本願寺の戦いの舞台「楼の岸砦」

楼の岸砦
楼の岸砦

エル・大阪(天満橋)近くにあるのが坐摩神社行宮。ここにあったのが信長が造った楼の岸砦ではと伝わっています。

織田信長が姉川の合戦で浅井・朝倉と近江で戦っている頃、信長のいない摂津に阿波から三好三人衆が進出し福島と野田に砦を築きます。対応するため信長は天王寺に砦を築き本陣にし、野田、福島砦近くに楼の岸砦や川口砦を造ります。信長は三好三人衆を、もう一歩というところまで追い込みますが、この時、大坂の町に半鐘の音が鳴り響き、石山本願寺が突如、信長軍に攻め込んできます。よく映画などで描かれるシーンで信長公記などに記録されています。ここから石山本願寺との十年に及ぶ戦いが始まります。

坐摩神社行宮は上町大地の北西にあり、ここから高台になっています。楼の岸砦は石山本願寺に奪われ、天王寺の戦いでは楼の岸砦から1万もの軍勢が出撃して天王寺砦を取り囲み、守っていた明智光秀を追い込みます。急報を聞いた信長は京都からわずかな手勢を率いて本願寺勢を強襲して明智光秀を助けます。この時に信長は敵の鉄砲を足に受けて軽傷を負いますが、来年の大河ドラマでは絶対に出てくるシーンでしょう。

ただ1万もの軍勢が駐屯できた砦ですので高台にある北大江公園あたりに楼の岸砦の中心地があったのでしょう。

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