山でお仕事。仕事は午後からなので早目に岡山城を見に行こうと思っていたら、IT導入補助金について教えてほしいという岡山のITベンダーからの連絡が急に入って、午前も潰れてしまいました(泣)。

夕方にはお仕事が終わって岡山駅へ。乗ったタクシーの運転手が10連休についてぼやいていました。岡山の観光地といえば岡山城や後楽園なんで使うのはバスや市電が中心。タクシーを使うのは営業が多く、10連休はビジネスが止まるのでタクシー事業者もかなり実車を減らすそうです。居酒屋もどれぐらい開店するかよめないようです。

さて岡山駅で少し時間があったので駅をいろいろと散策していると一角に立ち飲み屋を発見。地ビールである独歩(ドッポ)も置いていました。

仕事をゲットするためのネット活用法

マイドーム大阪
マイドーム大阪

マイドーム大阪8階の会議室で大阪府中小企業診断協会のスキルアップ研修。

今回のテーマは「仕事をゲットするためのネット活用法」です。初心者向けの内容なんですが、独立組だけでなく企業内診断士が3/4ほど参加しておりました。皆さん、独立する気、満々なんですね(笑)。

中小企業診断士といえども待っているだけでは仕事はゲットできません。営業ツールが必要です。まず名刺ですがパソコンで自作してもかまいませんが、私は会社案内代わりにしているので2ツ折でいろいろと情報を盛り込んでいます。もう一つ大切なのがホームページ。

ちょっとした知り合いからの紹介で仕事につながることも多いのですが、発注側ではどんな人か、ホームページを確認しますので実績などを掲載したコンテンツを用意しておかなければなりません。ホームページの立ちあげ方やどんな内容を書けばよいかを話をしてきました。

スキルアップ研修の両隣では大阪府中小企業診断協会と大阪中小企業診断士会の理事会が行われており、マイドーム大阪8階は中小企業診断士だらけでした。

市尾宮塚古墳

市尾宮塚古墳
市尾宮塚古墳

高取町の市尾にある市尾宮塚古墳。

曽羽城の近くにある天満神社の裏側にある前方後円墳です。造られたのは6世紀中頃で被葬者は巨勢氏とみられています。巨勢氏は高市郡巨勢郷を本貫とする氏族で、武内宿禰の次男である許勢小柄宿禰を始祖としています。

天満神社は階段の上にあり、訪れる人も少なく、まして裏側にある前方後円墳に訪れる人は少ないでしょうが国史跡となっていて、石室入口は檻になっていて鍵がかかっていますが、檻に近づくとセンサーが感知して奥の石室がライトアップにして石棺が見えるというハイテクになっています。なかなかビックリします。

平群町のマスコット 島左近

平群町のマスコット
平群町のマスコット

平群町のマスコット、長屋王ともう一人は島 左近です。

戦国時代、島氏の本拠は平群町で平城の西宮城と山城の椿井城を本拠地にしていました。島左近は筒井順慶に仕え重臣になっていましたが、順慶が病に倒れてしまい跡を継いだ順慶の甥・筒井定次とは意見が合わず、筒井家を辞することになります。島左近は天下の名将ですから、多くの誘いがありました。そんななか、新しく主君になったのが石田三成です。自分の禄高が4万石なのにそのうちの半分の2万石を与えるという破格の条件を呈示、意気に感じたのか石田三成に仕えることになります。

「三成に過ぎたるものが2つあり。島の左近に佐和山の城」と言われるようになります。関ヶ原の戦いでは本戦の前に行われた杭瀬川の戦いでは兵500を率いて東軍の中村一栄・有馬豊氏両隊に戦いを挑み、明石全登(宇喜多秀家の家臣だった)隊と共に勝利して、士気をあげました。関ヶ原合戦でも大いに戦い、徳川方は「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と記録しています。

大阪中小企業診断士会 事業説明会

大阪中小企業診断士会
大阪中小企業診断士会

堺筋本町にあるTKPを会場に大阪中小企業診断士会の事業説明会を開催。 

大阪府中小企業診断協会の会員は約1000名ですが、そのなかの独立診断士200名で組織しているのが大阪中小企業診断士会です。士会では、いろいろな事業を行っているので年に1回、説明会を開催しています。本日は会員の約半分ほどが参加。 

事業説明会の後は懇親会。皆さん独立しながらやっており、仕事はけっこう知り合いから入ってくることが多いので、ネットワークを築く貴重な機会です。とは言いながらしっかり食べて飲んでました(笑)。 

締めは大阪締めです。大阪締めは三本締めのような江戸伝来ではなく、古式ゆかしき手締めです。天神祭りでは船渡御で船がすれ違う時などに必ず大阪締めを行います。 

大阪締めとは「打ちましょ」でチョンチョンと2回手を打って、「もひとつせ~」でもう一度チョンチョン、 最後に「祝うて三度」でチョチョンがチョンと打って締めます。大阪商工会議所の新年互例会などでも大阪締めで締めるなど大阪のスタンダードなんですが、近年は知らない若者もいて三本締めになりがちですねえ、困ったものです。 

情報科学基礎

三重大学
三重大学

三重大学で講義。 

教育学部1回生向けに情報科学基礎という情報リテラシーの講座を担当しています。学生に聞いたら生まれたが2000年や2001年で、学生の皆さんは21世紀生まれなんですねえ。2000年問題で日本中が大騒ぎしていたのは生まれる前なんですね。 

講義では自分のパソコンを持ち込んでWifiに接続し実習を行います。ガイダンス後、総合情報処理センターの先生に依頼して、三重大学でのネット環境やパソコンの設定について講義をしてもらっていますが、これがなかなか勉強になります。 

三重大学ではMoodle(ムードル)と呼ばれるE-ラーニングシステムを導入していて私もレポート提出や教材提供で使う予定をしているのですが、なるほど、そうやって使うのか、よくわかりました(笑)。

長屋王と令和の意外な関係

長屋王
長屋王

平群町のマスコットキャラクターといえば長屋くん。長屋王です。

■そごうが潰れたのは長屋王の呪い?
”長屋王、誰だそれ?”って言う人は、まず古代史を勉強しましょう。長屋王といえば、”長屋王の変”で有名な長屋王です。”奈良そごう”を建築する前に発掘調査したところ出てきたのが「長屋親王宮」と書かれた木簡。これで長屋王の邸宅が特定できました。夏に氷室から運んだアイスシャーベットを食べていたなど裕福な生活をしていたようです。長屋王邸は邸宅だけではなく商売の拠点でもあり江戸時代の商家のような感じだったことが分かっています。ですので経営感覚にも優れていたようです。

そごうが破綻した時はまことしやかに”長屋王の呪い”だと言われました。長屋王はなかなかできる人物で政界の主導者となりましたが、対立する藤原四兄弟の陰謀によって自殺に追い込まれ、これが長屋王の変です。長屋王の墓は平群にありますが、本当はどうかは分かりません。

■長屋王と令和の意外な関係
令和という元号が大伴旅人が大宰府でよんだ歌からとられましたが、長屋王に近かったのが大伴旅人。大伴氏は歌人としても有名ですが、それよりも神武天皇時代からの軍事氏族として有名です。大伴旅人が大宰府に追いやられたのが長屋王の変(729年)の前年で、長屋王の変が終わった730年に都へ戻され翌年には亡くなっています。軍事力をもった大伴旅人を大宰府に遠ざけたのではないかともいわれています。

信じるか信じないかはあなた次第です。