太尾山城

米原駅のすぐ東側にあるのが太尾山城。駅からよく見えます。

太尾山城
太尾山城

麓に中山道の宿場があり、湯谷神社脇から山道を登ると、南城と北城を分ける堀切に入れます。堀切から南側に向かって尾根を歩くと南城に着き、反対側には北城があります。いわゆる一城別郭ですが、眺めは抜群で琵琶湖が一望できます。北側からは小谷城や北国街道が一望です。

太尾山城は鎌刃城と同様に「境目の城」で京極氏と六角氏の勢力争いが繰り返されました。永禄四年(1561年)に浅井長政が六角氏方だった太尾山城を攻めましたが、うまくいきませんでした。

織田信長が足利義昭を奉じて上洛し六角氏が追いやられると、今度は同盟を組んだ浅井氏に属することになります。ところが浅井が朝倉と手を組んで信長に敵対したことから、元亀三年(1572年)織田信長が佐和山城を攻め、次いで朝妻城、太尾城を攻撃し太尾城はついに落城しました。

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