飛鳥の西側、真弓丘陵にあるのがマルコ山古墳。
山のふもとにポコンと帽子のような古墳があります。当初は円墳と思われていましたが、発掘調査の結果、六角墳ではないかと言われています。大王墓は八角墳ですので、六角墳は大王に次ぐ位である皇太子や皇子の墓とみられています。一説には被葬者は天智天皇の第二皇子である川島皇子ではないかと言われています。川島皇子は天武天皇の皇女が妃だったので壬申の乱時には天武天皇側でした。「帝紀」、「上古諸事」の国史編纂に携わっています。
親友であった大津皇子の謀反を密告したと言われていますが、本当のところはわかっていません。35歳で亡くなりましたがマルコ山古墳からは30歳代の男性と見られる人骨が出土しています。