千草忠顕

水飲対陣碑
水飲対陣碑

京都一周トレイルから雲母坂城へ行く途中に水飲対陣之碑があります。

湊川の戦で楠木正成が討死し、京都へ迫るなか後醍醐天皇は比叡山に移ります。東坂本(琵琶湖側)を新田義貞と名和長年が守り、西坂本(京都側)を後醍醐天皇の皇子・尊良親王と、千種忠顕が守りました。千種忠顕は武芸に秀でた公卿で、後醍醐天皇が隠岐島に流罪になると随従し、ずっと後醍醐天皇を助けた人物です。

■水飲対陣
尊氏の弟・足利義直の軍勢が西坂本に攻め寄せ、雲母坂で激しい戦いとなります。水飲対陣之碑があるあたりは音羽川のせせらぎが聞こえる場所で、水飲という名前がついたようです。足利義直が陣を構え、千草軍を目指して三方から攻めあがりました。千種軍は全滅し、忠顕も討死します。

■菰野の千草城
御在所岳の麓にある菰野に千種城があります。千種忠顕は三重郡二十四郷を与えられており、息子の千種顕経によって千種城が築かれたと伝わっています。

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