唐が新羅を支援して百済を攻撃し660年に百済は滅亡します。百済の王族や遺臣たちは倭国と連携し百済復興運動を起こします。日本・百済遺臣の連合軍が唐・新羅連合軍に挑みますが、663年に白村江の戦いで大敗します。昔、日本史で習いましたね。
これにあわてたのが天智天皇。唐・新羅による日本侵攻を想定して防衛網強化に動きます。百済遺臣の協力で朝鮮式古代山城の防衛砦を整備、また防人制度を整備します。大宰府には水城や大宰府全体を取り巻く羅城が作られました。岡山の鬼ノ城、大阪の高安城などが造られましたが、この時と共に造られたのが播磨の城山城。
■古代・城山城
中世には赤松氏の山城となりましたが城山城には古代山城の遺構がいくつか残っています。城山城を「きのやまじょう」と呼びますが、岡山の鬼ノ城も「きのじょう」で、大宰府の基肄城「きいじょう」ですから「き」は城をさす古語だったようです。
山を石塁が取り囲んでいますが、1300年前の石塁が一部残っています。大阪の高安城も城山城と同様に古代山城、中世山城として利用されました。