武田信虎の追放

疫病シリーズ No5は武田信虎の追放です。

武田信虎って誰?という人もいると思いますが武田信玄のお父さんです。今川義元に娘を嫁がせて甲駿同盟を結び甲斐を統一した戦国武将です。今川義元に会うために駿河へ行き帰ってきたら甲斐の国境が封鎖されていました。

武田信玄と国衆によるクーデタです。同じ年に武田と争っていた北条氏でも北条氏康から氏政に家督が譲られます。背景には飢饉と疫病があり、民衆の間では疫病や飢饉がひどくなると世直しということで徳政(借金棒引き)&為政者の交代を求めました。甲斐も同じで民衆や国衆からの圧力があり信玄はクーデターを起こさざるをえなかったようです。

疱瘡地蔵
疱瘡地蔵

■徳政とは
柳生街道沿いに疱瘡除けを祈願した疱瘡地蔵があり正長の土一揆によって徳政令(柳生4庄の借金消滅)を勝ち取ったという碑文が書きこまれています。当時、なにかあると徳政令を求める動きになり、貸す方にしたらたまったものではありません。結局は信用できない社会となり疲弊していきます。大和国宇智郡の百姓連判状が残っていますが、これは蔵本(貸す方)に10年は徳政をしないので、お金を貸してという内容でした。

当時の金融は高利貸しでしたが、稲はたくさんの実をつけるので実質はそれほどでもありませんでした。ところが小氷期に入り冷夏などで作物ができなくなると借金が返せなくなります。天候不順も徳政令の背景にありました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です