戦国時代の堺は堀で囲まれた城塞都市でした。城塞に櫓が建ち並び、こうなると都市というより平城ですね。織田信長が「矢銭を払わんと攻めるぞ」と脅しますが、戦うかどうか審議したのは戦える能力があったからです。結局、堺は信長の命に従うことになります。
堺といえば第12代将軍・足利義晴(「麒麟がゆく」向井理が演じる足利義輝の父親)と争っていた異母兄の足利義維が堺公方として支配していました。足利義晴は京都を離れ近江の朽木などに逃げていましたので、うまくやればとって変わるチャンスがありました。結局はできませんでした。
■堀跡
さて戦国時代に作られた堀が土居川で土居とは堤防のことです。秀吉が天下をとってから堀は埋められてしまいます。元あった土居川よりも外側に堀を再度、造ったのが徳川家康です。南海堺東駅から大阪湾の方へ向かうと阪神高速道路の下に大小路橋という陸橋があり、阪神高速道路沿いに土居川公園が続いていて、ここが家康が造った堀跡です。
大小路橋から大小路が大阪湾へ向かって伸びていますが、この通りが堺の語源となる摂津国と和泉国の国境になりました。