オンライン講師になるには

三重県中小企業診断協会で「オンライン講師になるには」というタイトルでセミナーをしてきました。
コロナ禍で対面でのセミナーが次々に中止となりZoomなどでのセミナーが中心になっています。そこでZoomでどう講師をするかというセミナーをもちろんオフラインでやりました(笑)。
Wifiが使える会場を借りてもらい、皆さんにPCを持ちこんでもらってZoomのインストールから実際に主催者になるところまで。いろいろとトラブルもありましたが、無事に終了しました。

相撲神社

山辺の道から離れて丘を登っていくと穴師坐兵主神社があり、ここの摂社が相撲神社です。

穴師坐兵神社
穴師坐兵神社

垂仁天皇の時代、力自慢の当麻蹴速(當麻在住)がいて俺より強いやつはいないと豪語していました。そこで出雲から野見宿禰を呼び出し試合をさせたのが日本最初の展覧相撲となりました。出雲は出雲国と言われていますが一説には長谷寺の手前にある出雲ではないかと言われています。最初の相撲が行わわれた場所が穴師ということで相撲神社が作られました。

勝ったのが野見宿禰で当麻蹴速は殺されてしまいます。ローマ帝国の剣闘士みたいですなあ。野見宿禰は垂仁天皇に仕え埴輪を作る土師氏の子孫となります。土師氏はやがて菅原氏となり一族からは菅原道真も出ます。

ファイティング・コンサルタンツ研究会

大阪駅前第4ビルにある個室カフェ「The Second Room Cafe」でファイテング・コンサルタンツ研究会。

玉乃光酒造
玉乃光酒造

中小企業診断士に合格した2002年に始まった研究会で、当時は大阪駅前ビルの会議室でコンサルティング・ファームを作るんだと燃えている代表がおりました。あれから18年、今や単なる茶話会集団に。主要な議題は次回、どこへ出かけるかです(笑)。

14時から始まった研究会は2時間で終了。16時から駅前第3ビルの居酒屋で飲んでから玉乃光酒造に店を替え20時に終了。あいかわらず飲んでいる時間の方が長い研究会です。

大阪駅前ビルですが、昼からどこの居酒屋もけっこう人が入っていました。

複雑怪奇な神坐日向神社

山の辺の道から少しはずれた丘の上にあるのが神坐日向神社。大神神社の摂社で小さな社ですが式内社です。式内社というのは延喜式神名帳に記載されている由緒正しい古社のことで、実際の所在地がよく分かっていない式内社も多く、でも格が上がるのでウチは式内社と宣言している神社もあります。

神坐日向神社
神坐日向神社

神坐日向神社が祀っているのはオオタタネコ(大神神社の初代神主)の曾祖父・祖父・父であるクシミカタ・イヒカタスミ・タケミカツチです。クシミカタが大物主の子供になります。

■名前を間違えた?
この神社はいろいろと論争にある神社で、明治になってから三輪山山頂にある高宮神社(祀っているのは日向御子神)と神社名を間違えた説があります。

山頂で日向御子神を祀っているので今の高宮神社は日向神社の方があっているでしょう。大神神社の神主・高宮家(大神氏の直系後裔)がその祖神を祀った社の名前としては高宮神社がふさわしいので今の神坐日向神社が本来の高宮神社の名前がふさわしいです。実際に明治18年に大神神社宮司から明治政府に神社の名前を訂正したいと申し出がありましたが却下されました。

■明治政府の陰謀説もある
もっとも高所(山頂)に坐す宮で高宮神社でもよいという説もあります。うがった見方として皇祖神としてアマテラスを中心にすえて伊勢神宮などを整備している明治政府にとって出雲の神(国つ神)である大物主の大神神社に同じ日を祀る神様がメジャーになるとまずいので間違えた神社名のままにしたという説もあります。

太陽の道(檜原神社)

「太陽の道」ってご存知ですか?

檜原神社
檜原神社

もともとは小川光三さんという仏像写真家が「大和の原像―知られざる古代太陽の道」で発表されたものです。これが1980年にNHK特集「知られざる古代~謎の北緯34度32分をゆく」で取り上げられて一大古代ブームを巻き起こします。奈良国立博物館の北向いに今も飛鳥園があり、小川光三さんはこの飛鳥園(写真撮影会社)の代表でした。

■太陽の道とは
倭姫命(ヤマトヒメ)が諸国を巡り、最終的に伊勢神宮に天照大神を祀りますが宮中から最初に移されて祀ったのが笠縫邑(かさぬいのむら)。山辺の道沿いにある現在の檜原(ひばら)神社といわれています。美内すずえの「アマテラス」の世界ですねえ。

この檜原神社を中心に箸墓古墳、大坂山(穴虫峠)、長谷寺、室生寺などなどが北緯34度32分の線上にほぼ一直線に並びます。一番東は伊勢斎宮跡、西は堺の大鳥大社で、さらに淡路島の伊勢の森へと続きます。これが古代のレイライン(太陽の道)です。

若い頃、大鳥大社からひたすらまっすぐ東を目指して歩き、住宅街などで迷いながら富田林で挫折して喜志駅から帰った思い出があります。

■檜原神社
神社の鳥居からまっすぐ西を見ると大坂山(穴虫峠)があります。二上山の北側で古代、大和と河内を一直線で結ぶ大津道(現在の長尾街道、近鉄南大阪線)が通る峠です。

春分又は秋分の日に檜原神社の鳥居から見ると、穴虫峠へまっすぐに日が落ちていきます。ですのでこの場所に神社を作ったのでしょう。伊勢神宮の最初の地ですので檜原神社は元伊勢と呼ばれています。

磯城瑞籬宮

海石榴市から山の辺の道がスタートし、三輪神社へ行く手前に磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)があります。

磯城瑞籬宮
磯城瑞籬宮

第10代、崇神天皇の宮で、崇神天皇は実在した天皇と考えられています。崇神天皇の時代、新型コロナのように国中に疫病が蔓延。大物主大神の意に従い、子孫となる大田田根子を探し出してお祀りしたことから疫病がおさまり、大神神社となりました。

■四道将軍
崇神天皇は東海、北陸、西国、丹波の四方に将軍(四道将軍)を派遣します。北陸道と東海道を進んだ将軍が出会った場所が会津となりました。実際に日本中に大和朝廷の力を拡げるための派遣があったようで前方後円墳が全国に拡がるのと重なっています。また西道に行った吉備津彦が桃太郎のモデルになりました。

戸口を調査して初めて課役を科した天皇としても有名です。今でいうと国勢調査を行って所得税をとったということですね。この偉業をもって御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と呼ばれます。初めて国をおさめたという意味です。御肇国天皇は神武天皇にも使われるため、崇神天皇と神武天皇は同一人物ではないかともいわれています。