戦国時代、織田信長と戦った荒木村重が毛利の助けを求めるために伊丹にあった有岡城から逃げ込んだ先が大物城。大物城の近くに尼崎城が造られます。
元和3年(1617)に戸田氏鉄(徳川家康の近習)が入り、新しく尼崎城を築城しました。5万石でしたが3重の堀をもち、本丸には複合式の四重天守などが造られました。明石城、尼崎城、高槻城が防衛の要になる城で、また海運を抑えることから立派な天主が造られたようです。瀬戸内を航行する船のランドマークになっていました。
尼崎城の本丸は昭和時代になっても痕跡が残っていましたが、今は明城小学校の敷地となり堀も埋め立てられてしまいました。ミドリ電化の創業者が尼崎出身で天主を復元しましたが、場所は尼崎駅のすぐ近くで昔の西三之丸になります。5階建てで一番上は展望台。展望台からは昔の城下が眺めら、尼崎城の歴史が学べるようになっています。