大河ドラマ「麒麟がくる」では”長良川の戦い”が行われました。斎藤道三と斎藤義龍の一騎打ちがありましたが過剰な演出ですねえ(笑)。総大将がそうそう最前線で戦うものではなく、実際に戦ったのは上杉謙信、井伊直政、藤堂高虎など数えるほどです。
予告編では光秀が越前に行くシーンが出ていましたが、「明智軍記」をネタ本にしているようです。越前の朝倉氏と美濃守護の土岐氏は姻戚関係ですので、土岐一族だった明智光秀は明智の里を出た後、縁を頼って越前朝倉家に仕えたことになっていますが、どうですかねえ。
■近江 高嶋郡の田中城にいた
最新の研究では明智光秀は室町幕府の足軽だったようです。湖北を支配していた浅井長政が琵琶湖の西側にある高嶋郡を浸蝕してきた時、足利将軍家と縁がある朽木谷の朽木氏や、田中城の田中氏は抵抗していました。
この時、田中城に幕府から派遣された兵の一人に明智光秀がいました。明智光秀は医学知識があったようで籠城していた時に同僚の米田貞能に教えていました。これが米田文書として発見され、明智光秀の名前が出る最古の資料となりました。となると明智光秀は京都を根城にしていたんですかねえ。